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クリエイター名 |
からくりあきら |
きっかけ
サンプルノベル1 題名:きっかけ
――微かに触れている肩が、温かい。 厚いコート越しで体温が伝わるはずがないから、気のせいだろうけど。 バスの中は学校帰りの高校生で賑わっていてちょっと息苦しかったけど、それが私には有り難かった。 2人掛けの席、私の隣に座っているのは大柄な先輩だった。大きな身体を少し窮屈そうに丸めて、うつらうつらしている。 私はこの人の名前を知っているけど――向こうはきっと、私の事覚えてないんだろうな。 それでもこんな風にちょっとした幸せを味わうくらいなら、罰も当たらないだろう。 入学式の日、通学路で転んだ私を保健室まで連れて行ってくれた、一つ上の先輩。 あれから一年半以上経って、髪が伸びて印象も変わったと思う。先輩と話したのもあの日だけだし、覚えてなくて当たり前だ。 何度も学校で見かけて声を掛けようとして――できなくて。 だけど先輩は今年卒業で、あと数日で学校に居なくなる。そう思ったら、こうして帰りのバスで先輩の隣に座ってしまった。 心臓がばくばくしてるけど、なるべく何でもない態度を装う。 ……そう言えば先輩はどこで降りるんだろう? 私より前でないといいんだけど。 結局幾つか停留所を過ぎても、先輩は降りなかった。 ほっとしたけど、もう私が降りないといけない。 通路側に座ってた私は、先輩越しに停留ボタンを押した。その時、先輩がこっちを見て眼が合う。先輩が考え込むように眉間にシワを寄せたように見えた。 淡い期待が、胸の中でじんわりと熱を持つ。 ――けど、思い出してもらえなかった時の落胆も眼に浮かぶようで。 私は、眼を逸らしてそそくさと席から立ち上がった。 バスを降りながら情けない気持ちで一杯になる。いつもそうだ。結果を知るのが怖くて先送りにして。 泣きたい気分で、私はバスを見上げ――瞬きをする。先輩の姿がなかった。何度も見直している内にバスは行ってしまう。 背後でじゃりっ、という足音が聞こえた。振り返ると、バスの中にいるはずの先輩が立っていて。 「入学式の時、転んでた子だよね?」 そう、柔らかい笑顔で言った。
――それから。 つっかえつっかえの私の話を、先輩は根気良く聞いてくれて。先輩が私の事を気にしてくれていたのを知って。思いがけず家が近かった事も分かって。 先輩の隣を歩きながら私は思う。 きっかけなんてほんの些細で、難しい事なんて何にもなかったんだ――と。
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