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クリエイター名 |
神楽 |
サンプル
鳴り響く鐘の音は死者を誘う道標のように遠くへと消えてゆく。 そして、また一つ。鐘が鳴る。 泣くだけ泣いてしまった瞳からはもう涙も声も零れなかった。 周囲から漏れる聞こえる嗚咽に心は哀しんではいるが、表情は変わるはずもない。 黒い服装を纏った人々は一様に顔を伏せ、死者を弔う。しかし、一人だけ…。 空を仰ぎ、目を閉じる青年。 澄ました耳に入ってきたのは醜い嗚咽ではなく、清らかな少女の声だった。
『お兄ちゃん……』
暗闇に現われたのは愛くるしい笑顔を見せる妹。 唯一の肉親であり、大事な宝物。 頬に触れようと伸ばした手はその肌を通り抜け、宙を彷徨った。 『お兄ちゃん…無理だよ。私は――』 「誰が信じるかよ……」 睨み付けるような視線に少女は目を伏せた。 「お前はここにいるだろう? さぁ、家に帰ろう」 少女に向かって手を伸ばすと、青年は優しく微笑んだ。 『お兄…ちゃん…』 瞳に哀しい色を浮かべる少女はしばらくして首を横に振った。 『出来ないの…』 「なんでだよ! お前は――」
『バカな兄貴だね〜♪』
「誰だ!!」 妹の背後に現われたのは白く長い髪をなびかせた女性だった。 白い肌に浮かぶ赤い瞳が印象深く脳裏に焼きつく。 「誰でもいいでしょう? それより最後くらいこの子を困らせるんでないよ。折角、挨拶させてやってるんだから、大人しく噛み締めるとか出来ないのかい!!」 「はぁ!? なんで見知らずの人間に説教されなきゃなんねーんだよ!!」 「はぁ〜ぁ。ホーントッ、お馬鹿ちゃんだね〜♪」 女は人差し指を青年の前に突き出すと数回横に振り、最後は青年の鼻をピンと弾いた。 「いてっ! 何すんだ!」 「あんたが現実を認めないから、妹が死に切れないっていってんのよ!」 「な……」 青年は驚いた表情のまま、しばし固まった。 「あんたの強い想いが、この子を縛ってるの…」 「…っ……」 女の言葉に青年は小さく震えていた。顔には悔しさを浮かべ、手をきつく握り締める。 「まぁ、いきなり妹が目の前で死んだら、誰だって現実を認めたくないのは当然よ。でもね――」 女は音もなく動きだすと、瞬間的に青年の背後に立った。 「――っ!!」 「…遅いわ」 振り返った青年の目に映ったのは、ナイフを握り締める女の姿だった。 『や、やめてっ!!』 女は必死に叫ぶ少女をちらりと横目で追い掛けたが、すぐに視線を青年へと戻し不適な笑みを浮かべた。 「あんたの望み、叶えてあげる☆」 楽しそうに発した女の言葉に背筋が冷える。 感情の感じられない冷静な声に手足の先が痺れていく。 「おま…え……」 女の目が強く光った瞬間、ナイフを握った腕を大きく振り上げ、そのまま――。 スローモーションのように振り下ろされる腕に逃げようとするが、足は固まり動くことすらままならない。 青年は腕を顔の前で交差させると目を閉じた。
……………。 ………。
聞こえてくるのは静寂のみ。しかし、予想していた痛みはいつまで経っても訪れる気配はなく、拍子抜けしてしまう。 「…っ……あぁ?」 そっと目を開けると、切っ先は喉元に着く寸前で止められていた。 恐怖からの解放と安心の訪れに、青年は膝から落ちるように座った。 泣き叫んだ少女が駆け寄り、彼の体をぎゅっと抱き締める。 「うふっ……恐怖の淵を味わった感想はどう?」 「なんの…つもりだ……」 睨むように見返すが女は怯む様子はない。むしろ、ナイフを引き戻すと意地悪な笑みを青年に向けた。 「あんたがしようとした事を代わりにやってあげただけよ…」 「…それ…は…」 『お兄ちゃん……どういうこと?』 問い掛ける妹の声を避けるように、青年は口を閉じた。 「こいつはね、あんたの後を追おうとしてたのよ…」 『えっ……』 目を丸くした少女は視線を女から兄へと移した。 『お兄ちゃん……』 「………」 兄は俯いたまま、座り込んでいる。 『バカーーー!!』 「!!!」 耳を押さえ青年が振り返えると、そこには泣きながらも、怒っている妹の姿があった。 『お兄ちゃんが死んだって…私、嬉しくない。お兄ちゃんには私の分もいっぱいいっぱい生きてほしいの…』 「………」 『ね? だから――』 「はぁ〜。……お前は何も分かってないのな…」 『えっ?』 青年は少しはにかむと、少女を見上げた。 怒っていたはずの妹は瞳に涙を溜めたまま、きょとんとした表情をしている。 「お前の居ない世界に生きてたって…しょうがねーだろう…」 手を伸ばし、少女の瞳に浮かぶ涙をそっと拭う。 「なるほどっ…。そういう事ね…」 女はクスリと微笑むと二人から少し離れた。 『お兄ちゃん?』 「同じところに行こうと思ってたけど、お前がそう言うなら、死ぬのは止める」 『お兄ちゃん!』 「約束だ…」 青年が小指を差し出すと、少女が自分の指を絡めた。
「さて、これだけサービスしたのよ? もう充分でしょ?」 「…そうだな」 穏やかな表情の青年に女は少しお節介かなと思いつつも声を掛けた。 「いいの?」 「…何がだ?」 「あんたの気・持・ち」 「………」 一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに彼は笑った。 「別に。あんたには関係ないだろう?」 「まぁ、そうなんだけど。ヌフフッ…他人の色恋は蜜の味ってネ♪」 「ハハッ、なんだそれ…。くだらない事言ってねぇで、早く行け!」 青年はやれやれと言った表情で手で追い払う仕草をした。女は苦笑いを浮かべながらも“はいはい”と返事をすると、少女の傍に戻った。
「で、あんたの方は大丈夫なの?」 『はい、大丈夫です!』 彼女の笑顔に隠れた名残惜しい感情に気が付いたが、それ以上の世話は違反行為となってしまう。 女は一瞬の情に流されそうになった理性を引き締めると、少女の背中に腕を回した。 「それじゃあ、行きましょうか」 『はい!』 二人は青年に背中を向けると、ゆっくりと歩き出した。 数歩進んだところで…。 「あっ。そうだ!」 女は足を止めた。それに習うように少女の足も止まる。 『どうしたんですか?』 「う〜ん。ちょっとね♪」 不適に笑む女の表情に少女は何か嫌な予感を覚えた。 だが、それを訪ねようとする前に目の前から彼女の姿は消えていた。
「なんだ? まだ何か用か?」 戻ってきた女に首を傾げる。 忘れ物という訳でもなさそうだが――。 「さっき、アタシが誰か聞いたわよね?」 「は、はぁ!?」 何を言っているのか分からないという表情で青年は女を見上げている。 「今日は気分がイイから教えてあげるわ。アタシはね――」 女は青年の耳元で何かを囁くと、そのまま無防備になっている頬にキスをした。 「〜〜〜〜〜!!!!」 一気に顔を赤らめた青年は言葉にもならない声を発する。 ちょっとした悪戯に女は舌を少し出しおどけてみせる。 そんな二人の様子が可笑しかったのか、少女はケラケラと笑い声を上げた。 「さぁ、行きましょうか!」 『うん。それじゃね…お兄ちゃん』 「あぁ…元気でな…」
瞼を開くと、雲ひとつない青い空があった。 太陽は少し西へ移動し、あたりはやや赤味を帯び始めている。 参列者達は既に帰ってしまい、青年は一人、墓石の前に座っていた。 「…約束は守るよ…」 そう呟き、青年は祈るように瞳を閉じた。
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