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クリエイター名 |
並井澄 |
サンプルノベル<箱庭の中の箱世界>
目の前にある大きな箱と小さな箱。 さぁ、どちらを選ぶ。 そう突きつけられ、私は黙り込んでしまう。
大きく煌びやかな箱には無限の夢が、小さく丈夫な箱には平凡な安定が。 こちとら商売人、次のお客もいるんだ早くしておくれい、と下衆な笑いで女が誘う。 大きな箱に右腕預けてもたれ掛かって、左手で小さな箱を弄ぶ。 遊女の如く、猥らな指の動き。
阿呆、早くしろと、後ろからどすの利いた声がかかるので、私はおどおどと小さな箱に手を伸ばす。 と、女はけたけたと笑った。
「あぁ、嫌だ嫌だ。何も考えずにそれを選ぶ。後で後悔したって知らないよ」
それではと大きな箱に手を伸ばすと、それはそれで女は同じ台詞を吐いた。
「どちらにしたって同じさ。ほら、決まらないなら帰った帰った」
女の嘲笑う声と後の男の目を血走らせて焦る様子にはじかれるようにして、私は行列から横に出る。 気づくとその列はもう何処ぞの長城宜しくながながと続いているのだった。
「決まらなかったんか」
掠れた声に私が振り向くと、段ボール箱の中に身を屈める男が一人、 年の頃は私と同じだろうが私よりずっと、すっきりした顔をしている。 段ボール男は行列を初めから終わりの方、もうとっくに末尾など見えやしない、を見やってひひひと笑うので、私は何故笑うのか、と問うた。 段ボール男は私を見て、首を傾げる。
「笑わんのか、お前は。あんな風にして一生を選ぶ輩の愚かさを」 「けれどそれが普通でしょう。私の友も、既に箱を選びました」 「ほうか、それで一年。箱に入る前に泣きながら遊ぶんやね。それで君も箱を選びにきた」 「父も母もそれが当然と言います。私もそう思います。それが社会というものでしょう」 「お前それをどこで教わったんね。気色の悪い。そしてじゃあ何故列を抜けたんね」
段ボール男は不思議そうにそして怪訝そうに私を見るので、私は逃げるように視線をその列に向ける。 眉間に皺をよせ、頭を?き毟りながら列に並ぶ人。
ふと先頭を見ると、先程私を追いやった男が箱を選んだところだった。 小さな箱、大きなリュックサックを背負った男の全身は箱に収まりはしないので、 男はしばらく悩んで――私と同じように箱売り女と後ろに並ぶ男になじられてから、とうとう荷物を捨ててしまった。 そうして男は箱の中に足を入れた。 窮屈さに顔を歪めながら、膝、腿、腰、やがて肩まで箱に埋まった時、男の目が私を射抜いた。
「お前の負けだ!」
男はそう叫んで、箱の中に消えた。 私は耳を塞いだが、間に合わず男の叫び声を頭で何度も反芻しながら、隣の段ボール男を見やる。 彼はさほど気に留める様子もないのが不思議であった。 気にしないのか、と問うまでもなく、段ボール男はけたけた笑う。
「あいつは埋もれよった。それで勝ちとは笑わせる」 「彼を笑わないで下さい」 「お前も俺と同じやないの。箱の選べぬ、爪弾き者や」 「しかし貴方はその箱を選んでいるじゃないか。箱に入っていることくせに、彼らを笑っていい気になるな」
段ボール男は何も言わなくなった。 私は行列の後ろに目を向ける。 まだあどけない、安心しきった顔で友人と談笑する少年少女男と女。 私はどくどくと心臓が走りだす焦りを感じた。 私は行列を抜けてしまった。 並び直すとしたら、私はあの果てしなく遠い最後尾まで走らなければならないのか。 それともこのまま、生身一つで生きていくのか。箱無しで。
「箱に全てを求めるんじゃないよ、あたしは箱をくれてやってるだけさ。それがあんたを守るとは、一言も言っちゃいないのよ」
箱売り女はそう言って、次の客へ大きな箱を渡した。 髪を金に染めた女が、周りを二、三度見渡してからそれに入る。 女の小さな体はあっという間に大きな箱に収まり、すると大きな箱は風に巻き込まれて空へと舞い上がって飛ばされた。 私はそれを眺めながら、心臓がまたも逸るのを感じた。 しゃがみ込み、胸を押さえる。 どくどく流れる血の音に、私は狂いそうだった。
急がないで、急がないで。 私はどうすればいいのだ。 何処へ行けばいいのだ。 あぁ、あ、 箱が、 無くなるよと急かさないで。 私は。
私は箱の中にいた。 白い箱。空気穴も何もない、密閉された箱の中。 閉じられた箱の中で、私は小さく身を屈め耳を塞ぐ。 母の泣く声がした。 父の怒鳴る声がした。 私は小さな箱を選ぶべきだったのか? それとも大きな箱を選ぶべきだったのか?
少なくともこんな風に身動きの取れない、蓋の閉まった箱に入ることは望んでなどいなかった。 誰も望んでなどいない、なのにどうして私はここにいるのだ。 私は。 箱に縛られた人を嘲う、段ボール箱に入りたかったわけじゃない。 私は私のままでいたかった。 外に出たい、本当は私は、外に出たいのに。 箱が私を縛り付ける。世界は何と窮屈な箱だ。
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