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クリエイター名 |
並井澄 |
サンプルノベル<少女保護職(国家公務員)とあたし>
そいつはあたしのために作られた「人間」だった。 そんなこというと、またあたしが妄言を吐いていると言われるかもしれないけど、 向こうが言ったんだからしょうがない。 そいつは二十台か、三十台前半といったところかしら。 短い黒髪がまだまだ瑞々しく、生きた人間であることを主張している。 普通こういうときはロボットだとかそういうものになると思うのだけど、
「今日から彩さんの安全を守るために政府の命を受けてやってきました。麻生博と申します。 よろしくお願いいたします」
彼はそう言って、右手を差し出す。 握手、という意味だろうか。 あたしはそれを乱暴にはたいてやった。 パシン、といい音。確かに、鉄では出来てないみたい。
「別にいいわ、必要ないもの」 「けれど私は政府から……」 「何でそんなことする必要あるのよ」 「先日の事件がありましたでしょう」
それでわかるだろう、と言いたげな様子に腹が立つ。 だけど、分かってしまう。それだけ大きな事件だから。
ここ数日、あたしの住む町では十人の女子高生が殺されている。 あたしと同じ学校の人も、四人いる。 皆、普通の子だった。 そう何より恐ろしいのが、何故彼女達が殺されなければならなかったのか、 それが全く想像できないことだ。 不良少女が非行の末に、出会い系サイトに引っかかって、はたまた恋愛関係のトラブル、といった話もも聞こえてこない、 いたって真面目な子ばかりが無残な姿で殺されてしまったのだから。 次は誰が? そんな風に皆おびえている。
「そこで、生徒の安全確保のための対策として、私どもが遣わされております。 彩さんだけでなく、この町の全ての女子学生のもとに我々は……」 「ばかばかしい!」
あたしは吐き捨てるように言った。 黒いスーツに身を包んだその男は、あたしより頭二つ分高いところで目を丸くする。
「え?」 「何でそんなことに税金使ってるのよ、下らない。 あんた、どこの所属なの。防衛庁? 総務省? それとも自衛隊? アメリカ海軍?」 「その辺は一切をお話しできないことになっています」 「そんな人間をどうやって信じろって言うのよ!」 「しかし、それは国家機密で」 「うるさい!」
手の届く限りのものを掴んでは、あたしはそいつに投げつけた。 とはいえあたしはベッドの上だったからそんなに大層な、そしてろくな凶器はなくて、 だけどあたしは手当たり次第に投げた。 もふもふのぬいぐるみをたくさんと昨日読んだ本と雑誌、それから……、
ガシャンッ!
耳を引き裂くような音に我に返ると、あたしをじっと見つめている麻生の目があった。 彼は小さな兎のぬいぐるみを抱いている。四番目にあたしが投げつけたものだ。 何か言わなければいけないだろうか。 あたしが言葉を迷っていると、白い兎の目尻に、ぽたりと赤い雫が落ちた。
「――あ」
あたしは思わず後ずさる。 そこで、さっき彼が開けた扉が、閉じられているのに気が付いた。 開かれた世界は、またいつもの日常を取り戻した? けれどそれにしては落ち着かない。それはそうだ。 恐る恐ると、あたしは兎のぬいぐるみから視線を上げる。 想像に容易いことで、そしてそういうことはやはり的中する。 けれど、それだから動揺しない、というわけではなくて。 額から血を滴らせる麻生に、あたしはひ、と小さく息をのんだ。 彼の足元に、バラバラに割れたガラスの破片が飛び散っている。
「あ、あの」 「動かないで」
麻生はそう言うと、上着のポケットからビニールのような袋を取り出して、 ガラスを丁寧に片付けて入れていく。 あたしはその指の動く様を見つめていた。 何をしていいかわからず、ただただ、居心地が悪い。
「ごめんなさい」 「いいえ。こちらこそ、突然ですからね。きっとどの家でも同じようなことが起きてますよ」 「そうかしら」 「そうですよ、むしろ驚いたくらいです。 彩さんのお母様はとても快く私を迎え入れてくださいましたから。 正直、私は怯えていたんですよ。早めに仕事に就いた友人からいろいろ聞かされてましたしね」 「色々って?」 「ご両親から罵られ、塩をまかれ、場合によっては殴られたり。 あぁ、これは一応秘密ですよ。マスコミに嗅ぎつけられると面倒ですから」
そう言う間に麻生はすっかり床を片づけてしまって、均整のとれた長身を伸ばした。 指仕事に見とれていたあたしは少しがっかりした。
「でも仕方ありません。突然のことですし、説明が足りていませんから。申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる麻生に、あたしは慌てて首を振る。 謝られることに、あたしはとても弱かった。
「ごめんなさい。でも、あたしの所に来ても無駄だと思う」 「どうしてですか?」 「あたし学校に行ってないの。家からもほとんど出ない。だから、無駄よ」
もしかして。 もしかしてお母さんが麻生を快く迎えたのは、そんな期待があったんじゃないだろうか。 彼に連れられて、あたしが学校に行くようになるんじゃないかって。 得体の知れないものを見るように、あたしを遠くから見るお母さん。 時々、そんなお母さんが、お父さんと激しい口論をしているのをあたしは知っている。 お母さんもお父さんも、あたしを全く分かってない。 理由なんてないのに。だから怒っているのかな。 あたしはずっと、理由なく部屋に閉じこもっている。 あたしなりの理由ならあるけど、それは誰も理解してくれない時に耐えられないから言わない。 そんなあたしをお父さんもお母さんも、誰も理解してはくれない。
塩をまかれるのは、あたしの方だ。 だから彼は難なくこの部屋に入れたわけだ。 あたしはまた頭の中がぐちゃぐちゃと散らかっていくのを感じた。
血のにおいが鼻を突く。 そうだ。 あたしは慌てて、タンスの二番目の引き出しを開ける。 そして真白いハンカチを取り出し、彼の元へ歩み寄った。 使ってくださいと差し出すと、麻生は少し困った風に笑った。
「汚れてしまいますから。大丈夫ですよ」 「別にいいわ」 「ですが」
遠慮する麻生に無理やりハンカチを押し付け、代わりに兎のぬいぐるみを取り返した。 目の下に付いた彼の血が、黒く変色し始めている。
「あたしかもしれないよ」
喉の奥から黒い霧が噴出しそうで、酷く具合が悪かった。 それは吐き気に似ている。空っぽの胃袋から逆流したのは言葉だった。
「え?」 「あたしかもしれない、女子高生を殺したの。ねぇ、あたしかもしれない、 あたしみたいな、こんな愚図だから、誰も殺されるなんて思わなかったのよ。 だからあんなに無抵抗に殺された。ねぇ、あたしかもしれない、 寝てる間に動き回って、殺してしまったのかもしれない、どうしよう」
一度蓋を開けたら、もうすっかり止まらなくなってしまった。 呼吸をするのも忘れて、あたしはひたすらに口を動かし続ける。 ずっと思っていたことだ。 だけど誰にも言わなかった。 聞いてくれる人は誰もいなかったし、聞かせていい人は誰もいなかった。
そうしてあたしが黙ったのは、体内の酸素がほとんど枯れてしまってから。 ぜぇぜぇと息をするあたしを、麻生は黙って見守る。 沈黙の間、あたしは麻生の顔が見れなくて、ずっと下ばかり見つめていた。 頭が朦朧として、白い世界が幾度と波打った。
「困ったことにですね」
麻生は少し困惑した様子で話しだす。
「こういった場合のマニュアルは、私には渡されていないのです。どうしましょう」 「どういうこと?」 「私は彩さんの身を守るために遣わされたので、 例えば彩さんの身に危険がせまったときであるとか、 そういった時には即座に対応することができるのですが……こういうときはどうしたらいいんでしょうね」 「警察に突き出せば」 「ですが、まだ彩さんが犯人とは確定できません。 そんな状況で警察に引き渡すなど、むしろ私が『危害を加える者』になってしまいます。 若者の健全な精神を育む過程における損害は、重大な国家犯罪に当たりまして……」
とても長くなりそうな話だった。 どうもこの後も麻生の話は続くようなのだが、 彼の声は尻切れ気味にどんどん小さくなって、次第には消えてしまう。 けれど麻生の方ではそのまま続けているようで、右手を顎に当てたまま何やらぶつぶつと口を動かしている。 あたしには全く分からない。
「……いや……しかし……すると……」 「あの」
麻生は答えない。 集中すると周りが見えなくなる類の人間だろうか。 そして、どうも彼には応用力というものが欠けているように感じた。 『お役所仕事』ってこういうことかな。 「あたしは健全な精神なんて持ってないよ!」と言いたかったけれど、 聞いてもらえそうにないので(もしくは変な理屈でやりこめられそうなので)止めた。
十分後、ようやく麻生の中で結論が出たようで、その合図に彼はパチンと両手を鳴らした。 すっかり疲れて布団に寝転んでいたあたしは、重い体を起こしてやる。
「こうするのはどうでしょう!」 「どうするのがどうなのよ」 「しばらくの間、私がこの部屋に住みます」 「……は?」 「それで、彩さんが寝ている間を私が見張っていればいいんです。 そうすれば、彩さんが犯人かどうかもわかりますし、ひいては彩さんの身を守ることもできます。 むしろ、二十四時間守れます、一石二鳥ですね!」 「ちょ、ちょっと待って!」
突然の提案に、あたしは思わずベッドから飛び上がった。
「何でしょう」 「何でしょうって! この部屋って、ねぇ、あんた住むの? ここに、住むの?」 「あ、ご安心ください。永住というわけではありません、事件解決までです」 「ご安心できるか! 何それ、意味分かんない、ねぇほんと意味分かんない!」
さっきよりもずっと混乱して、それこそ物を投げつけてやりたかったのだけれど、 残念なことにベッドの周りの何から何までが麻生の足元にあった。 唯一手元に兎のぬいぐるみだけがあったけど、何故かこれは投げたくない。
「お母さんだってこの部屋入ってこないのよ!」
入ってくるな、とあたしが暴れているからだけど。
「大丈夫です、危害を加えたりしません。国家に誓って、私は彩さんを守ります」 「誓っていらん!」
こうなると、麻生は全く聞き耳を持たなかった。 あたしが何を言っても無駄で、 というか、きっちりと返答はしてくれるのだけれどそのどれもが微妙にずれていた。 (後で聞いた話によればこれが彼の初仕事で、仕事に対する熱い情熱とやる気が見事にからから回っていたわけだ。) しかも驚くことにあたしの両親は、彼の提案を飲み込んでしまったのだ。 もちろんはじめは、お父さんもお母さんも戸惑って、当然のごとく反対したのだけれど。 だけど国家という言葉に至極弱い大人である二人は、 麻生が国家から正式に派遣された人間であるという証拠と、 何かあったら国が全面的に保障しますという言葉と、 そして麻生の額に貼ってある大きな絆創膏を見ると、 互いに顔を見合せてそして頷いたのだった。 まったく、テレビや雑誌を通した国家に対しては悪態しかつかない癖にいざ目の前にするとこうなんだから。 と思う一方で、やはりお父さんもお母さんも、 あたしを恐れているのだろうなと思って、 また胃の中でじわじわと膿が湧くのを感じた。 というよりそれが普通なのだろう、皆あたしとは合わないし、理解してくれない。 あたしもあたしが理解できない、だから怖い。 なのに、どうしてこの麻生、のうのうと押入れに部屋を仕立て上げられるのだろうか。
「どうですか」
得意げにあたしに披露したのは、 卓上照明やら本やら大きな鞄やらでリフォームされたあたしの押入れ。 布団はそのまま入れてあるので、多分そこで眠るつもりなんだろう。 内装のポイントを嬉々として説明する麻生に、あたしは何を言っていいかわからない。 ただ、彼がそう言って笑っているのを見たとき、 一瞬でも胃の中の膿が引いた気がして、それが少し不思議だった。 で、結局。国の国のって、具体的にはあんたどこの所属なのよ。 防衛省? 総務省? それとも自衛隊? アメリカ海軍? ていうか……、
「ねぇ」 「はい?」 「あんた、やっぱロボットなんじゃないの?」
その日からしばらく、奇妙な同居(もどき)生活が始まった。
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