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クリエイター名 |
待雪天音 |
Sample-1---イントロダクション
ちりぢりの雲間からは、丁度夕日が沈んでいく所だった。 もうすぐ、その闇には仄白い月が浮かび上がるのだろう。 キッチンの窓辺に椅子を引っ張ってきた男が、短い黄昏時を憂うかのように頬杖を付いた。窓枠の狭い隙間に肘を付いて、ガラス玉のような瞳がマゼンタに染まる空を見つめる。 燕尾服に白手袋の見てくれとは裏腹な、何とも紳士らしからぬ様相で、だ。 その傍で、アーガに薪をくべる女が歌う。 「ひとりの男が死んだのさ。とてもだらしのない男。お墓に入れてやろうにも、何処にも指が見付からぬ」 薪に火を付けながら、二十ほどの齢の女は口ずさんだ。声は透き通り、まるで森の風を思わせる美しさだろうに、歌詞のおどろおどろしさが素直な彼女への賞賛を呑み込ませる。 「おい」 「なぁに? カーティス」 無言で聞いていた男が、たまりかねて女性を呼び止めた。 一瞬だけ歌を止めて、女は男へ振り返る。 けれどカーティスと呼ばれた男が口を閉ざすと、女の手は再び作業へと戻っていく。ふっくらとした唇は、さきほどの歌を口ずさみながら。 「………、メアリー」 再び口を挟んだカーティスは、今度は女の名を呼んで制止に入った。 「さっきからどうしたの? お腹でも痛くなった?」 「俺はガキか。そうじゃなくてな? その歌を口ずさみながら薬を作るのはどうかと思うぞ?」 女性の間の抜けた回答に、青年は思わず肩を落としながら否定の色を示す。 やがて溜め息混じりに落とされた彼の言葉に、しかしながらメアリーはまぁ、と驚いたそぶりで返した。 「子供だって歌っているわ。ナーサリーライムはこの国の歴史よ?」 「そんな歌を歌いながら薬を作るから、お前はロンドンの魔女なんて呼ばれてるんだろうが」 うんざりしたような彼のぼやきは、無情に室内へ染み入る。 腰に手を当てた女の掌には、火にかけた釜の中に放られるのであろう薬草。 彼女から視線を外そうとして、しかし男はふと扉の方へ視線を向けた。 薪のはぜる音と、二人が動く度に聞こえる衣擦れ。それ以外の何かを、耳にした気がして。 「それに、きちんとお客様も来るじゃない」 ふふ、と微笑んだメアリーは、手にしていた薬草を籠の中へ戻してこの部屋唯一の扉に手を掛けた。 ノブが回されて、古い木の軋む音と共に開かれた扉の向こうへ笑顔を投げかけて。 「さぁ、お客様。貴方のご依頼、伺いましょう」
End
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