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クリエイター名 |
岩井恭平 |
サンプル
『天才どんぶり』
『世界ビックリ天才大集合〜!』 午後七時の時報と同時に、マイクを通した高い声がスタジオに響いた。 観客のおざなりな拍手をうけ、数台のカメラが司会役の男女にアップに迫る。 『さあ、始まりました! 世界中からあらゆる分野における天才を探しだし、紹介していこうというこの番組!』 『今回は、なななんと! スペシャルで二時間、たっぷり生放送でお送りします! 楽しみですね〜』 『今日、集まっていただいたのは、いつもよりもさらに選りすぐりの天才たちです! ゲストにはいつもの解説者と評論家に加え、アイドル歌手の……』 華やかなライトで照らされた舞台では、次々と見覚えのある顔が紹介されていく。アイドル歌手だけでなく、スポーツ界やお笑い芸人など有名どころが並んでいる。それだけで、この番組がそれなりに視聴率を獲得していることが分かる。 『ええ、私、今日はすっごく楽しみにしてるんです〜。あ、なんだか今から緊張してきちゃった。もうドッキドキです〜』 コメントを求められたアイドル歌手が、大袈裟な身振りで体をくねらせる。観客席から、おもに男性客の歓声が上がる。 生放送だけあって、舞台上のテンションはかなりのものだった。 出演者だけでなく、カメラマンやアシスタントディレクターなどスタッフ陣も忙しそうにスタジオを駆けめぐっている。 「もうドッキドキです〜」 舞台からやや離れた場所で、少女の声が上がった。 ライトで照らされた観客席やステージとは対照的に、舞台裏ではまさに修羅場が繰り広げられている。 「おい、こっちに音声まわせ! ゲストの音がとれねーぞ!」 「あと三分で最初の出演者だすぞ! おまえ、楽屋に行って出演者呼んでこい!」 「すみませーん、丸山事務所ですけど、次のCMでゲストのドリンク換えてもらえませんかー。うちの子、コーヒー嫌いなんですよー」 スタジオが広いといっても、面積の大部分は舞台セットでいっぱいだ。出入り口付近のスペースには、モニターや照明道具、予備のマイクや出演者用の小道具などがところ狭しと置かれている。 そんな舞台裏で、周囲の無秩序状態から免れている一角に一人の少女がいた。 小さなモニター画面を正面に、安っぽいパイプ椅子に座っている。 「もうドッキドキです〜」 無表情に、少女がまた繰り返す。 おかっぱ頭に白い顔、そして目尻に浮かんだ小さな涙黒子が印象的な、小柄な少女だ。黒いワンピースを身に纏い、行儀良く足をそろえて椅子に座っている。 「もうドッキドキ……」 「ねえ、キミ、さっきからなにしてるの?」 横から声をかけられ、少女は顔を上げた。 忙しい周囲に浮かび上がるように、タキシードに身を包んだ少年が立っていた。美形だが気の弱そうな、いかにも育ちがよさそうな少年である。 「練習しててん」 真顔で、少女は言う。 少年は突然の関西弁に驚いたようだ。しかし興味をひかれたのか、近づいてくる。 「練習? なんの練習してたの?」 「アイドルになる練習」 「へえ、キミ、アイドルになりたいんだ」 「ううん、あたしくらい可愛ければなれるかなぁ思ただけや」 言って、少女はモニターへと視線をもどす。画面の中では、一人目の出演者が紹介されているところだった。向こうに見えるステージから、観客の拍手が上がる。 「へ、へえ、自信あるんだね」 「うん。せやから邪魔せんといて。もうドッキドキ……」 「ねえ」 「なんやねん」 少女――志之原千衣(しのはら ちい)は、ちょっとだけ眉をひそめて少年を見上げた。それでもほとんど表情に変化が出ないのは、生まれつきの性癖である。 「ご、ごめん」 千衣に睨まれ、怯んだ様子の少年が謝る。 「ひょっとしてキミ、出演者の一人なのかなって思って」 千衣は少し考え、答える。 「あたしは、最後のほうの『天才暗算少女』っていう――」 「あ、それ、台本で見たよ! 十桁の計算を暗算でやるんだろ? すごいなあ」 「そっちだって、すごいやん。十五歳なのに海外でマジックショーをしてはるんやろ? あたしと同い年なのに、たいしたもんや」 「え……」 少年の表情が固まる。 舞台から大きな歓声が上がった。 千衣が少年から視線をはずすと、一人目の出演者である『天才曲芸師』とやらが細い竹の棒の上に倒立した場面がモニターに映し出されていた。 少年が困惑した声でたずねる。 「僕のこと、知ってるの?」 「タキシードなん着てるんはマジシャンか詐欺師だけって昔から決まってん。台本にプロフィールが書いてあったし。たしか米沢光太郎(よねざわ こうたろう)やったっけ」 「なんだ、そうか、びっくりしたあ」 大きく息を吐きながら、十五歳の天才マジシャン、米沢光太郎が笑みを浮かべる。 「ダメだよ、マジシャンを驚かしちゃ。こっちの立場がない」 「修行不足やね」 「はは、まいったなあ。じゃあ、ちょっとだけ仕返ししちゃおうかな」 「仕返し?」 モニターから顔を上げた千衣の視界を、光太郎の形の良い両手がふさいだ。 少年の右手と左手は滑らかに、しかし素早く動く。一瞬、両の手が交差したと思った次の瞬間、両手の指の間に合計で八つのコインが現れた。 「わあっ」 「まだまだ」 手を引いた少年の表情は、オドオドしていた先ほどまでとはうって変わっていた。相手を挑発するような笑みを浮かべつつ、両手がまるで別の生き物のように動かす。 ほんの一瞬だけ指を折り曲げるたびに、一つずつ手の中からコインが消えていく。すべてのコインが消えると、なにかの呪文を口ずさみながら片手ずつ自らの肩へ触れる。 最後に両手を合わせたかと思うと、突然、手の中から一本の薔薇が飛び出した。 「お近づきのしるしです、お姫様」 少年から薔薇を受け取り、千衣はペコリと頭を下げる。 「おおきに」 「どういたしまして。おっと、そろそろ僕の出番みたいだ。あのさ、せっかく会ったんだし、番組が終わったら――」 「でも、やっぱり修行不足や」 「え?」 千衣は薔薇を胸のポケットにさしながら、淡々と言う。 「最初のコイン、ちょこっとだけ重なった両手の間に挟んであったコインを素早く掴んだのがちらっと見えたわ。一枚ずつ消えていく時も、たんに手の平の中へ隠してって、最後に肩に触って??いない?≠ルうの手からポケットに隠してったんやな。最後の薔薇もそうや。袖に仕掛けたゴムに小指をかけたのが分かったわ。ゴムと薔薇がつながってたんやな」 「……」 「あたしを誘うには、十年早かったみたいやな」 光太郎が絶句する。 だがすぐに、少年は大声を上げて笑い出した。 「あははっ! たしかに、キミの言う通りだったみたいだ。自分でも知らないうちに、調子に乗ってたみたいだよ」 光太郎は千衣に背を向け、舞台に向かって歩いていく。 「今度会う時は、驚かしてみせる。その時にまた、あらためてキミを誘うよ」 「大金持ちになってたら、考えるわ」 スタッフに誘導されて舞台へ向かう光太郎を、千衣は無表情に見送る。 『さあ次の出演者は天才少年マジシャン、米沢光太郎クンです。どうぞ〜!』 『きゃーん、かわいー!』 モニターの中で、アイドル歌手が両手を顔に手をあてて叫ぶ。 「きゃーん、かわいー」 千衣は無意識にアイドルの口調を真似る。 周囲のスタッフたちはあいかわらず忙しそうに動き回り、だれも千衣を振り返る者はいない。 千衣はしばらく無言で考えたあと、今度は両手をほっぺたにあてて言ってみる。 「きゃーん、かわいー」 「……それは、なにかの宗教的儀式か?」 「なんでやねん、失礼な」 思わずツッコみながら振り向くと、千衣のとなりに長身の女性が立っていた。 長い金髪をなびかせた、スリムな体型をした白人女性だ。深紅のパンツスーツに身を包み、細い煙草を口にくわえている。 「君も、出演者か?」 流ちょうな日本語で、たずねられる。男女の言葉遣いが使い分けられないのか男性のような口振りだが、どこか中性的な彼女にはよく似合っていた。 「あたし? あたしは――」 「待った、あててみせよう。初対面の相手を見定めるのは、得意なんだ」 千衣の言葉を遮り、女性は煙草をくわえたまま指を額にあてて考える素振りをみせる。 「手先が器用そうだ。それにさっきのような奇妙な行動をとるのは、芸術家に代表される人種に多い。わかった。私の次に出る天才メイキャップアーティストだな?」 「大ハズレや。ていうか、だれが奇妙な行動しとってん。アイドルになる練習やっちゅうねん」 「おかしいな。ワタシの勘はよく当たるんだけど」 言って、煙草をくわえた口を歪ませる。 「アンタは、次の出演者やね。天才ディーラーのメイヤ・フォウリーさん」 千衣の言葉に、白人女性の眉がピクリと反応する。 「……なぜ分かった?」 「出会い頭から相手を見定めたり、わざと自分を格好悪くみせて油断させるのはディーラーか借金取りだけと大昔から決まってんねん」 メイヤがおどけた態度で肩をすくめる。 「ズイブン大胆な見方だけど、その通りだ。頭の回転がはやいね。そういう人間はディーラーと借金取りには嫌われるよ」 「日本語が上手やね」 「カジノでは日本人は良いカモだからな」 観客席から、ひときわ大きな歓声が上がる。 モニターを見ると、マジシャンの米沢光太郎がシルクハットの中から白い鳩を出した瞬間だった。それも一匹や二匹ではない。次々と帽子の中から鳩が飛び出してくる。 『きゃー、すっごーい!』 「きゃー、すっごーい」 千衣は真顔でアイドルの口調を真似る。 それを見た女ディーラーが、白い煙を吐きながら気の毒そうな口調で呟く。 「なんていうか、君がアイドルになる確率はオッズが高そうだな」 「さっきから失礼やな。ケンカ売っとるのん?」 千衣が睨むが、メイヤは涼しい顔だ。 「そんなものを売ったことはない。私の商売道具は賭け事だけだ」 自分の言葉で思いついたのか、メイヤが形の良い唇を歪ませる。椅子に座っている千衣を挑戦的な視線で見下ろしながら、煙草をはさんだ指で持ち上げる。 「どうだ、ちょっとした賭けをしないか?」 「賭け? どんなん?」 「簡単さ。このスタジオの出入り口が見えるだろう? あそこから次に入ってくる人間が男か女かを当てるんだ。君から決めていい」 メイヤが指さした先を見ると、雑然とした舞台裏の向こうに廊下へと続く出入り口が見えた。千衣はこっくりと頷く。 「ええよ。ほんなら……」 千衣が思案していると、出入り口付近から「次の出演者、入りまーす」というスタッフの声が聞こえてきた。 千衣は女ディーラーを向き直り、言う。 「怪物や」 メイヤが訝しげに眉をひそめる。 「カイブツ……? モンスターという意味か? 男でも女でもなくて?」 「うん。あそこから次に現れるのは怪物や」 煙草をくわえたメイヤの口から、白い雲が伸びる。 「はは、面白いな。それなら私は、普通に男性と言っておこう。個人的にはあそこからモンスターが現れるのを見てみたい気もする……が……?」 言葉を終えないうちに、メイヤの目が大きく見開かれる。 がしっ、と力強い動きで、入り口の扉を大きな爪を生やした毛むくじゃらの腕がつかんだのだ。 次に現れたのは、蟹のように目玉が飛び出した人外の顔だった。のっそりと緩慢な動きで、怪物がスタジオに足を踏み入れる。毛むくじゃらの体に甲殻類の頭を乗せた、まさしくモンスターが登場する。 ポトリ。 メイヤの口から、煙草が床に落ちる。 「わあ、??スペース・トラベリング?≠フジオスター少佐や。あの映画、めっちゃ好きやねん。感動の対面や。あとでサインもらわな」 千衣の小さな拍手の中、ぞろぞろと異形の怪物たちが舞台裏に乱入する。 口を開けて愕然としているメイヤ・フォウリーに、スタッフが駆け寄る。 「メイヤさんですよね。そろそろ出番ですので、準備おねがいしまーす」 しかし白人の女ディーラーは、まだ信じられない様子で千衣の顔を見下ろす。 「どうして……」 「メイヤさんが言うたやん。次の出演者は天才メイキャップアーティストやって。ジオスター少佐の特殊メイクをやってる人が出演者にいるて聞いててん」 「……こんなに衝撃的な負けは、生まれてはじめてだよ」 頭をふりながら、メイヤは何かを千衣に手渡してくる。 受け取ると、それは紙包みに入った小さなキャンディーだった。 「負け分のチップだ。ただのキャンディーじゃないぞ。私のプライドがぎっしり詰まってる」 「おおきに。アメはわりと好きや」 「君は良いギャンブラーになれるよ、天才暗算少女さん」 苦笑混じりに言い残し、女ディーラーが舞台に向かって去っていく。どうやら千衣の正体については、はじめから予想がついていたようだ。 「あたしはアイドルになる言うてるやん」 口の中でキャンディーをころがしながら、モニターへと目を戻す。 画面の中で天才ディーラーが紹介され、歓声が上がる。大きなテーブルが用意され、メイヤとゲストたちの前にトランプが置かれる。『天才ディーラーがゲストに挑戦! ブラックジャックで十連勝なるか!』という字幕が映し出される。 天才ディーラー、メイヤ・フォウリーが無事に役目を終えると、次に天才メーキャップアーティストが紹介される。 続いて天才ピアニスト、天才アーチェリー少女、天才マウンテンバイク少年など、続々と出演者が登場する。それら全員が、見事に自分の役割を果たしていく。 『きゃー、どの人もスゴすぎてドッキドキですー。次はどんな人か、たっのしみー!』 モニターの中では、あいかわらずアイドル少女が大袈裟な身振りで番組を演出している。いつどんな時もカメラの角度を意識しているように見えるあたり、この人物もある意味で天才といえるかもしれない。 「きゃー、どの人もスゴすぎてドッキドキですー。次はどんな人か、たっのしみー」 そして千衣は、あいかわらず一人でアイドルのマネをする。 当然のように、周囲の反応は皆無である。 「きゃー、どの人もスゴすぎてドッキドキですー。次はどんなひ――」 言葉の途中で、口をおさえる。目に涙が浮かんでいくのが分かった。 「うわ、舌噛んだんですカ? 痛そうですネ、大丈夫ですカ?」 前かがみになった千衣の顔を、一人の少女が覗き込んでくる。 黒髪を団子のようにまとめた、十代半ばに見える女の子だ。丈が短い、いわゆるチャイナドレスを着ている。東洋人のようだが、日本語のイントネーションがややおかしいところを見ると日本人ではないようだ。 少女が何者なのか、千衣は一目で理解した。 「ふひほふふへんははん?」 「何を言ってるのか分からないでスー」 ダンゴ頭の少女が首を傾げる。 千衣は口をおさえていた手をはなし、舌の痛みが引くのを待つ。チャイナ服の少女は、じっと千衣の顔を凝視してこちらの言葉を待っているようだ。 「次の出演者さん?」 千衣がようやく言葉にすると、少女は待ってましたとばかりに立ち上がった。 「そうでス! 私こそは中国秦時代から続く仙人の家系にして、現代に秘術を蘇らせし天才気功師!」 バババッ、とアクション映画の主人公のように手足を振り回し、最後の決めポーズなのか、両手を前に突き出した姿勢で大声を張り上げる。 「その名も、杏美玲(あん みれい)!」 「……ふーん」 イスに座ったまま、千衣は適当に頷いておく。胡散臭いなあ、と心中で思いつつも口には出さないでおいた。 すぐさま駆け寄ってきたスタッフが、美玲につめよる。「すみませーん、生放送中なんで静かにしてもらえますかー」「ご、ごめんなさイ。本番の前に練習しておこうと思っテ……」というやりとりが千衣の目に映る。 忙しそうに走り去るスタッフに何度も頭を下げてから、美玲は千衣に身を寄せてくる。 「今のアピール、どうでしタ? 小さい頃から憧れだった日本の芸能界に自分を売り込むため、必死で考えたんでス。このために日本語も憶えましタ」 「えらく俗っぽい仙人の子孫もいたもんやなあ」 ぼそり、と千衣が呟いた途端、美玲の顔色が変わった。すばやく身を遠ざけ、身構える。 「アナタ、私の気功を疑うんですカ?」 「ううん。べつにそんなつもりはないねんけど」 「いいエ、その眼は疑ってまス! 私の気功は本物でス! 私がエイッとやるだけで、たくさんの人が倒れまス! 私が気を送ると、その人は自分のこと猿や猫と思って動物そっくりの動きしまス! これから本番で証拠みせまス!」 肩をつかまれ、ガクガクと揺らされながら、千衣はポツリと呟く。 「ウソくさ」 「わーん! そういうアナタは何ができるんですカー!」 「あたしは……」 美玲にがっしりとつかみかかられた状態で、千衣はまわりを見回す。 舞台脇の石油ヒーター前に、レンガの瓦が十数枚も重ねられているのが目に入った。台本にあった、天才空手少女とかいう人物のために用意されたものかもしれない。 今は冬ということもあり、広いスタジオ内にはいくつもヒーターが焚かれている。暖房では追いつかないのだろう。レンガ瓦は、ヒーターの熱風だけでなく、そばに置かれた照明スタンドの光も一身に浴びていた。 千衣は、あることを思いついた。 「実は、あたしも気功師やねん」 「ウソをつかないでくださイ! ウソつきは猿にしちゃいますヨ!」 「ほんまやねんて。ちょっとはなしてくれはる?」 半信半疑といった顔の美玲から解放され、千衣はイスから立ち上がった。すこし離れた場所におかれたテーブルまで歩いていき、ドリンクの入った紙コップを持つ。口に含んでみると、よく冷えたミネラルウォーターだった。氷も入っている。 「なにをするんですカ?」 美玲の訝しげな声を無視し、紙コップを持ったまま今度はレンガ瓦の前まで歩いていく。 ヒーターで熱せられた空気と照明の熱が千衣の肌をジリジリと焼く。 自分の頭からヘアピンを抜き、コップにちょっとした細工をしてから、積み重ねられた瓦の上に置く。作業を終えた千衣は、美玲のもとへと戻りイスに座る。 「アナタ、本当に気功師なんですカ? とてもそんなふうには見えませン」 「アンタは大道芸人にしか見えへんけどな」 「わーん!」 また体を激しく揺さぶられながらも、千衣はレンガに向かって両手をのばす。 「今から、手を触れずにあの瓦を割ってみせるで」 「エ? そ、そんなのムリでス! ワタシだってそこまではできませン!」 美玲の動揺をよそに、千衣は前に出した両手に力を込めるフリをする。 「ん〜、はいっ」 千衣が気の抜けた声を出した直後、それは起こった。 バカンッ。 紙コップの下にあった瓦が、まっぷたつに割れたのだ。 「……!」 千衣をつかんでいた美玲の腕が、硬直する。 「ほいっ」 続けて、上から二枚目の瓦が割れる。 驚きのあまり、美玲は声も出せない。両手が小刻みに震えている。 「ん〜、とおっ!」 千衣の声に反応するように、三枚目の瓦が割れる。 ついにバランスを保てなくなり、紙コップが倒れる。ミネラルウォーターが瓦の上にぶちまけられた途端、すべての瓦が連鎖的に割れていく。 「ア……ア……」 千衣から腕をはなし、美玲が後退りする。腕の震えは、全身にまでひろがっていた。砕けた瓦と千衣の顔を交互に見つめながら、遠ざかっていく。 「杏美玲さーん、そろそろ出番でーす。あ、そこにいたんですか。もうすぐ出番なんで、こっちから登場してくださいねー」 「ああああア、悪魔でス! 悪魔があそこにいまス! あの見た目はちっちゃい小娘が、ワタシよりすごい気功を……!」 「なに言ってんすか、あの人は天才暗算少女の……って、もう時間ないんですから、こっち来てくださいよー」 泣きそうな顔で取り乱す美玲を、スタッフが二人がかりでひきずっていく。 「だれがちっちゃい小娘やねん。今度はアンタの頭割ったろか」 「ひィー!」 暴れながらも力ずくで舞台のほうへとひっぱられていく美玲を見送り、千衣は大きく息を吐いた。 「ふう、思ったよりうまくいったわ」 レンガ瓦の残骸を見ると、びしょ濡れだった床が早くも乾きつつあった。 千衣が一体なにをしたのか。 それはもちろん、気功などではない。固体の熱疲労を利用しただけである。 スタッフがおざなりに置いたのだろう、ヒーターの真正面に置かれ、さらに照明スタンドから放射される熱を浴びていた瓦は、かなりの熱を持っていただろう。そこへヘアピンで底に穴を空けた紙コップを置いたのだ。 紙コップからは少しずつ水がこぼれ、高温の瓦を冷やしていく。すると急激な温度変化に耐えられなくなった瓦が砕けるというわけである。固体が瓦のように薄く、液体が水のように透過性が強いもの同士だと、こういった反応はさらに起こりやすい。 しばらくモニターを見つめていると、天才気功師が紹介される。 どこかぎこちないながらも美玲が例の??自己アピール?≠?披露すると、たちまち観客席が爆笑の渦に包まれた。本人はいたって真面目なのになぜ笑われるのか理解できないらしく、困惑顔である。 『ウソウソ〜、体がひっぱられる〜』 美玲の秘術とやらで、アイドル歌手とゲスト数人が不自然な動きで床に倒されていく。八百長なのか、それとも美玲が外見とは裏腹に本物の才能を持っているのか、はた目には分からない。 「ウソウソ〜、体がひっぱられる〜」 例によって、真剣な顔でアイドルのマネをする千衣を振り向く者は、誰一人としていなかった。
『さあ、我々の想像をはるかに超える実力を見せてくれる出演者も、残すところわずかとなりました! 次の出演者は、どんな天才なんでしょう!』 『あーん、もうドッキドキ〜』 番組が終了に近づいても、アイドル歌手のテンションはいっこうに下がる気配を見せない。千衣は感心を通り越し、尊敬の念すら抱きつつあった。 「あーん、もうドッキドキやーん」 ただマネするのにも飽き、みずからアレンジを加えてみる。だがしっくりいかず、千衣は一人、首をかしげる。 モニターの向こうでは、これまで登場した出演者たちが階段状の舞台に座らされ、ぞくぞくと登場する後続たちの様子を見守っている。天才マジシャンの米沢光太郎や天才ディーラーのメイヤ・フォウリー、さらに天才気功師の杏美玲の姿もある。 「最後の天才暗算少女さーん、そろそろ出番でーす」 舞台裏に、スタッフの声が上がる。 しかし、千衣はモニターの前から離れようとはしない。 「あーん、もうドッキドキでんがな〜。……これは明らかに失敗やな」 「天才暗算少女さーん? どこにいるんですかー? 出番もうすぐですよー」 アシスタントディレクターらしきスタッフが、舞台裏を走り回る。 「あーん、もうドッキドキやっちゅうねん〜」 「天才暗算少女さーん?」 スタッフが千衣に近づいてくる。 だが、声を張り上げるスタッフは、千衣の横を素通りして上司らしき別のスタッフに駆け寄っていく。 千衣の視界の端で、二人のスタッフは何事か相談をはじめている。 すると、千衣の足元から唐突に小さな頭が現れた。 「お姉ちゃ〜ん」 「あ、万依。なにしとるねん、そんなところで」 スタッフたちから隠れるようにして、小柄な少女が千衣の脚にすがりついていた。 生まれつき茶色がかった髪はショートカットで、両耳の後ろでゴムでしばっている。白いワンピースは千衣と同じデザインで、小学校六年生の少女によく似合っていた。 千衣と似ているが、感情が分かりにくい彼女とは違い、目の前の少女は今にも泣きだしそうな顔だ。可愛らしい目には、大粒の涙が浮かんでいる。 志之原万依(しのはら まい)。千衣の三歳違いの妹である。 「アタシがテレビに出るなんて、やっぱりムリやって〜。緊張してお腹が痛くなってきてん〜」 「アホ。弱気になってどないすんねん。アンタならできる。はよ行き。行かんと蹴るで」 「あーん、お姉ちゃんのアホー。自分がかわりに出ればええやん〜」 「オーディションに落っこちたんやから、しゃあないやろ。ちゅうか、なんで万依が受かっとんねん。こうなったらアンタが有名になって、あたしの夢を叶えるんや」 「いかに自分が楽して楽に生きるかなんて夢、アタシには関係ないやんか。ひどいわ、お姉ちゃん。お姉ちゃんはオニや〜」 モニターの前で姉妹がとっくみ合いをしていると、スタッフがこちらを見て「あっ」と声を上げた。 「天才暗算少女さん、こんなところにいたんですか。もうすぐ出番なんで、準備してくださいよ」 「痛い痛い、お腹いたい。ムリです、辞退させてください〜」 「なに言うてんねん。行かんと、別のところが何倍も痛くなるで」 「うああ、バックドロップは痛いからイヤや〜。病院通いもイヤや〜」 「い、いまさらそんなこと言われても困りますよ。さあ、こっちに来てください」 泣く万依の手を引き、スタッフがずるずると引きずっていく。 千衣は妹を見送りつつ、顔に両手をあてる。 「それはそうと、あたしっていがいとアイドルに向いとる思わへん?」 「知らんわ、有り得へんわ、お姉ちゃんのドアホ〜」 捨て台詞を残して妹が連れ去られていく様を見届け、千衣は再びモニターへと向き直る。 画面の中では、順調に番組が進行していく。 『さあ、とうとう最後の出演者です! その名も天才暗算少女! 十桁の計算をコンピュータよりも早くこなすという脅威の女の子です!』 『きゃーん、ウッソー、信じられなーい』 司会とアイドル歌手の声が重なる。 最後の出演者となって安心したのか、舞台裏にいるスタッフたちの顔には達成感と安堵の表情が浮かんでいる。 モニターの中では、階段になった登場口にドライアイスの煙が立ちこめている。 「きゃーん、ウッソー、信じられへーん」 アイドルの練習に余念がない千衣に、唐突に声がかけられた。 「あのー、ちょっといいですか?」 振り向くと、スーツを着た中年男性が立っていた。 「私、芸能プロダクションの者なのですが……あ、ほら。今、映ってるアイドル歌手、あの子もうちのタレントなんですけど」 「スカウトやな?」 すかさず千衣が聞き返すと、中年の男は怯んだようだ。よほど千衣が真剣な顔をしていたのか、一歩だけ後ずさりをする。 「スカウトやな。スカウトなんやな」 「え、ええ。単刀直入に言うと、そうなんですが」 「やっぱりな。声がかかると思っててん。こんな美少女、めったにおらんからな。やっぱりプロのスカウトの目はごまかしきれへんな」 「は、はあ。ではさっそくお話に入りたいんですが……あの子、志之原万依ちゃんでしたか。どうでしょう、うちの事務所に預けてみるつもりは」 「お引き取りください」 深々と千衣が頭を下げる。 一瞬、意表を突かれたかのように黙った男性だが、なおも食い下がる。 「え、えーと、本人の意志を聞くまえに、とりあえず保護者の承諾を得ようと思いまして」 「出直してこいっちゅうとんねん、この節穴スカウトが」 言い捨て、千衣はモニターに向き直る。スカウトの男性は、中学生の少女に節穴呼ばわりされたのがよほどショックだったのか、硬直したまま動かない。 『それでは、登場してもらいましょう! 天才暗算少女、志之原万依さんです!』 拍手のなか、煙に包まれた階段の向こうから、よろめきながらも小柄な少女の影が現れる。 だが、いきなり小さな影が転倒した。少女が階段をコロコロと転がり落ちる。 たちまちスタジオが大騒ぎになる。 『た、大変です! 天才暗算少女が転んでしまいました、大丈夫でしょうか!』 『救急車呼べ! 血が出てるぞ!』 『映像を切れ! CMに切り換えるんだ!』 修羅場と化したモニターを見つめ、千衣はひそかに拳を握り締めた。 「帰ったら、おしおきやな……」 『うあーん、ぜんぶお姉ちゃんのせいや〜。死んだら祟ってやる〜』 少女の悲痛な叫びが、生放送のブラウン管を通じて全国に響き渡った。
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