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クリエイター名  siddal
ドードー鳥の時間

 厚く垂込めるスモッグに太陽の光が遮断され、代わりに永久動力からなる青白い光が空を照らすのが当たり前になって、いったい何年経っただろう。
 窓の外に広がるまるでオーロラのように揺れる淡い光を見上げ、わたしはその向こうにあるであろう輝きを思い出そうとして目を閉じた。
 今でも懐かしく思い出される300年前、ガス灯の普及で満月以外の夜会が行われるようになったように、わたし達は昼も夜も自由に街を行き来できるようになった。
 わたしのように陽光を恐れぬ血族は稀なので、太陽が失われて喜ぶ者は多いが、逆に惜しむ者は僅かしかない。
 昨日真っ赤なワイン片手に訪れたウェステンラ婦人は、太陽を好むなんて家畜や奴隷のする事だと笑っていた。
 家畜、奴隷、言い換えれば―――地べたを這う者達。
 太陽が姿を消す前までは、この星のいたる場所に繁栄し、支配していた者ら。
 言葉ではさげすみながらも、わたし達の命を支える大切な資源。
 かつては友であり、恋人だった者達。

「エリ」
 私は奴隷の代わりに冷たい皮膚を持つ給仕を従えている。
 名を呼ぶと、それまでじっと私の目に付かない場所で立っていた彼女が、音もなく歩み寄ってきた。
「ブラインドを下ろして頂戴。今日の空は一段と暗くて気が滅入るわ」
 額に手を置きながら憂鬱そうに命じると、エリはカーテンを閉めてからわたしに振り返った。
「お言葉ですが奥様、上空の明りは毎日同じ強さに設定されております」
「お前にはそうでしょうね、でもわたしには違うのよ」
 幾度となく繰り返されたやり取り。
 初めのうちは苛立ちも覚えたが、今ではすっかり慣れてしまった。
 見た目は地を這う彼等と少しも変らないが、その黒いお仕着せの下にあるのは温かな液体でも、柔らかな脂肪に包まれた肉でもない。
 余分な器官は一切排除された、規則正しく冷たい人工物だけだ。
 味気ないと言う人も多いが、こらえ性のないわたしにとって、エリの存在はむしろ好ましい。
 餓えに抗えずに今まで幾度も給仕を駄目にしてしまった反省を踏まえ、1年ほど前にエリを購入したのだが、最初のうちは毎夜返品を考えるほどに後悔したものの、今ではこの子が手放せない。
 静かだし、従順だし、健康だし、なによりも彼女に対して食欲を感じる事がない。
 仕込んだ側から我慢できずに飲み干してしまい、後の不便に泣きながら新しい娘を捜しに行っていた日々が嘘のようだ。
 そしてなにより、慰めになる。
 
「エリ、ピアノを聞かせて頂戴。わたしの好きな曲をなんでもいいから」
 そう命じると、エリは頷いて見かけだけは命の通った健康的な色に染められた口を開いた。
 見栄えするという理由以外に用いられない歯の奥、ウロのような暗い器官から聞き慣れたピアノの旋律が流れ出す。
 数十年前に死んだピアニストの演奏。
 長椅子に横たわり、その心地よい調べに耳を傾けながら、今夜届いたばかりだという郵便物に目を通した。

 エリとわたし達には共通の悩みがある。
 それは生産的な能力を持たないことだ。
 精緻な模写は出来ても、新しい絵を描くことが出来ない。
 そういった才能は、すべて地を這う者達だけに与えられた特権なのだ。
 喉を開いて種を増やすことは出来るものの、彼等のように新しい子を産み出すことは出来ないのと同じこと。
 現にわたしたちは少しずつ、種の数を減らしていっている。

 届いた手紙の中に、廃墟に潜んでいる地を這う者達の一斉掃除を行うという内容が書かれていた。
 愚かなことだ。
 彼等が居なくなれば、やがてわたし達も滅びてしまうということにどうして気がつかないのだろう?
 けれど彼等もかつては、滅び行くドードー鳥に気がつきもしなかった。
 今自分たちが可哀想な鳥と同じ末路を辿っているのは、きっと因果応報というものなのだろう。
 そしていずれは私たちも滅びるのだ。
 多分、
 おそらく、
 そう遠くはない未来に。
 
 長椅子から身を起こしてもう一度ブラインドの隙間から外を見た。
 分厚いスモッグが晴れることなど無いとはわかっているけれど、せめてもう一度太陽が見られたらいいのにと思う。
 いっその事、この手紙を持って地を這う者達の所に行ってしまおうか?
 きっと彼等はわたしを拒絶するだろうし、裏切ったわたしを同胞達が再び受け入れる事はないだろう。
 けれどそれがなんだというのだろう、灰になるのが早くなったか、遅いかの違いだ。
「エリ、今日はわたしに何か予定があったかしら?」
 そう問うと、演奏は止めずにエリは「夜に数件訪問の予定が入っているだけです」と答えた。
 太陽を失ってしまっても、結局の所同胞達は夜間に行動するのを止めない。
 日中は暗い部屋に閉じこもって休息するものなのだ。
 こんな時間に起きているのはわたしと、地を這う者達ぐらい。
 長い間培って来た習慣は、なかなか抜けないものなのだから。

「さあて、どうしようかしら」
 手紙の端を唇に押し当てて、わたしは逡巡する。
 同胞達が活動を開始する刻まであと5時間程。
 そう長い時間が残されているわけではないが、かといってすぐに決めるものでもないだろう。
 わたしはそもそも、急ぐというのが好きではない。
 わたしの中に時間は流れていないのだから。
 デキャンタの中で温くなった命の滴をグラスに移し、再びゆっくりと長椅子に身を横たえる。

 残り、あと4時間と45分。

 耳に響く時計が刻む規則正しい秒針の音は、遙か昔に失った心臓の鼓動に似ていた。

  


 
 
 
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