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クリエイター名 |
水穂 ゆう |
紫煙の向こうの恋し影・序
序.◇質屋『神無崎』◇
その日、質屋『神無崎』には珍しく客があった。 年中、閑古鳥が鳴いてばかりの店には滅多に人がいない。店番の少女は、いつも奥の座敷でごろごろと時間を潰している。だからその時も、たまたま通りかかった誰かが店内を覗きに来たくらいにしか思わなかった。 「いらっしゃいませー」 欠伸を噛み殺しながら、カウンターの向こうにひょこっと顔を出す。そして、目を瞬かせ首を傾げた。 「あれ?」 そこに立っていたのは、おおよそ店に似つかわしくない風体の男だった。嫌味ではない程度に染めた髪に白いスーツをきっちりと着こなし、そこそこハンサムといえなくもない顔には淡い色のサングラス。手首には一目で高級品と分かる時計が光っている。質屋といっても宝飾品やブランド物はほとんどなく古道具で埋め尽くされている『神無崎』の店内に、その姿はあまりにもミスマッチだ。 「お年寄りしか来ないよーな店に、変な人が…はっ、まさか地上げ屋?」 思わず身構える少女に、男は丁寧に一礼し、縋るような目を向けた。 「こちらのご主人にご相談があって参りました。お取次ぎ願えませんか」 実は200年以上続く屋号であるということを除いても、『神無崎』はただの質屋ではない。かつては神無屋といい、古くから物品にまつわる祓い屋を生業とする一族の窓口的存在だった。人も神も同じように力を持っていた時代は過ぎたが、今でも様々な怪奇現象に悩む人々のために、ひっそりとその扉は開かれている。
「あのおっさん、何の用だったん?」 店舗から少し離れた屋敷から呼び出された主人は、男の話を聞き終えると彼を最寄の駅まで送り届け、店に戻って茶を啜っていた。そこへ、店番をしていた少女が興味津々といった様子で訊ねてくる。 「九音…おっさんはやめてあげてください。彼、まだそんなに年じゃないですし」 「え、でも三左五と同じくらいじゃなかったか」 「…私もまだおっさんじゃないです…」 そう反論する店主の三左五(みさご)だが、彼は既に三十代半ば。十三歳くらいの外見でしかない九音から見れば、十分おっさんである。 「それより、耳出てますよ」 三左五はそう言って手を伸ばし、九音の小さな頭をくしゃりと撫でた。すると、長く伸ばした黒髪をかき分けて現れた斑点模様の獣耳がぴこりと揺れる。 「おっと、いかんいかん」 小さな手が髪を何度も撫で付けると、豊かな髪に隠れるかのようにその耳は見えなくなった。 「言葉遣いの方はもう諦めましたけど…こっちは気をつけてもらわないと」 きちんと隠れたかを確かめるように、ぽんぽんと両の耳のある場所を軽く叩いて、三左五はため息をつく。九音は故あって三左五が預かっている、化け猫の子だ。若い頃の三左五の言葉遣いを真似たらしく、少女に似つかわしくない言葉を使うやんちゃ坊主に育ってしまった。慌てた三左五は自身の言葉遣いを直したのだが、もはや後の祭りというやつである。 「三左五の傍だとなんか気が緩んじゃうんだよなー」 「…甘えて誤魔化そうとしてもダメですよ?」 「むぅ」 頬を膨らませて嘘じゃないもーんと呟く横顔を、三左五は複雑な心境で見ていた。本当は憎まれても仕方の無い立場なのに、九音は出会った当初から全くそんな様子を見せない。素直に懐き、自分の後を追いかけてくる姿を愛しく思う反面、不安にもなる。 「なーなー、さっきのおっさんの話、仕事?」 ぱたんぱたんと音がして、ふと見ると今度は茶色い尻尾が揺れていた。 「ええ、仕事です。…でもこれでは任せられませんかねぇ」 細くてふかふかなそれを片手でぎゅっと掴むと、みぎゃーと悲鳴を上げて奥座敷へ逃げていく。しかし、すぐにそろりそろりと戻ってきた。 「今、任せるって言った?」 「そう思ったんですけど」 「耳と尻尾くらい隠せるもん!」 今思いっきり出してたじゃないかと言ってやりたいが、最近は店に一人で置いていても騒ぎを起こしたりはしなくなったし、そろそろ簡単な仕事ならさせてもいいかと思っていたのは事実だ。それに、今回の件に関わる品物は…。 「では、お願いしましょうかね」 「任せとけ!」 こうして、九音の初めてのお使い…もとい、仕事が始まったのである。
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