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クリエイター名 |
水穂 ゆう |
紫煙の向こうの恋し影・中
中.◇還魂の器◇
その場所は、さほど人里から離れていない山中にあった。冬ならば熊が冬眠でもしていそうな、崖下にぽっかりと空いた穴だ。だが、その入り口から想像するよりも奥はずっと広く深くなっていた。 「こんなとこに閉じこもるなんて、人間っつーより野生動物だよな」 道中の人里で尻尾や耳を出してしまったときの時のためにと三左五に着せられたワンピースと帽子を脱いで鞄に押し込みながら、九音はその穴を覗く。この場所は依頼人が置いていった地図からすぐに分かったのだが、奥がどうなっているかは今のところ不明だ。 「しっかし…死んだ奴に会えるってそんないいもんか?」 九音は三左五から聞いた依頼人の話を思い出し、首を捻る。それは、おおよそこのような内容の話だった。
『昔、近くの寂れた神社で弟と見つけた箱に、それは入っていました』 さほど大きなものではないが、細かな装飾が施された香炉。その当時、まだ子供だった男は面白半分で中の灰に火をつけたのだという。 『その時、煙の中に半年ほど前に亡くなった祖母の姿が見えたんです』 だがすぐに火は消え、悪戯が見つからないように箱も香炉も隠し、そのことは忘れてしまったという。 『しかし先日、弟が突然その箱を持ってきました。三年前に事故で亡くなった両親が見えると言って…』 そして、その日から彼は仏壇にその香炉を置いて線香を焚き続け、じっとそこから動かなくなった。 『私には何も見えませんでした。弟は今年、大学を卒業したのですが就職が決まらず悩んでいたようで…』 その悩みが、今は亡き親を求める気持ちとなってそのような幻を見せたのだろうと思っていた。だが、ある日。 『家の前で車に引かれた野良猫の死体を、片付けようとしたときでした』 役場で火葬して貰おうと思い、一旦その死体を庭へ運んだのだという。すると、たまたま開いていた窓からその香炉の煙が漂っていた。 『死んでいるはずの猫が、動いたように見えました…いえ、確かに動いたんです』 まるで、煙へ向かうように足を動かした。それを見て気味が悪くなり、その死体はダンボールに厳重に封じてすぐに火葬してもらったという。死後硬直だろうと自分に言い聞かせ、それでも落ち着かなかった男は、弟に香炉を捨てるように言った。 『ですが弟は…』 反発し、香炉を持ったまま家を出て行った。 『行き先はすぐ分かったんです。子供の頃に嫌なことがあると、二人ともよくそこへ隠れていました』 けれど、その場所へ向かった依頼人が見たものは…。 『弟はもう生きてはいないかもしれません。けれど、あのままにもしておけません』 どうか、弟を見つけて欲しい。そして、あの香炉はどこか然るべき所で処分して欲しい。それが彼の依頼だった。
「んで、この穴がその隠れ家なわけだが…」 ふんふんと鼻を鳴らして、九音は顔をしかめる。 「やーな感じだよなぁ」 穴の奥からは、動くものの気配がいくつも感じられる。だが、同時に強い死臭が漂っていた。 「とりあえず、行ってみるか」 ワンピースを脱いだ下は、タンクトップに半ズボンという身軽な出で立ち。そこへ爪のついたナックルを鞄から取り出して装着すると、ゆっくりと穴の奥へと歩を進めた。 ほんの十メートルほど進んだだけで、明らかに周囲の様子が変わる。鼻を突くのは煙の匂い、そして。 「うっわぁ…マジで動く死体だし」 そこにいたのは犬や猫、鼠に兎など。ただし、明らかにどの個体も生気がない。つまり、生きていない。大型の動物がいないだけマシだが、どう見ても非常に気味が悪く、一部には腐りかけているものもいて酷い状態だった。 「しかもなんか…こっち見てるよ…」 正確には、目など腐り落ちているかどろりと濁った状態で、まともに視線など合わせられない。だが、敵意らしきものは感じられた。 「ここじゃ、生きてる奴の方が異端ってことか」 だからといって、はいそうですかと死んでやる義理はない。九音はナックルを構えて笑う。爪のあるタイプのナックルでよかった。いくら本能的に狩りを好む化け猫といえど、腐りかけた死体に拳がめり込む感触なんぞ味わいたくもない。 「とっとと蹴散らして本命のとこへ行かせて貰うぞっ」 そこからは、ひたすらに気持ちの悪い戦いだった。べちゃりと、弾力を失った肉塊を払いのける感触の連続。手足が残っていれば飛び掛ってくるので、九音が通った後には四肢のない死体とその千切れた部分がもがく様子が残される。 「あーもう、うぜぇー」 たった7〜8メートル程度のことだったが、奥へ辿り着く頃にはかなり気分的にぐったりしていた。道を塞ぐ死体は、ただ動く死体というだけで何ら特別な能力はなく、はっきり言って弱い。だが、気分の悪さではそうそうこの上を行くものはないだろう。 「こんなとこに引き篭もった弟とやら、一発殴って文句言ってやるっ」 そう、呟いた次の瞬間。 「あ…」 飛び掛ってきたひときわ大きな影に反応して、爪を振るった九音は目を見開いた。 「…なんだよ、殴り甲斐ないな」 それは、人間だった。人間の、依頼人から聞いた背格好で服装の、死体。件の弟はやはり死んでいた。そして、それが守るようにして立ち塞がる向こうには未だ紫煙を燻らす香炉。 「あれを消せば…」 依頼のことを思えば、さすがにこの遺体をバラバラにするのは気が引けた。話によると、煙に触れていなければ死体は動かない可能性が高い。洞穴の中では香炉の火を消してもすぐに煙が消えるわけではないが、それについてはとりあえず後でもいいだろう。 腕を振り上げる遺骸の横をすり抜けるようにして走る。途中で背と足に鈍い衝撃があったが、構わず香炉に駆け寄り、中の灰を地面にぶちまけた。 「とっとと消えろ!」 だん!と足で踏みつけると、ぽたぽたと上から黒い液体が降ってきて灰に落ち、ジュ…と音を立てる。それが自分の足から流れ出た血だということに気づいた時、背後に気配を感じた。 「っやば…」 その人間の形をしたものの手に、光る刃を見つけて自分の油断を悟る。ここまで小動物の死体ばかりだったので、人の死体が道具を持っている可能性を忘れていた。刺される…そう思った瞬間。 リィン…と鈴の音が聞こえた。次いで、洞窟の中ではありえないような強風。思わず目を瞑った九音が、再びその目を開けると、洞窟の中の煙は綺麗さっぱり吹き飛ばされていた。 「詰めが甘いですよ」 「三左五…」 ほっとしたと同時に、ズキズキと痛む足に気づいてへたりと座り込む。そんな九音に近づき、手にした扇を仕舞ってからそっと頭を撫でて、三左五は静かに微笑む。 「耳が出てますよ」 尻尾も。と言うと、九音は拗ねたようにふいと顔を背けた。 「うっさい。一人で出来たのに」 そうですねと頷いて、だが優しく笑ってもう一度髪を撫でる。 「でも、私は九音が大怪我をして戻ってくるのは嫌だったので」 「……むぅ」 納得いかないような顔をしてはいるものの、もし仮にあのまま大怪我をして帰ったら三左五がどれほどオロオロと心配しただろうかと思うと、あまり強くも言えない九音である。 「今回だけだかんな!」 「はい。初仕事でしたから、特別です」 つい店の品物を持ってきてしまいましたよと、着物の帯に差した扇を示す三左五。どうやら、先ほどの風はその扇の力を借りたものだったらしい。いわくつきの道具の力を安全に引き出すのは、三左五の得意技だ。あれくらいは朝飯前だろう。 だが、事前に借りておけば自分にもおそらくは可能なはずだった。九音は、まだまだ自分が未熟だと改めて実感する。今度からは、勢いだけでなくちゃんと色々準備してから行こうと思う九音であった。
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