|
クリエイター名 |
水穂 ゆう |
紫煙の向こうの恋し影・終
終.◇紫煙を透かし見れば◇
「なー、その香炉も店に置くのか?」 灰の中から香炉を拾い上げ、丁寧に払って傍に転がっていた箱に収める三左五に、九音は首を傾けて問う。 「ええ。元々収められていた神社を管理している所に聞いたところ、そうして欲しいということでしたので」 「ふーん…」 「気になりますか?」 三左五には、今回の話を聞いたときから気になっていたことがあった。 かつて、子を殺された報復に付近の村で十数人食い殺した大山猫がいた。それを殺したのは若い頃の三左五。そして、その山猫の死骸にすがって泣いていたのが九音。 三左五はその時のことを後悔したことはない。だが、自分がこの子から母を奪ったことには変わりないと思う。だから、もしかしたら九音はこの香炉に興味を示すのではないかと思っていた。今は亡き母の、面影を求めて。 だが九音は。 「危なくねーの?」 そう、一言言っただけだった。 「この香炉は、元はただ煙の中に会いたい人…現実では会えないその姿が見えるというだけのもののようですから」 おそらくは長く使われるうちに人の念が溜まり、死体を動かすなどという不気味な効果を及ぼすようになってしまったのだろう。香炉が入れられていた箱に施されていた封印は、比較的新しいものだった。 「溜まった念を祓えば、妙な力はなくなるでしょう」 「ふーん」 「…気にならないんです?」 そう問いかけると、九音はきょとんと三左五を見上げた。足が痛むのか、地面に体育座りをしたまま、背を丸めた姿勢で何度も目を瞬かせる。 「この香炉の紫煙の向こうに、彼は両親を見たと言っていた」 三左五は、傍に転がったままの遺体を見て呟いた。彼が死の直前に見たものは果たしてなんだったか、それはもう誰にも分からない。生前兄に語ったのと同じく亡き両親の姿だったかもしれないし、それよりも生きている兄のことを思い出したかもしれない。ただ、彼が両親の影を求めた結果、香炉の力に取り込まれてしまった経緯は間違いないだろう。 「…九音には、何が見えるのでしょうね」 九音はしばらく考え込んでいたようだったが、やがて立ち上がると洞窟の入り口に向かい、三左五に背を向けた。 「その弟くんの兄貴はさ、何も見えないって言ってたよな」 「ええ」 それはおそらく、彼の中では既に両親の死は過去のこととして整理されていたためだろう。いつまでもそれに囚われていては先へ進めず、自らの幸福を掴むことも出来ない。 「だったら、オレも何も見えない」 依頼人のおっさんは、今ならきっとこの弟くんが見えるんだろうけど。そう言って、九音は振り返った。 「三左五。オレは今、幸せだからさ」 だから、あの時の悲しみは本当だったけど、今更もういない奴に会いたいとは思わない。誰かを恨んだり憎んだりする理由もない。 「三左五には、誰かが見えるのか?」 逆にそう聞かれて、三左五は苦笑した。 「いいえ。私も今、幸せですから」 洞窟の外から、虫の声が聞こえはじめる。日が傾き、夕闇が迫り始めた合図だ。残された遺骸への対応はまた後日手配することにして、二人は洞窟を出た。 空を見上げれば、夕日に照らされた雲がまるで紫煙のようにたなびいている。だが、その向こうに見えるのは輝き始めた一番星。当たり前の日常を、ただ見守っている天上の光。それだけだった。
|
|
|
|