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クリエイター名  椎名ゆん
サンプル

『black lily』

奇妙な夢を見た。

見知らぬ少女を追いかけ、
見知らぬ処を駆け抜ける。

跳ね躍る長い髪と、翻る白いワンピース。
露出した腕は白く、笑い声は細波のよう。
光あふれる広場で、君は僕を振り返った。

『忘れないで……』

そう言って消えていく君を、ただ見ていた。
寂しげな微笑をたたえて、消えていく君を。
触れる事さえ叶わない。
君の笑顔が姿が、白く霞んでいく。
僕の頬に触れた手さえ透けていく。

『行かないで……』

僕の流した涙が、石畳に溶けた。
僕の紡いだ声は、泡沫に消える。

君の瞳は何色だったろう。
君の髪は何色だったろう。
君の顔は―――――?

君の顔が思い出せない。
君の顔が思い出せない。
君の顔が思い出せない。

君の声が聞こえる。
君が僕を呼んでる。
けれど今にも忘れてしまう。
僕は君を忘れてしまう。
僕は忘れたくない。
君のことを忘れたくない。

僕の傍に、君が。
君の傍に、僕が。
僕たちは二人で一人だった。

待っていて。
必ず、

僕は君に会いに行くから―――――……



>>>code=black lily >>>starting―――――


憂鬱な一面の青。

目を開けて、一番に飛び込んできたのは空だった。
瞬きをする。何だか目がごろごろしていて気持ち悪かった。
目を擦ろうと持ち上げた腕は、重くぎこちない。
他人の腕をくっつけたかのような、そんな違和感。

少年は頬に触れ、顔を強張らせた。
眼前にかざした指先を濡らす、透明な液体―――――。

(ナミダ……だ)

誰かに会った気がするのだけど、思い出せない。
思い出せないのに、会いに行かなければと思う。

ひどい焦燥感が胸を焼き、痛いほどの切なさにかられた。
行かなければ。少年は細い体躯を起こした。
途端、身体のあちこちがギシギシと悲鳴を上げる。

「ウ……」

まるで油を差し忘れられた、ブリキの玩具のようだ。
これは本当に自分の身体なのだろうか。……“自分”?

(僕は……誰ダ?)

ずきりと、頭がひどく痛んだ。うめきながら頭を押さえる。
視界がぶれ、ゆらゆらとさまよって定まらない。
その時、狙いすましたように頭の中に声が木霊した。
神経に障るような金切り声が、否応無く頭の中を掻き回す。


恐怖を育てろ―――――!


声に突き動かされるように、身体が反応した。
頭が痛くて動きたくもないのに、身体は勝手に立ち上がる。
自分の身体の無慈悲な動きに、少年は小さく悲鳴を上げた。

「ア……」

足元がふらつき、少年はすぐ傍の噴水の縁【へり】に手をつく。
噴水と言っても枯れてしまっているらしく、水は一滴も見当たらないが。

「は……はぁっ……」

乱れた喘鳴。冷や汗が滴り、それは足元に音も無く吸い込まれた。
足元にばら撒かれ、敷き詰められた、黒い百合……その異様さに少年は息を飲む。
それが少年の褥【しとね】になっていたのだ。
刹那、脳裏に閃く白い百合。あふれる光を背に、誰かが微笑む。


わたしは白百合。
あなたは黒百合。
おぼえていてね。
わたしたちは、ふたりでひとり。


「ア―――――……」


わたしは、星【ジン】。
あなたは、月【ユエ】。
おぼえていてね。
あなたことが大好きよ。


「僕ハ……僕は、『ユエ』……?」

頭を押さえてうめきながら、口の中で小さく呼んでみた。……『ジン』。
彼女が教えてくれた。そんな気がした。捜さなければならない。
彼女は……忘れてはいけない人だ。思い出さなければならない人なのだ。


―――――恐怖を育てろ!
―――――わたしを捜して……


二つの声に導かれるように、少年はふらりと歩き出した。
靴の下で踏み潰された黒百合が、押し殺した悲鳴を上げる。
憂鬱な色の空が、少年を嘲笑うように青く―――――。



>>>count−01 >>>start―――――


目の前に、陰鬱な古い城がそびえ立っている。

黒百合の褥を踏み越え、枯れた噴水を追い越して歩いてゆくと、
すぐ目の前にはこの城があった。石造りの堅牢な城。
さっきの場所は、この敷地内の庭園の一部に過ぎないらしい。
ざっと見渡した限り、城の外には地平線まで大平原が続いていた。

ここは一体どこなのか。この古ぼけた城は。
見覚えがあるようで、全く知らない場所のような気もする。
全ての記憶がひどく曖昧な少年の中で、顔も分からない“ジン”の
面影だけが、たったひとつ鮮やかに彩られていた。

会いたい―――――訳も分からずそう思うだけなのに。

少年は……ユエは城に近づき、扉のノブに手をかけた。
触れてみると、懐かしいような感覚がある。知っている気がするのだ。
意を決し、古くて重苦しい扉を押し開く。

ぎぃ―――――……ぃぃ……。

まるで悲鳴のような音をあげて、扉が開いた。
中は薄暗く、どこからか肌寒いような風が流れてくる。
恐る恐る中に入ってしまうと、城中に響き渡るような音で扉が閉まった。
外からの光が遮られ、闇に慣れない視界が一気に真っ暗になる。
押し寄せる恐怖に、心臓が締めつけられた。

「ジン……」

囁く言葉は、闇に呑まれて消えていった。
どくどくと波打つ胸が苦しい。闇に目を凝らす。何もいないのに、
何もいないはずなのに、どこかで何かがうごめく気配がする。
たぶん、ここよりどこか遠くで。この城は無人ではないのだ。

「…………」

ユエはごくりと喉を鳴らした。ゆっくりと歩き出す。
彼女の声は確かに、この城のどこかから聞こえている気がしたからだ。

目が慣れてくると、ホールのシャンデリアの蝋燭の幾本かに、ポツポツと
灯りが入っているのが見て取れた。二階へ続く二つの大階段の横には、
それぞれ一体ずつ、銀色に鈍く光る甲冑【かっちゅう】が置いてある。
それが今にも動き出しそうな気がして、ユエは足早に階段を上っていった。

上り切った所で、右と左どちらの廊下に進もうかと逡巡して、ふと気付く。
どちらも黒いカーテンが下りていて真っ暗なのに、左の廊下だけ
ポツリポツリと蝋燭の明かりが灯っている。まるで……導くように。
ユエは吸い寄せられるように左の廊下へと足を進めた。

ふらふらと進んでいると、廊下の壁……窓と窓の間に、ひとつずつ絵画が掛けられて
いるのに気がついた。どこか異国の風景、微笑む婦人、どこかしらの山嶺、水車の絵……
ジャンルもばらばらの、まるで統一感のない飾り方だ。

それらの絵を見た事がある気がする―――――そう思って目を凝らすと、
途端に見知らぬものにも思えてくる。
諦めて視線を前に戻そうとした時、今度はひどく驚いて足を止めた。

これを知っている―――――。

近視感。そして違和感。ユエは自分の頬に手を当てた。
すると絵の中の人物も、頬に手を当てる。……絵ではない、これは鏡だ。

(僕の顔……?)

わずかに艶を放つ淡い金髪に、闇そのもののような漆黒の瞳。
肌は病的に白く、まるで一度も外に出た事がないかのようだった。
全身黒い服の上に、ぴったりとした黒いコートを羽織っている。
年齢は……15、6というところか。

薄暗い光の中、呆けたような表情で所在無さげに立っている。
鏡に映る顔。それは確かに自分の顔なのに、ひどく現実感がなかった。

(……他人の顔みたいダ)

ふと……ユエは闇の向こうに目を向けた。自分の歩いてきた方向……
そこから、何か金属が擦れ合うような音が、微かに聞こえる。

(何ダろう?)

蝋燭の明かりに目を凝らす。そして彼の漆黒の瞳が捉えたものは……
ユエは、驚きに目を見開いた。銀色の甲冑が、こっちに向かって歩いてくる。

カシャン―――――。

それはホールの階段の隣に立っていたものと、全く同じものに思えた。
手には剣。そして何よりも驚くべきは、その甲冑が空っぽだということだ。
兜の部分から覗くのは、ぽっかりと口を開く闇……この鎧は独りでに動いている!

「ウ、あ……」

カシャン―――――。

決して走らず、至極ゆっくりとした足取りで甲冑は迫ってくる。
ユエは爆発的な恐怖に駆られ、走り出した。一寸先は闇という視界の中で、
ぎこちない動きの手足では思うように走れず、いらいらする。
このままでは追いつかれてしまう……恐怖が、心臓に牙を立てた。
その瞬間、ユエは心臓の辺りに鋭い痛みを覚え、よろめく。

「ウ――……!」

必死で喘ぐのに、息ができない。心臓が握り潰されそうな痛み。
甲冑の足音が無慈悲に近付いてきている。ユエは足を引きずるようにして走った。
頭の中には、あの声が―――――。


―――――恐怖を育てろ……!


何が何だか分からない。ただ無我夢中で身体を引きずり、駆けた。
永遠に続きそうに思われた廊下に、終わりが見えてくる。曲がり角だ。
そこへ駆け込もうと思った瞬間、ユエは今度は全力でその場に停止した。
角から、もう一体の甲冑が現れたのだ……!

カシャン―――――。
カシャン―――――。

二つの音が重なり合い、廊下に木霊する。振り返れば、最初の一体がすぐそこに
迫ってきている。逃げ場はない。ユエは、自分の身体が震えているのに気が付いた。
心臓が、これ以上ないほどの動悸に痛みを訴える。

「ア―――――」

二つの甲冑が剣を振り上げ、振り下ろす。二本の剣が少年の体躯を易々と貫いた。
神経が灼き切れそうな恐怖と痛み―――――ユエは、意識を失った。



>>>count−01 >>>It died―――――yeah! It is made to revive again.
>>>count−02 >>>start―――――


憂鬱な一面の青。

嫌な汗にびっしょり濡れて、ユエは目を開けた。
何だかとても悪い夢を見ていた気がする。真っ青な雲一つない空が、ひどく恐ろしかった。
小刻みに震える体を起こし、不快感にうめく……視界一杯の、黒い百合。
けれどそれは、初めて見たもののようではない気がする。どこかで見た気がする。

(……思い出セない)

鈍痛を訴える頭を抱え、ユエはゆっくりと立ち上がった。
気分的には倒れ込みたいほどなのだが、黒い百合の不快さが、それを許してくれない。
異臭を放つ黒い百合から離れたくて、足を引きずるように歩き出す。
枯れた噴水……これも見た事がある気がする。けれど、いつ見たのかということを
明確に脳裏に描こうとすると、イメージは途端に霧散していった。

城の扉の前に立ち、ユエは自分の胸に手を当てた。
何か……とても大切な何かを、この胸から落としてしまった気がする。
思い出そうとすると、脳の奥が鋭い痛みに悲鳴を上げた。
忘れてはいけない何かを……忘れてしまった。

「僕ハ……ここデ、何を……」

原初の疑問に立ち戻り、それでもそこに答えがあるとでも言うように、扉を押し開く。
そうして再び、陰鬱な城の中に足を踏み入れた。重苦しい冷たい風が、頬を舐める。
背中を這い登る悪寒に身を震わせながら、ホールを横切っていった。
階段の前にある甲冑が目に入った瞬間、彼の心臓は跳ね上がる。

(何ダろう……)

それがとても恐ろしいものだと、本能が彼に訴えていた。近付きたくない。
彼は逃げるように、一階の右手の廊下へと進んだ。左手はカーテンが閉じられていて
真っ暗だが、右手には蝋燭の明かりが見えたからだ。
毛足の長い絨毯を踏みしめ、コートを翻して、ゆっくりと廊下を進む。
蝋燭だけでは完全に闇を払うことはできず、足下も心許ない。
それでも前を見据えて拳を握りしめ、歩いていた……。

―――――ah!

びくりとして、彼は立ち止まった。声なのか、それとも隙間風の悪戯なのか、
とにかく一瞬で背筋が凍るような音……それが、彼の進む闇の先から聞こえた。
竦みきった足を何とか動かして、来た道を引き返そうとした、その刹那。


―――――恐怖を育てろ……!


頭の中に、声が木霊した。その途端、足の力が抜けて、ユエはその場にへたり込んで
尻餅を付く。身体が言うことを聞かない。縫い止められたように、その場から一歩も
動けなくなってしまった。一体なぜ。ユエは立ち上がろうともがく。
その耳に、奇妙な音が聞こえてきた。

―――――ずるり。

何かが、這っているような音だ。ユエの心臓が恐怖に凍りつく。
鋭く刺すような痛みが心臓を襲った。痛みのあまり、呼吸もままならなくなる。
闇の向こうから、何かが近付いてきていた。ゆっくりと……。

―――――ずるり。

蝋燭の薄闇に、白いものが浮かび上がった。何かを引きずるような音がするたびに、
それは姿を現してゆく。やがて……それが、見えた。ユエの目が恐怖に見開かれる。

「ウ――……!」

闇の中に浮かび上がったのは、若い女だ。白い服を纏った女が、こちらへ這いずってくる。
振り乱した金髪の間から、凄絶な光を宿して輝く真っ青な瞳が見えた。
その青い目と目が合った瞬間ユエは恐怖に駆られ、何とか逃げようともがいた。
けれど身体は、金縛りにあったように動かない。

「……お願いがあるの」

女が苦しそうな息の下から、囁きながら……ユエの足首を掴む。
手が服を這い登り、襟首を掴み、しがみつくようにしながら首に腕を絡めてくる。
信じられないくらい強い力。息がかかるほどの距離で、女がユエに懇願する。

「貴方の脚を私にください」

女の身体は太股の付け根から先がなかった。白い服は血で赤黒く汚れている。
這いずってきた廊下の絨毯の上には、べったりと血の帯が続いていた。
ユエの身体が震えている。女の細い指先がうなじを這い回った。駆け上る悪寒。
恐怖が心臓を締め付ける。女の青い眼が、ユエを捕らえて離さない。

「脚を切断されてしまったの……」

あまりの恐怖に、ユエは意識が飛びそうになっていた。喉を握りつぶしそうなほど
締め付けられていても、苦しいとも思えないほどに感覚が遠い。
女が笑っていた。くすくす笑っていた。その声さえ遠のいていった……その時。


―――――ユエ……


声が聞こえた。沈もうとしていた意識が、ぎりぎりで現実に繋ぎ止められる。
ユエはうっすらと、息苦しさに潤んだ瞳を開けた。薄笑う女が見える。
けれど、女の笑う声とは別に、その声は確かに響いている。ユエの中に。


―――――ユエ……


わたしは、星【ジン】。
あなたは、月【ユエ】。
おぼえていてね。
あなたことが大好きよ。

「ジン……!」

涙が頬を伝う。それは苦しみの涙か、それとも歓喜の涙か。
ユエは恐怖に軋む身体を動かし、渾身の力を振り絞って女の身体を突き飛ばした。
うめく女には構わずに、ユエは自由になった体で闇の先へと駆け出す。

「待ってぇ……逃がさないわよぅぅぅ……!!」

這いずる音が背後に聞こえる。ユエは耳を塞ぎ、思うように動かない体を叱咤して
必死に闇の中を駆けた。歩くより少し早い程度の速度だが、それでも見る見る
女の姿が遠ざかっていく。それさえも振り返ることなくユエは駆け、廊下を曲がった。
そこで思わず足を止める。行き止まり、だった。
あるのは、地下へ続くとおぼしき石造りの階段のみ。

「ウ……はぁ、はぁっ……」

肩で荒い息をつきながら、逡巡する。曲がり角の向こうからは確実に、
女が身体を引きずる音が近付いてきていた。逃げ場はもう、この地下にしかない。
ユエは意を決し、地下への階段に飛び込んだ。
ぐるぐる回りながら奥底へと続く階段を、無我夢中で駆け下りる。

「……!」

何回かそれを繰り返したところで、行き止まりになり、鉄製の扉が見えた。
恐怖から逃れたい一心で扉に飛びつき、重い鉄扉を一気に押し開く。
駆け込んだ彼の後ろで、錆びた音を響かせながら扉が閉じた。
光もなく真っ暗になった空間で、荒く肩で息を繰り返す……。

「ユエ……」

ぎょっとして、ユエは闇の中に目を馳せた。今の声は……。
暗く陰鬱で、湿って冷たい空気の中、ぼんやりとした微かな光が灯る。
浮かび上がる影……ユエはそれに吸い寄せられるように近付いていった。
ふらりと、おぼつかない足取りで前だけ見据えて……否、目をそらせないまま。

「ジン……?」

まるで初めから知っていたかのように、その名が口をついた。
ああ……知っている。自分は彼女を知っている。そして、捜し求めてきた。
なのに、会えたのに、ユエの顔は綻ばない。凍りついた瞳がわななく。

「来てくれたのね……嬉しい」

ジン。彼女は、捕らえられていた。床から伸びた無数の鎖が幾重にも絡み合い、
細い少女の身体をがんじがらめにして、縛り上げている。
身体の所々からは血が流れ、白いワンピースがまだらに濡れていた。
細い両の腕は天井から伸びた鎖に戒められ、ささげるような格好で縫い止められている。
漆黒の長い髪。淡い金の瞳。まるで双子のように、ユエとよく似た顔立ちをしていた。
左目には包帯が巻かれ、じっとりと血が滲んで痛々しい。

「わたしの事を覚えてる……?」

弱々しく、彼女が微笑んだ。ユエは弾かれたように彼女に駆け寄る。
そしてその白い頬に、そっと両の手を伸ばした。

「ジン……」

涙が頬を伝った。
僕はどうして、君を忘れてしまっていたのだろう。

「あなたは、記憶を壊されてしまったの」
「壊されタ? 一体誰に……」

刹那……どん、という衝撃が身体を走った。呆けながら目を落とす。
ぬらぬらと赤く濡れた鋭い切っ先が、自分の腹から生えていた。
背後に気配を感じるが、首を巡らすどころか目を動かすこともできない。
人形のように立ち尽くすユエの耳元に、冷たい声が囁きかける。

「もう動けないだろう? 所詮、お前は俺の人形だからね」

戦慄が身体を貫き、動けない口が空気を求めて喘いだ。
この声。何度も何度も、ユエの頭の中を掻き回した、あの声。

「駄目じゃないか、こんな所まで来ちゃ……まだ全然、足りないんだからさ。
 ちゃんと死んでくれないと、困るんだよなぁ」

ユエを貫いた剣を引き抜きながら、声の主は哄笑を上げた。
ジンの悲鳴がそれに重なる。ユエの口から、ごぽりと血があふれた。

「まだまだ、お前には死んで貰わないと。さあ、記憶をリセットしてしまおう。
 お前はジンを見なかった。ジンの事を忘れるんだよ。もっと恐怖を……おやすみ、ユエ」

糸が切れたように身体から力が抜け、ユエは冷たい床に倒れた。
腹からはとめどなく血があふれ、石床をしとどに濡らしてゆく。
次第に薄れてゆく意識の中で、頭の中が真っ白になっていくのを感じる。

(嫌ダ!)

ユエは固く目を閉じた。壊れかけた脳に焼きつけるのだ。もう二度と忘れたりしない。
もう二度と忘れたりしないように。僕は君を、もう二度と……。

(ジン……!)

君の夢を見る。

君の姿を追いかけ、
古城を駆け抜けた。

跳ね躍る長い髪と、翻る白いワンピース。
露出した腕は白く、笑い声は細波のよう。
光あふれる広場で、君は僕を振り返った。

目も眩むほどの白い光の中で、微笑む君が―――――。



>>>count−02 >>>It died―――――yeah! It is made to revive again.
>>>count−03 >>>start―――――


憂鬱な一面の青。

頬を濡らす涙を感じて、ユエは目を開けた。
この涙の意味をユエは知っている。なぜ自分が泣いているのかを知っている。
これは引き裂かれた痛み。悲しみ。そして……怒りだ。

「……ジン」

記憶の全てを思い出した訳じゃない。むしろ殆どを失ってしまっている。
けれどその中で彼女の事だけは、姿だけは、声だけは、鮮やかに彩られて。
二度と忘れない。たとえ何度殺されて死んでも、もう二度と忘れたりしない。

待っていて。
必ず、

僕は君に会いに行くから―――――……

ユエは立ち上がり、黒い百合を踏み越えて、歩き出した―――――。



>>>count−03 >>>It died―――――yeah! It is made to revive again.
>>>count−04 >>>It died―――――yeah! It is made to revive again.
>>>count−05 >>>It died―――――yeah! It is made to revive again.
>>>count−06 ……
     ・
     ・
     ・
>>>count−12 >>>It died―――――yeah! It is made to revive again.
>>>count−13 >>>start―――――


陰鬱な一面の闇。

「お前の中にね、恐怖の種を植え付けたんだよ」

もう何度死んだのか、自分の当てにならない記憶では到底分かり得なかった。
色んなものに殺されかけ、殺されながら、ユエはもう一度地下室に辿り着き、
そして……再びあの声の主に会ったのだった。

「説明が欲しそうな顔だね? いいだろう、その壊れかけた脳でどこまで
 理解できるのか興味があるよ。……いいかい、ユエ。お前はゴーレムなんだ」

嬉々として話す男。そう、それは男だった。年齢はまだ若く、20代後半という所か。
茶の髪に、飴色の瞳。芝居がかった仕草で両腕を広げて立っている。
どこか壊れたような笑みを浮かべ、彼は剣を引き抜いた……切っ先が外に出た瞬間、
細い身体から赤い血液が迸る―――――ジンの、身体から。

「ゴーレム法って知ってるかい? そんな筈はないか。お前の記憶は全てこの俺が
 壊したんだものな。お前もジンも、仮初めの命を与えられた人形だという意味だよ」

男が振り返った。いや、男という表現は正しくない。
彼らというゴーレムを作った男は、彼らの主人たる人間だった。

「お前は黒百合から、ジンは白百合からこの俺が造り出したんだよ。所詮人形なんだから
 血が繋がっている訳じゃないけど、双子という表現が似つかわしいかもね」

主人が歩み寄ってくる。対するユエは指一本動かせない。
傀儡人形の如く、主人の意のままに彼の身体は操られているのだ。

「途中で何度も君を襲ってきた連中も、ゴーレムだよ。よく出来てたろ?
 怖かったろ? 何度も何度も死にかけて殺されて。恐怖から逃げ出したいだろう?
 けれどお前は逃げられなかった。そういう風に、俺がプログラムしてあるからね。
 でも、大丈夫。もうすぐ解放されるよ」

主人は満足げに微笑み、動けないユエの胸を軽くノックした。

「恐怖の種はお前の心臓さ。お前が感じた恐怖を蓄積していく仕掛けになっている。
 そんなものをどうするのかって? 決まってるさ、俺の力にするんだ。
 命無き者が感じた恐怖……それは一体どれほどの力になるんだろうね? 楽しみだな。
 でもその為にはお前の心臓が必要なわけで、心臓がないとお前は二度と動かなくなる。
 だから今から死ぬお前に、こんな説明は必要ないんだけれどね―――――」

だらだらと喋り、主人は恍惚とした笑みを浮かべる。

「さあ、仕上げだ。お前の手でジンを殺せ。なに、俺が軽く傷つけておいたから、
 お前は止めを刺すだけでいいんだ。簡単だろう?」

目の前に、剣が突き出される。
ユエの手が、ゆっくりと持ち上がった。差し出された剣を握る。

「愛する者を殺す恐怖……どうだい、最後を飾るに相応しいだろう」

ひどく下衆な事を言って笑う主人を、ユエは睨みつけることも出来ない。
表情の変化さえ、今は主人の思いのままだった。
ポンと背を押されると、足は勝手にジンの方へと歩き出していく。
抗えぬ力に逆らおうとして、ユエの手が小刻みに震えていた。

「ユエ……」

か細い呼吸を繰り返しながら、ジンがユエの方を見る。けれど彼女の目は
完全に目隠しされた状態で、実際にはユエの姿を見ることは出来ない。
ユエはジンに向かって、震えながら剣を振り上げた。ユエの背後で、主人が嗤う。

「そうだ、殺せ……! ジンを殺し、お前の恐怖に終止符を打つがいい。
 それでお前の役目も終了だよ、ユエ」

ユエの唇は、ジンの名を紡ぐことも出来ない。
気を抜けば剣を振り下ろしてしまいそうだ。切っ先は震え、冷や汗が頬を伝う。

(嫌、ダ……!)

彼女を殺したくない……!
壊れかけた記憶の中から残滓を掻き集めて縋り、ユエは必至に抗った。
こんな事、望んでなんかいない。彼女との記憶を殆ど失ってしまっていても、
彼女が自分にとってどれほど大切な存在だったかは、この魂が知っている。
たとえそれが作られたもので、仮初めの魂なのだとて。

「……ユエ? 苦しいの……?」

主人の言った通り、大事な人を殺そうとする恐怖……それは想像を絶するものだった。
ユエの身体は小刻みに震え、呼吸は乱れ、そして涙が流れている。
ジンはそれが見えているかのように、あえかに微笑んだ。

「わたしを殺して……あなたになら、わたしはかまわない」
「ア―――――……」


わたしは白百合。
あなたは黒百合。
おぼえていてね。
わたしたちは、ふたりでひとり。


―――――ユエの手で、剣は振り下ろされた。


わたしは、星【ジン】。
あなたは、月【ユエ】。
おぼえていてね。
あなたことが大好きよ。


「な―――……?」

肉に食い込む白刃。骨を砕かれ、血を迸らせ……主人の顔が、苦悶に歪む。
ユエの剣は、ジンではなく主人の胸に深々と突き刺さっていたのだ。

「馬鹿な……主人殺しだって……!?」

主人が血を吐き、己の胸に刺さった剣を抜こうともがいた。
けれど既にまともに力が入らず、ただいたずらに手の平を傷つけて血を流す。
彼は信じられないと言う表情で、血に塗れた手をユエに伸ばした。

「一体……何がお前の中のプログラムを狂わせたんだ―――――!?」

べっとりと、ユエの頬に血の手形が残る。ユエは漆黒の目を細め、
剣を鍔もとまで埋める。主人の吐きだした血が、ユエの髪を汚した。

「何が、俺の命令を……」
「……あなタには、きっと一生分かラない」

言って、一気に剣を抜き放つ。それが最後だった。主人の身体はもはや支えを失い、
ユエにそうしたように冷たい石床に倒れる。見る見るうちに血だまりが広がっていった。
『何が……』そう呟き続けていた唇が凍りつき、瞳から光が消える。
若き魔法使いの最期を見届け、ユエは剣を放りだして踵を返した。

「……ジン!」

最早ぐったりとなった彼女に呼びかけながら、必死に鎖を引き剥がしていく。
一本、一本。絡み合った鎖の重さと固さと、そしてそのあまりの数に、
手の平にはマメが出来てすぐに潰れた。手は傷だらけになり、爪が傷ついて剥がれ、
血が流れる。それでもユエは彼女の戒めを解こうと無我夢中で手を動かし続けた。

どれほどの時間が経ったろう。
やっと彼女を鎖から解放したとき、彼女の身体は既に冷たくなり始めていた。
包帯を取ると左目は潰されており、右目だけがユエを見つめ返した。
朦朧として霞のかかった淡い金の瞳に、泣き顔のユエが映る。

「ジン……」
「来てくれて、ありがとう」

囁くような言葉にユエは俯いて首を振った。違う。彼女を思い出して、
彼女との記憶を持ってここに来れたのは、彼女が呼んでくれたからだ。
でなければきっと、彼女を思い出す事もないまま辿り着いていたはずだ。
壊れた脳に刻まれた悪しき命令を実行し、きっと彼女を手にかけていたろう。

「僕ガ……僕がもっと早く君を助けラれたら……」

ゴーレムの死……それは主人の命令を実行した後か、もしくは命令を遂行できないほどの
損傷を負い、存在することが出来なくなった時かの、どちらかだ。

……ユエはジンを殺すように命令され、ジンはユエに殺されるように命令された。
けれどその命令は果たされなかったために、二人は主人亡き後も存在することが
できたのだが……ジンの身体は傷つきすぎていた。自分の存在すら保てなくなるほどに。

「いいの……あなたがわたしを思い出してくれたから……」
「これかラだって君との記憶を取り戻しテいく。君がイなきゃ駄目だ……!」

ジンの細い身体を抱きしめ、ユエは身を震わせた。
一緒に生まれ、いつでも一緒だったはずの……ふたりでひとり。
優しく、ジンが微笑む。

「大丈夫。命無き者が、刷り込まれた運命に打ち勝てること……
 あなたはそれを証明したのだから」

彼女の震える白い手が、そっとユエの頬に添えられた。
主人に付けられた血の手形に重ねるように。

「ただ、忘れないで……わたしを、あなたの心にいさせてね……」
「……!」

ざあっと、風が巻き起こる。ユエの周りにばらばらと白い百合が舞い落ち、
ユエの腕の中からは……掻き抱いていたはずの彼女が消えていた。
温もりもない。ただ、数本の白百合が腕の中に残っているばかり。

「……ジン」

茫然と、ユエは腕の中の白百合を見つめた。
それは彼女であったもので、けれど既に彼女ではなく……ユエの頬に涙が伝う。
身体をくの字に折り曲げ、押し殺した悲鳴のような嗚咽を洩らした。

「ジン……!!」

なぜ、この世に生まれ落ちたのだろう。
彼女という半身を失った今なお、この身だけが生きているのだろう。
どうして自分は彼女を守りきれなかったのだろう……。
深い悲しみと怒りと、自責の涙を流すユエの脳裏に、それでも彼女の
最後の笑顔が焼き付いて離れなかった。

『わたしを、あなたの心に……』

人ではない少年の涙が、ただ白い百合の花びらを濡らした―――――。



>>>code=black lily >>>DEAD or ALIVE―――――?


燃えるような夕陽。

朱に染まる古城を、ユエはただじっと黙って見つめていた。
漆黒の瞳は夕映える城を映し込んで、燠【おき】のように輝いている。
春の宵風に吹かれて、淡い金髪が眩しく光を散らして躍っていた。
手には一本だけ、白い百合。

やがて、ユエは小さな身体を翻して、歩き出した。
城の外へ。大平原の向こうへ。まだ見ぬ世界に続く、古めかしい鉄門をくぐる。

どこへ行こう?
そう思ったとき、ユエの中に明るい少女の声が響いた。


―――――海って、どんな色をしてるのかしら?


海など、本を見ては思いを馳せるだけの存在でしかなかった。
それがどこにあって、どんなものなのか、ユエたちは知らなかった。
海だけではない、山も、湖も、そして街というものも……彼らは何も知らなかったのだ。

頬に付いた血と涙の跡を拭い、ゆっくりと歩いてゆく。
行き先なんて、どこだっていい。
君の見たかったものを、ひとつ残らず見に行こう。

君の心を抱いて―――――。


end
 
 
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