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クリエイター名  藤枝ツカサ
シリアス会話サンプル


 それは、変化だった。
 変化とは言え、少女の何が変わったわけではない。
 それでもそれは変化だった。
 ゆらりと少女が立ち上がる。
 かくん、と傾げた首が、魔王を見た。
 そして、唇を開いた。
「久しぶりね、魔王」
「ああ……神よ!」
 魔王は目を丸くして歓声を上げる。
 まるでプレゼントをもらった子供のように。
 まるで恋人に出会った乙女のように。
 そんな彼に向かって、ゆら、ゆら、と少女が歩き始める。
「神、だなんて呼ばないで頂戴。私は最早神では無いのよ」
「ああ、わかっています、わかっていますとも!私はあの凡愚な『世界』とは違うのですから!」
 神と呼ばれた少女はおっくうそうに首を持ち上げ、魔王を直視した。
「そう。それで、私に何の用かしら。わざわざ世界を軋ませてまで、何の悪戯なの。これは前回とは訳が違うわよ」
「おや、わかっていらした。やはり全知無能の神の欠片と言うことはある」
「答えなさい。貴方を壊す前に、それだけは聞かなければならないわ」
 黒い瞳が魔王を睨めつける。
 青い目をして魔王が笑う。
「貴女をその娘の中から引き摺り出す為ですよ。彼女の心を壊さなければ貴女は出てこない。彼女が貴女に頼らなければ、貴女は動かないでしょう。その娘はやたらに母親へ執着してましたからねぇ。以前、私が母親を殺した時も素敵な壊れ方をして貴女を呼んでくれましたから。母親を蘇らせれば壊れてくれるかと思ったのですが、いやはや意外でした。まさか、執着の対象を『世界』に代えていたとは。おかげで、無駄に世界をひび割れさせてしまいました」
 いえ、それよりも、と魔王は顎に手を当てて低く笑った。
「この短期間に彼女の心を掌握してしまった『世界』の節操の無さの方が、とんでも無いかもしれませんねぇ」
 魔王の笑い声に、少女はひどく苛立たしげに髪の毛をかきあげる。
「だからと言って、世界を軋ませていいと言う物では無いわ。『原始の人類』は彼らこそ世界に乗っ取っていたけれど、彼らの技術で生み出されたもの自体は世界に乗っ取っていない――何故彼らが滅びに向かっているか、彼らが生み出したものがことごとく滅んでしまうのか、それは彼らが余計な知恵を以て世界の秩序を歪ませたからよ」
「しかし貴女は『世界』に消えて欲しがっていたでは無いですか。ならば崩壊もまた一つの消滅の手」
「だから貴方は無知だと言うの!」
 神は目を吊り上げて怒る。
「『世界』とは即ち秩序、秩序そのものを壊したいわけでは無いのよ私は!私はただ、『世界』に絶望して欲しいだけ。彼と言う人格に崩壊して欲しいだけ」
 魔王は道化のようなオーバーリアクションで額を押さえた。
「嗚呼、なんたる矛盾!その矛盾を理解するのは、全知無能の貴女に代わって全てを行って差し上げている無知全能の私には荷が重いですね」
「………それは、私に対する宣戦布告ととってもいいのかしら。私は欠片であるが故に無能で無くなっているのだから。貴方をこの場から退場させるくらいのことはできるわ」
 怒りを露にする神に、魔王は笑いを以てして対応する。
「やはり、ああやはり貴女はエゴそのものだ……。向こうで私が管理している貴女の他の欠片は、私の言うことをよく聞く良い子なのに……」
 神はそれを聞くなり、艶然と笑った。
 そして、言い放つ。
「滅べ」
 ぱちん、と風船が弾けるように、魔王の仮初の肉体が弾けた。
 腕と足の先から、徐々に。
「お前のような者に向ける感情など、嫌悪と憎悪のみで十分よ。自我の無い神の他の欠片はただのエネルギー体に過ぎない。その全能で神を形作って、愛しているとでも言わせているの? とんだ自慰行為ね。私がお前で無く彼を愛したのは、お前が最悪だったからに他ならないわ」
 憤怒の吐息を零す神は、黒々とした瞳を爛々と輝かせる。
「だからこその『魔王』なのは知っているけれども、目に余る」
 ぱちぱちと血液が沸騰し皮膚が弾けそれが内臓へと至りつつあるのに、魔王は笑いを止めない。
「仕方が無い、私には一切の識を与えられなかった。知識に限らずあらゆる識を。『無知』とはそう言うもの。私は知らず識らず、子供のように欲しいものを手に入れたがり、笑いたいように笑い、怒りたいように怒り、泣きたいように泣き、反省もせず、ただ、在るがままに生きるよう出来ているのです。神と対になるように」
 ちっ、と神が舌打ちを零した。
 子供ほどの大きさになりもぞもぞと蛆のように蠢く魔王を見下ろしながら。
「そして私は『全知』。あらゆる識を持つ。だがそれゆえに」
「貴女は壊れてしまった」
「……ええ。そう、よ……」
 神が再び首を傾げる。
「私は、私の持つ識の重さにに耐えきれなくなった。そして、『世界』を愛し『世界』に愛されると言う重責にも……」
 魔王が血溜まりの中から優しげに囁く。
「可哀想な神。私のように無知ならば、そんなに苦しまなくてすんだのに」
「そうよ、何故私だけが全知なの? 何故私だけが知らなければならないの? 何も出来ないのに全てを知るという苦痛。発狂しそうなあの苦痛! どうすれば助けられるのか、すべて分かっているのに、それを口に出すことすら許されない!」
 少女は自らの肩を己の手で抱きながら、苦痛に耐えるように体をよじらせる。
「この苦痛を、あの無知無能の彼は知らないのよ。そんなの不公平だわ。私が苦しんでいるのだから、彼だって苦しむべきなのよ!」
 神の怒りに呼応するかのようにぼこりぼこりと魔王の身体が更に大きな音をたてて沸騰していく。
「そう、だから私は貴方に頼んで体を百八つに分断し、役目を失って『神』として機能しないようにして! 彼が私を探すように、彼が『無知』でなくなるよう仕向けたのに。なぜ彼は無知なままなの? なぜ、彼はおのずから無知であろうとしているの! 許せない、許せないわ」
 でも、と神たる少女はさらに言葉を続ける。
「貴方たちだって同類よ。なぜ、なぜ気付かなかったの、世界が、私が、滅びへ向かっていることに!」
 どす黒い怒りを放ちながら、神は叫んだ。
「どうして誰も気付かなかったの? 彼が私への愛を深める度に世界はぎしぎしと音をたてて軋んでいったのに! 人間が知恵を持って世界の真似ごとをする度に世界はひび割れていったのに! 何故? 貴方たちには聞こえなかったの、壊れていく世界の音が!」
 ひき肉より細かくなりながら、魔王は薄笑いのまま少女を見つめる。
「聞こえなかったんですよ。……すみませんねぇ。わかっていたらいくらでも助けて差し上げたんですが。貴女が私なんぞに救いを求めるその前に」
 魔王が、本当に申し訳なさそうに苦笑し「ではさようなら、今度こそ助けて差し上げます。それまでしばしのお暇を」と言うと、顔が弾けてなくなった。
「……聞こえなかったの、本当に? あんなに大きな音をたてて世界は殻を打ち破られかけていたのに」
 最早人間には見えぬほどに粉々になった魔王の死体を見下ろしながら、独りになった『神の欠片』はそれでも言葉を繋いでいく。
「世界を卵に模すならば、世界とは受精していない卵。その中に雛を内包してはならなかった。なのに抱いてしまった。だから、孵化しようとした雛に、喰い破られそうになった。私を愛すことは即ち雛に養分を与えるのと同義。何故なら私も魔王も、雛の妄想から生まれたものだから」
 神は血に染まった魔王の銀色の髪を摘むと、それに口づけた。
 愛おしむように、憐れむように、慈しむように。
「私が望んでしまったからいけなかったの。世界に会いたいと、孵化してしまいたいと望んだから。ごめんなさい魔王よ、貴方は私に巻き込まれただけ」
 涙が神の頬を辿って落ちて行く。
「でも、私は孵化したいのよ。頭ではわかっているの、孵化などしてはいけないと。孵化こそが最大の禁忌。それを犯せば世界は音を立てて壊れていくでしょう。だから私だって一度は阻止しようとした!破壊されたら創造すれば良い? そんなものは愚者の論理。私たちに創造まで出来るほどの力は無い。それを知らずに、人は世界を壊していくの。だから、孵化とはタブー。そんなこと、頭では、わかっているわ」
 けれど、と囁いて、神は魔王の髪を散らした。
「私に欲望というものをを植え付けたのは魔王、貴方なのよ。だって私には本来感情なんて無かったんですもの……。その私はまだ、孵化の願望を捨てきれていないの。孵化しないまま、死んでいくのは嫌なのよ」
 神は唇についた血液をぬぐう。魔王の血が、赤い口紅のように神の唇を彩った。
「そしてそれが、今私が抱える滅びの歴史。私は知っている……今何者が雛の具現として顕現しているのか。今どこまでそれが進行しているのか。ああ、もうすぐ『彼女』は孵化してしまうでしょう。私はそれが楽しみでありながら、恐ろしいのよ」
 
 
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