|
クリエイター名 |
藤枝ツカサ |
シリアスバトルサンプル
ほう、と楓はため息をついた。 彼女がいるのはビルの屋上である。高鶴海岸から五百メートルほど離れた四階建ての雑居ビルで、それほど高さがあるわけでもない。だがそれでも落ちたら間違いなく頭がひしゃげるだろう。 そして今、ビルには楓以外の人影が無かった。否、ビルだけではない。高鶴海岸から半径三キロメートル以内に人の気配は無かった。 警察が指示を出して全員避難させいるからである。楓も高峰の口添えがなければ入れてもらえなかっただろう。とらえどころがない女だが、こういう時にはありがたい。 「それにしても、『セイレーン』……」 呟きながら、楓は砂浜の方を見た。左手の指が、自然と腰につけた手榴弾の表面をなでる。 セイレーン自体は空想上の生物に過ぎない。歌声でかどわかし船を沈める魔性の獣である。 だが、このセイレーンは違う。 『歌声』と呼ばれる衝撃波を放ち広範囲を瓦礫に変える『鬼』の一種だ。 音波であるがゆえに回折であらゆるところへ届き、何人たりともそれから逃れることはできない。 「やっかいね」 再びため息をつきながら、楓は時計を確認した。午前一時五十分。もうそろそろ、来る。 機械の右腕で楓はライフルをとった。細長いシルエットで、その長さは子供の身長ほどある。 M82。バレット社製の対装甲用スナイパーライフル。口径が十二ミリメートルオーバーという化物銃で、コンクリートさえぶち抜き一キロメートル以上先から人間を真っ二つにしたといういわくつきの銃だ。 中に入っているのは彼女の右腕と同じ素材で出来た退魔用刻印済みの弾丸である。ただし一発しか入っていない。楓のコネを使っても一発しか手に入れられなかったのだ。 足元にはお守り代わりのクレロンが置いてある。日本では一般にトランペットと呼ばれているアサルトライフルだ。 これにも退魔の銃弾が込めてある。ただしこちらはM82と違い、しっかり二十五発入っていた。 楓は慎重に暗視スコープを調節しながら、海岸を見る。外せば死、あるのみだ。 本来は伏せて撃たなければならないM82を楓は立ったまま構える。右腕の人間離れした腕力で反動を完璧に押さえつけるので、伏せる必要が無いのだ。 時刻は一時五十九分。 楓が緊張から銃身を握る左手に力を込めた瞬間。 暗視スコープで区切られた円形の海面が、揺れた。 「!」 ぞるり、と。 ぶよぶよとした白いものが海から這いずり出てくる。 普段冷静な楓さえ、脳の奥から生理的嫌悪感が湧き出てくるのを止められなかった。 それほど鬼はひどく――ひどく『いびつ』だった。 まず、頭部が横に長い。否、頭部であるかどうかも怪しい。何せ頭部と思しきその場所は胴体から直接生えていて、明確な区別が無いからだ。 その部位は、両耳をつかんで人の頭を横に引き伸ばし、さらにそれでも飽き足らないと渾身の力を込めて三回転ほどねじったような形をしている。喩えるなら、チュロスを突き刺された人間の頭と言ったところだ。 常識を無視したその器官には、顔が無い。水を吸った水死体のそれのように、ぶよぶよと白く膨らんだ皮膚の上には何も無い。のっぺらぼうにしても、もう少し愛嬌があるだろう。 そんなものがのろのろと海面から出てきている。 やたらに遅いその動きに僅かな苛立ちを覚えながら、楓は上半身をスコープで捉えた。 頭部と一体化した胴体からは、大型の肉食恐竜を連想させる短い腕と太い足、そして巨大な翼が生えていた。これもまた、頭部と同じ真っ白で柔らかそうな皮膚に覆われている。 総合的な雰囲気は子供が作った粘土細工にも似ていたが、そこには無邪気さではなく悪意と狂気だけが詰まっていた。 そしてそこに、楓は光るものを見つける。 「あれね」 スープに長時間つけたパンのごとき体の中央に、真っ赤でつややかな玉が輝いていた。どうもそれだけは周りの皮膚と違い硬質なものでできているらしく、鬼がいくら体を動かしても動かない。 紅玉を打ち砕かんと楓は照準を合わせ、安全装置を外し、楓の機械の指が、引き金を引く。 当たる、予定だった。その銀の弾丸は違わず鬼の胸を貫き、塵へと返す予定だったのである。 だが突如、鬼が短いその腕を振り上げた。 「しまっ……!」 弾丸は鬼の腕へと着弾し、ぼしゅう!と音を立ててそれを消滅させる。 大口径の弾丸はそれくらいで地に落ちたりはしなかったが、失速して鬼の宝玉へ突き刺さった。 ビシィッ!と赤い玉にひびが入る。しかし砕け散ることは無い。 焦る楓へ、鬼が振り向く。 そして、ぶるぶるとからだを震わせると。 ――ぎぎげががぁぁぁぁぁがががぐぐるるうぅぅぅぅぅぅぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃ!! 吼えた。 ぎりぎりと爪でガラスを引っかくような音の爆発。喉を介さない咆哮。 この世の全てを嘲弄し、罵倒し、冒涜し、蹂躙するその声ならぬ声は、衝撃波となって楓に襲い掛かる。 浮遊感を感じた瞬間、楓は死を覚悟した。 しかし、背後の屋上のドアに叩きつけられた体はミンチになっていなかったし、ビル自体も振動はしたものの倒壊はしていない。 何故?と思いながら、一緒に吹き飛ばされたらしいクレロンを引っつかんでドアを蹴破ると急いで楓は階段を駆け下りた。 二回目の衝撃波が来て、ビルが横に揺れる。 だが、雑居ビルは壊れない。 「なるほど、そういうことね」 先程の弾丸は確かに宝玉を割ることは出来なかった。 しかし、確かに命中したのだ。 その結果、ひびが入った。 そのひびが、今の鬼の弱体化を呼んでいるのである。 楓は階段を降りきると、ガラスが割れて筒抜けになった扉から走り出た。 ビルから降りると、一直線に海岸へ向かって走る。鬼を倒すために。 無論、楓の低い身長で三メートルは上にあるであろう鬼の宝玉を砕くことは出来ない。しかもクレロンの残弾は二十五しかないのだ。他は腰につけた手榴弾数個のみ。 だが砂浜には対戦車地雷が設置してある。そこへ誘い込むことが出来れば、あるいは。 「違う」 一歩一歩に力を込めながら、楓は前進する。 「『出来れば』、じゃないわ」 傭兵時代から履き続けている軍用ブーツで、海岸までの砕けたアスファルトの道を、無人の道路を、踏みしだく。 「可能性の問題じゃないの」 三度めの咆哮。衝撃波が楓の全身を襲い、華奢な体はひっくり返って後ろに二メートルほど転がって、電柱にぶつかって止まった。 立ち上がると背中がぎしりと軋む。それでも彼女は、止まらない。 高鶴海岸に面した藤蘭駅。その横にある遊歩道に差し掛かると、ビルに匹敵するような鬼の全身が見えた。 どこに地雷があるのかは、覚えている。 「『やる』、のよ!」 さらに加速して遊歩道を抜けると、腰から手榴弾をもぎ取り口でピンを外すと思い切り鬼に向かって投げた。 爆発が海からの風をかき回し、楓の黒く長い髪もかき回す。 その爆発に鬼は彼女を排除すべき何かだと認識したようで、つやりとした顔を楓に向けた。 走り抜ける楓を、体をひしゃげさせながら鬼は追う。 今鬼がいるところから向かって右へ百メートルほど。それが地雷の場所だった。 「こっちよ、のろまな鬼さん」 走りながら、もうひとつ、ふたつと手榴弾を投げつける。 閃光と爆音が重なり、鬼の進むスピードが心なしか速くなる。 四度目の衝撃波に、楓の体が吹き飛んで、前方へ転がっていき、砂の共に十メートルほど飛ばされた。 痛みを訴え始める体を無視して、楓は五回目のそれが来る前に急いで立ち上がり再び走り出す。 そして地雷の手前で立ち止まると、振り返って鬼を見た。 鬼は盲目的なまでにまっすぐ楓に向かってきていた。楓と鬼との残りの距離は、二十メートルもあるのだろうか。先程までの愚鈍な動きが嘘のような速さだった。 これが勝負なのだ、と彼女は心の中で叫んでから、地雷を迂回して向こう側に行く。 己の衝撃波が弱まっていることを理解したのか、それともただの気まぐれなのか、鬼は絶叫を上げない。 そして、楓と鬼の距離が残り三メートルを切った。もう目と鼻の先といってもいい距離である。 それを確認した彼女はクレロンを構えると、鬼へ向かって思い切り引き金を引いた。 ダダダダダダッ!と銃口が火を噴いて、銀の弾丸が放たれる。 クレロンは無慈悲に、獰猛に、鬼の白く太い足を退魔の弾丸により消していく。 鬼が悲鳴にも似た声で五回目の雄たけびを上げて、楓は後ろへ飛ばされた。 だが、鬼もまた前方へ倒れていく。 前のめりに倒れる巨体は、宝玉を中心に地雷の上へ。 閃光――轟音。 主力戦車を吹き飛ばす量の火薬をつめた特製対戦車地雷は、見事に鬼の上半身を丸焦げにし、かつ転倒させた。 ぐるりと串焼肉のように回転する鬼へ、楓は走っていく。 勢いのままチュロスのような側頭部の突起に飛び乗ると、さらに鬼の皮膚の上を疾走。 そして顔の上で方向を変え、深く踏み込んで跳躍。そのまま宝玉の真上まで跳び上がった。 「闇から来た魔は――」 長く黒い髪が月を背負って広がり、茶色の目が、紅玉を捉えて。 「闇へと帰りなさい!」 楓は右手を突き出すと、ひび割れた宝玉へ落下する! バキィィィンッ、と硬質な音がして、赤い玉は完全に砕け散った。 断末魔の叫びもあげず、鬼は粒子になって消滅していく。 それは、今まで鬼によって散らされた人々の命のようで。 足場を失い砂浜に落下すると、楓は海に映る月を見る。 そして、揺らぐ月に向かって右手をかざすと、そっと、ただ静かに目を閉じたのだった。
|
|
|
|