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クリエイター名  みゆ
紅の記憶

□序
 漆黒(くろ)と漆黒(くろ)が混ざり合う時、どんな色が誕生(うま)れるのだろうか――。

 灰色の空気ばかりの都心。
 灰色の空へと手を伸ばす高層ビル。
 地上を歩く人々の速度は緩まることはなく、皆何かに魅入られたかのように灰色の街を進んでいく。
 ざわざわという耳障りな喧騒は、やむことを知らない。

 そんな喧騒から切り離された空間に少女たちはいた。
 灰色の空へと伸びる高層ビルの十九階。
 それまでオフィスに使われていたその部屋には、今は何もなかった。
 二十メートル四方ほどの部屋。窓は足元まですべてガラス張りで、ひょっとしたらガラスなどなく、このまま一歩踏み出せば落下してしまうのではないかという錯覚を起こさせる。
 部屋の電気は消えていた。午後二時の今なら、電気がついていなくても部屋の中は窓から差し込む明かりのおかげで動くのには支障はなかった。
 都心の高層ビルの、何もないただの広い部屋…。十歳前後であろう少女たちがいるには到底ふさわしくない場所なのは確かである。
 初春の暖かい日差しが、部屋の中に差し込んでいた。しかし彼女たちにはそれを楽しむ余裕はない。
「緋穂、大丈夫?」
 プラチナブロンドの髪を肩につく前に切りそろえた少女は、隣で印を結び、目を閉じている少女に話し掛けた。その声に応じ、緋穂と呼ばれたもう一人の少女が瞳を開く。
「大丈夫…多分、耐えられるよ、瑠璃ちゃん…」
 緋穂と呼ばれた少女はやわらかく波打つ長いプラチナブロンドを揺らしながら、己が瑠璃と呼んだもう一人の少女へと瞳を向ける。
 瑠璃は、鏡を見ているような心地になりながら、『もう一人の自分』を見つめた。
 生まれてから…否、母親の胎内に存在する前から共にいた分身。同じ年の妹。
「…っ…なんでこんなときに限って、仕事が入るのかしら!」
 瑠璃は自らの唇をかみ締めた。依頼人や、仕事を回してきた七曜会に対しての苛立ちではない。それは『二人一緒でないと仕事が出来ない』自分への苛立ち。
「…大丈夫。新月が近いせいで十分な力は出せないけど…今日は私は結界を作るのだけに専念するから…。その分、瑠璃ちゃんに負担がかかるけど…」
 苛立ちきを隠せない瑠璃に対して対象的に、もう一人の少女―――緋穂はふわりと微笑んだ。
 瑠璃は大きくため息をつき、緋穂の頭をさっとなでる。
「私のことは気にしなくていいの。満月が近いときは、私も緋穂に迷惑をかけることになる。お互い様なんだから。いいからさっさと終わらせるわよ」
 吐き捨てるように告げられた言葉の裏に隠された本心が、緋穂にはわかる。
 誰よりも自分を気遣ってくれているのだと。
 瑠璃は巫女装束に似た衣装の裾を揺らし、窓に背を向けて一歩前に出る。その後ろに立つ緋穂も、同じように白い衣装を着ていた。
 これが彼女たちの『仕事』の時の正装なのである。
「――――――」
 緋穂が聞き取れないほどの小さな声で何かを告げ、印を結ぶ。普通の人間には何も感じることは出来ないだろうが、瑠璃には部屋を包む結界が生成されたことが分かる。
 それを確認し、瑠璃は退魔の術を使うために精神を集中させ始めた。

 結界―――彼女たちが今まさに滅しようとしている霊たちを逃がさないためのもの。彼女たちの力を、標的以外の関係ないものに影響させないためのもの。そして―――外からの干渉を防ぐためのもの―――のはずであった。

 パシュッ!

 そんな鋭く空を切り裂く音に、瑠璃は術生成の集中を妨害された。とっさに身構え、振り向く。その表情には普段はめったに表れない驚愕の表情が浮かび上がっていた。
「っ…なっ……」
 それだけ口にするのが精一杯だった。先ほど緋穂が生成した結界が、音もなしに崩れていくのが分かる。
 ガラスを突き破り結界を破壊したと思われる矢は、地面に突き刺さり、瑠璃が手を伸ばしてその存在を確かめる前に消えた。
(いくら新月の前で力が弱っているとはいえ、七曜会トップクラスの護りの術の使い手である緋穂の結界―――それも結界生成だけに専念した強力な―――を破った!?)
 どくんっと、心臓が跳ね上がるのが分かる。彼女の目の前には術を破られ、逆凪を受けた緋穂がうつ伏せに横たわっていた。吐血したのか、床には血だまりが出来ている。
(緋穂が逆凪を受けてる!? 逆凪はバレッタに施された護符と術で防がれているというのに…)
 逆凪―――それは術を使うときに生じる歪みのことであり、術の反作用のことである。強大な術を使えば使うほど強大な逆凪が術者自身を襲うことになる。通常はその逆凪に対する対策は十分施した上で術を使う。
 二人の少女とて、例外ではなかった。
 瑠璃は逆五芒星の刻まれた左耳のピアス。緋穂は正五芒星の刻まれたバレッタを守護符としており、それで逆凪の負担を防いでいた。
 予想もしなかった事態による動揺の為か、他の気配に注意するのを忘れた。ふと気づくと、割れた窓ガラスから一羽の黒鳥が瑠璃を見つめていた。
「二つ名『ラピスラズリ』―――今は亡き『リリー』の力を継ぐ者よ」
「!?」
 黒鳥の口から告げられたその言葉に、瑠璃は一瞬目を見開いた。一般人が知るはずのない瑠璃の二つ名を、その鳥は低い声で告げていた。
「…鳥を通じて喋ってないで、姿を見せたらどう?」
 慌てて表情を取り繕う。しかしそれは無駄な努力であっただろう。彼女たちを襲撃した術者―――今鳥を通して彼女と話をしている術者は、おそらくその黒鳥の瞳を通して彼女たちを見ている。彼女の一瞬の驚愕も、逃さず捉えられてしまったはずだ。
「…『リリー』とつけられなかったゲームの決着を、君たちと付けたいと思う。今日はその挨拶にきた。……『ジェイド』が転換期を迎えようとしているという時に少し卑怯かとも思ったけどね…」
 鳥を通して聞こえてくるその声が、くすっと笑った気がした。瑠璃は必死で頭を整理しようと、黒鳥をにらみつける。
「貴方は『リリー』…ゆりかおばあ様を知っているのね? ゲームとは何のこと? 緋穂が転換期を迎えようとしている? 何を馬鹿なことを」
 彼女たちの家系で力を継ぐ者は、一生に一度『転換期』という時期を迎える。数日の間一切の力を失い、その能力は一般人以下にもなる。その後さらに力は強く生まれ変わる。さなぎのような時期である。
 通常その時期は、普段は寄る事すら出来なかった下級霊達を始めとし、さまざまな霊がこれぞ好機とばかりに近寄ってくる。それに対抗する力もなくなるので、結界の張られた屋敷内で力が新しく生まれ変わるのを静かに待つ…というのが通例であった。
 そしてその転換期の始まりは、突然訪れる力の衰えで分かるというのが常だ。
 しかし今、緋穂の転換期が始まるとは考えにくかった。否、はっきりとは判断が出来なかった。緋穂は毎月、新月の前後は通常の半分程度にまで力が弱まるのだ。
 今月は後二日で新月…。その力の弱まりが転換期を迎えるためのものなのか、満月によるものなのか、まだ明言できない。
(でも、何でっ、何であいつは転換期のことを…)
 瑠璃は内面の焦燥を悟られないように黒鳥を見据えつづけた。さっさとこの膠着状態から脱し、緋穂の手当てをしなければならない。
 チラッと横たわる妹を見ると、彼女は瞳を閉じたままかすかに肩を揺らして呼吸をしていた。
(とりあえず、緋穂は生きてる―――)
 少し安堵を覚え、先ほどの問いにこたえようとしない黒鳥に、再び言葉を投げつける。その言葉に見えない敵に対する恐怖は宿っていないのは、少女の年齢から言えばさすがというべきだろう。しかし、焦りは隠すことが出来なかった。
「ゲームの決着をつける云々の前に、事情を説明していただけません? そして、その姿を見せたらいかが?」
 言葉の端々から感じられる刺に、黒鳥がくくっと笑ったように見えた。
「まだ、俺を見つけられないのだね」
 そう笑ったかと思うと、何の前触れもなく黒鳥は飛び立ち、斜め左向かいにあるビルへ向かって飛んでいった。瑠璃は慌てて窓際へ走り、黒鳥の行方を目で追う。
 彼女たちのいる十九階より少し低い高さにあるビルの屋上に、その人物は立っていた。
 黒のスプリングコートと長めの黒髪を風になびかせ、肩に黒鳥を止まらせてその人物はいた。十数メートルは離れているが、その人物は迷うことなく瑠璃を見つめている。
(少…年…?)
 遠目だが、瑠璃たちより少し年上の少年であることは見て取れた。その鋭い眼光からは、憎しみと―――虚無が感じ取れた。

 シュンッ…

 音もなく、前触れもなく、空を切って「何か」が飛んできた。
 瑠璃がそれを「刃」だと認識したのは、自分の頬に一筋の赤い線が出来た後だった。
(!?)
 その刃を発したのは少年であることは間違いないだろう。しかし何の予備動作もなかったため、事態を把握できていない瑠璃の反応は遅れた。
 思わずその刃の行方を追って振り返る。刃は床に刺さり、先ほどの矢と同じように跡形もなく消えた。
 刃が妹に刺さらなかったことを確認して再びその少年を眼中に納めようとする。しかしすでに屋上は、無人であった。

 日が落ちかかっている。室内を照らしていた自然の光源は、弱まってきていた。
「…一体……」
 瑠璃は膝を尽き、呆然と少年の立っていた屋上を見つめた。だがすぐに呆けていた意識を奮い立たせ、慌てて妹の元にかけよる。妹の息を確認した後、彼女は携帯電話に手をかけた。

 任務失敗。建物の破壊。妹の負傷。謎の襲撃――――――。
 あの少年の訪れがこれからの多難を象徴していることだけは、彼女にも分かった。
 
 
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