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クリエイター名 |
庚ゆり |
サンプル
変化
私から笑顔を奪わないで。 嫉妬に狂った顔は醜くて、これが鬼の形相なのだと鏡を見るたび気づかされてしまう自分や、ただの平凡な中学生である現実。それがこんなにも私を落ち着かなくさせている。 最悪の中学校生活最後の年。 菅野あゆみ、あなたがキライ。 私がずっと欲しかったものを、三年生の終わりにかすめ取っていった人。 あなたが同じクラスになってから、彼の表情が柔らかくなったことを誰かに聞いた? 校則違反を見逃してくれたと嬉しそうにしゃべっていたけど、それが今までありえなかったことだって知ってるの? それは始め、私にしか気づかれないようなささやかな変化。そしていまはクラス全員が気づいている事実。
表面上は無表情を崩さない彼だけど、ふともらす溜息がなによりそれを物語ってる。 「あいつ…」なんて匿名で言ってみても、誰のことかはみんな知っている。 彼のとまどうような表情が、あゆみに向けられている事に気づくたび、黒い炎の筋がこめかみを走るみたいに軽く痛んだ。 コーヒーを飲み過ぎてしまったときのような痛み。芯の部分がむりやり覚醒される嫌な夜明けのよう。 あゆみの女の子らしいちょっとしたしぐさを、彼は優しく見つめる。閉じ込めている思いのせいで、注がれる視線はいつもせつなそうにかげっているみたい。 そんな中途半端にじれる日々の夕暮れ。 沈みかけのだいだい色が世界のすべてを染め変える時間に、校庭の端で聞いてしまった告白。 家々の間にほとんど隠れてしまった夕日に背を向けているはずなのに、あゆみの顔がしだいにあかく染まっていくのが判った。 お互いにのばしていた気持ちがつながって補い有った二人の絆。 そして私の思いはどこにも向かわず、ただ負け犬のような影を引きずるだけ。
前は誰よりも不機嫌そうだった彼。 いまは誰より幸せそうに笑う彼。
桜の季節が近づくのに、それを笑って迎えるのね。 「…どうかしたのか」 風で砂埃がまう校庭を、別の事を考えながらみている私に彼が言う。 きっと残酷はこんな時に使う言葉。私の気持ちを少しも判らない彼がかけてくれた言葉に綺麗な白刃の輝きがだぶる。 私のいらだちの原因も知らないで、本調子じゃないことだけは判るなんて。彼は本当に委員長の器。 同意して受け流すのは簡単だけど、私はオンナだからあまのじゃくと相場が決まっている。 「…気のせいよ」 ほら、熱もない。 彼の手を取って自分の額に当てると、ひやりとした幸せの感覚がした。本能がその手を求めるようにすべての感覚が額に集中している。 彼はしばらく思案するような顔をしていたが、そうかと一言告げるとゆっくりとその手を離していく。 薄い幻のような感触が無くなったあとを、白い土埃混じりの風が撫でていった。 私はあと何回、彼にこうして心配してもらえるのだろう。 彼の背を見送りながらそっと額に触れてみたが、自分の体温が指先を暖めるだけで彼の感覚は少しも残っていなかった。 こんな気持ちは冬の終わりと共に消える雪のように淡くて、春になって環境も顔ぶれも変わったら溶けて消えてしまうんだろうか。 なにも無かったように平穏な日常が私を取り巻き。そして時々、今という過去を振り返って胸が痛くなったりするんだろうか。 未来にある今は見えない幸せに思いをはせている私の周りを、白々とした感傷がまるで細かな塵のように舞っていた。
おわり
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