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クリエイター名 |
庚ゆり |
卒業前のひとコマ
卒業前のひとコマ
空は薄氷のような色をしているけど風はそこまで冷たくもない。 そんなどっち付かずの昼休み。僕は先輩と校舎の屋上にいた。
「え、家を出るんですか?」 「うん。きちんと専門の学校で勉強し直そうと思ってさ。探してみたら、行きたいところはみんな家から遠くてね」
本当に楽しそうに話す先輩に僕の頭の中は軽く混乱した。 確かに学園はこの春に閉校になることが決まっているが、先輩が遠くの学校に転校するなんて話は初めて聞いた気がする。
常識的に考えて通っていた学校がなくなるんだから、将来を考えて適した学び舎に移るのは当り前のことだ。 『でも』と思考がそれに異を唱える。
将来の夢の話は先輩から良く聞いていたけど、まさかこの土地を離れるような事態になるだなんて思いもしなかった。 口の中の卵焼きが途端に味を失う。
「それでね。いまは住むところを探してるんだよ」 「それは、大変ですね」
住むところ。と言われて先輩がこの街から出ていくということがまた少し現実感を持った。
「いいところ見つかりました?」
本当に言いたい事は他にあって、それが口からいまにも飛びだそうなのに、僕はなんでこんなことをしゃべってるんだろう。 口と頭はセットじゃなくてそれぞれ別の意思で動いている機械のようだ。バラバラでちぐはぐ。
「それがなかなかね」
軽く腕を組んで唇を尖らせる先輩のそこには、お約束のようにご飯粒がついていて、こんな時まで先輩は先輩なんだと僕はほっとするような切ないような不思議な気分になった。
「ついてますよ」
僕はお約束のように指を伸ばしてそれを取り、当たり前のように口に運んだ。
「うん、ありがとう」
緩く立てた生クリームのような笑顔が先輩の顔に広がるのを見て、もう二度とこんな距離でこの顔を見ることはできないのだろうかと、どこか絶望的な気分で僕はそれを眺めた。
『でもホント、ビックリしました』 『頑張ってください』 『それでいつ引っ越しする予定なんですか』 『お客さんで行きますね』
ぐるぐると頭の中を言葉の鳥が回っている。 どの言葉から口にすれば正解で、今の僕の気持ちを全部伝えられるんだろう。わからない。
「……あれ、もうこんな時間だ。早く食べないと午後の授業に遅れちゃうね」
時計を見ながら何でもない事のように先輩がつぶやく。その言葉にはっとする。
瞬間。
ぐっと喉の奥から強い意志を持った言葉が出そうになって、僕は慌てて弁当箱の蓋を閉じた。
『行かないでください』
頭のなかを巡るどんな言葉より重さと鋭さを持ったそれは、口から出してしまったらたぶん回避不能の一撃になるに違いない。
「どうかした?」
動きが止まったままの僕に先輩の不思議そうな声が落ちてくる。
顔を上げることができない。
先輩の顔を、目を見てしまったら自分を押さえるなんてきっと無理になる。 ぎゅっと極限まで細められて研がれた僕の感覚に、腕時計の秒針の音だけがカチコチと聴こえていた。
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