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クリエイター名 |
綾海ルナ |
苛立ちの理由
────苛々する。 一挙一動が癇に障って仕方がない。 ならば見なければいいのだと背を向けても、やけに通る声が耳に響く。 五感の全てからその存在を消す為に踏み出した一歩は、背後から腕を引かれ呆気なく阻まれた。 「何処に行くんだ。鍛錬をさぼるつもりか?」 明らかに怒りを孕んだ偉そうな口調が苛立ちに火を付ける。 不機嫌さを隠そうともせずに振り返った先には、隊長である少女が大きな瞳で自分を見上げていた。
苛立ちの理由
心の奥底まで見透かされそうな、強い意思を感じる暗緑色の瞳────まずこれが気に食わない。 「副隊長の君が怠惰でどうする。もっと自覚を持ってくれねば困るぞ」 次は男みたいに固く偉そうな喋り方。声音の高さと合わない事この上ない。 見た目だって小柄で細く、思い切り抱きしめたら音を立てて折れそうだ。 それなのに剣を振るい、馬を駆り、臆する事無く戦場へと飛び込んで行く。 何処から見ても女でしかないくせに、男の様に振舞う不自然さが少年を苛立たせていた。 「すっかり隊長気取りだな。俺はお前を認めた訳じゃねぇんだけど」 「君が私を快く思ってない事は知っている。だが上官殿が決めた事だ。素直に従え」 「手合わせしてねぇのに何が分かるっつーんだよ!」 お前に嫌われた所で痛くも痒くもないと言われた気がして、少年は苛立ちを加速させる。 彼女が隊長に選ばれた理由など本当は分かっていた。 長く故郷を離れてた自分と、幼い時からこの地で仲間と共に修業を積んで来た彼女の間にある人望の差は明らかだ。 それに上に立つ者としての器量も認めざるを得ない。だが、頭では分かっていても心がそれを受け入れられないのだ。 「驕る剣に人が付いてくると思うか?」 「うるせぇな! お前こそこんな細っこい腕で俺の剣が受け止められるって思ってんのかよっ!」 彼女に対する怒りが理不尽であると自覚している一方で、どうして自分がこんなに苛立っているのかがわからない。 他の誰でもない、自分自身の事なのに。 「‥‥離せっ!」 掴まれた手首を乱暴に振り解き、少女は眉を顰めて少年を睨みつける。 少年が知る由もないが、鍛えても鍛えても一向に逞しくならない腕は彼女のコンプレックスであった。 「男女の体格や筋力差はどう頑張っても埋められない。だから私は攻撃を避け手数を増やす戦い方を選んだんだ」 迷いのない瞳で見つめられた少年の脳裏に、美しい婚約者と相思相愛の上官の人懐っこい笑顔が過る。 少年が何よりも気に入らないのは、少女が不毛な恋に身を焦がし、褒められたい一心から騎士で在り続けていることだった。 (「似合わねぇんだよ、全然‥‥」) 戦いを終えた夜に偶然見かけた姿を思い出す度に胸が軋む。 泣きながら血に塗れた手を必死に洗う横顔は悔恨の念に擦り減っていて、如何なる時も冷静で毅然としている少女からは想像できないほど痛ましかった。 「その涙ぐましい努力だって、どうせ上官殿に褒められたいからなんじゃねーの?」 渦巻く怒りの向こう側にあるものを知るのが怖かった。 それを少女に気づかれたくなくて、少年は視線を逸らしながら悪態をつく。 その刹那────遠くで打ち合いを行う仲間達の剣戟の音が、一瞬だけ途切れた様な気がした。 代わりに聞こえたのは目の前の少女が息を飲む微かな音。 ハッとなって視線を戻した少年は、怒りではなく切なさに彩られ揺れる瞳と出会う。 「‥‥君に何が分かると言うんだ」 少女は震える声でそう呟くと、踵を返しその場を立ち去って行く。 遠ざかる小さな背に伸ばしかけた手を下ろし、少年は拳を握り締めた。 「分かって堪るかってんだよ‥‥くそっ!」 理解を拒むのは少女自身についてか、それとも自分の本心なのか‥‥。 少年は舌打ちの後、鍛錬に勤しむ仲間の輪へと歩き出す。 その日は全く身が入らずに、散々たる結果になったのは言うまでもない────。
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