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クリエイター名 |
櫻井 文規 |
Walder der Nacht
あのね、あたし、昨日の夜も夢を見たの。うん、前に一回話したじゃない? あれ、忘れちゃった? そうだよね、そんなの憶えてるわけないもんね。でもあたしはいつもいつもいっつも気になっちゃうの。だって、ホントにひどい夢なんだもの。 どんな夢か、もう一回聞きたいの? うん、いいよ、じゃあ話すね。でも、ホント、あんまりイイ話じゃないから、聞いてもつまんないとか怒ったりとかしないでね。 うん、じゃあ、話すね。
真っ暗な空があって、紙の切れっ端みたいに薄っぺらな月がひらひらしてて、蝶みたいな――ううん、違うかな、あれはたぶん蛾だと思うんだよね。とにかく、そんなのがいっぱい飛んでるの。っていうか、夜になればそれがいっぱい出てきて空を覆うから、それでお日さまが消されちゃうんだよね。うん、それが”夜になる”っていうコトなんだと思うの。ああ、あくまでも夢の中での話だけどね。そんなにバカにしたみたいな目で見ないでよ。あたしだってその辺のコトぐらい、ちゃんとわかってるんだから。 その蝶だか蛾だかしれないのがね、ざわざわざわざわって一斉に羽を動かすんだけど、それが風になるんだよ。夜の風はあの蟲が動かす羽から生まれてくるの。羽が落とす鱗粉が風に飛ばされて、それで薄い霧みたいになるの。ああ、夜はこうやって出来ていくんだって、なんだかすごく不思議な気持ちになるんだよね。 ともかく、夢の中で、あたしはベッドから起き出してね、カーテンをちょっとだけ開けて、外を見てみるの。 月がひらひらしてて、風が唸ってて、庭の木とかもすごく揺れててね。ああ、ヤだな、こわいなって思うんだけど、でも、なんでだろう。夢の中で、あたし、外に出て行くんだよね。 パパもママもみんな寝ちゃってるのかどうか知らないけど、家の中、すごく静かでね。床もすごくヒヤっとしてて、それで歩くとギシギシ言うの。ああ、違う。ギシギシ言ってるのはパパとママの部屋だったかな。どっちにしろ、あんまり気分のイイ音じゃなくて。 あたしはパジャマ姿のまんまで、カーディガンだけはおって、玄関のドアをこそっと開けて、外を覗いてみるの。玄関、寝る前にママが鍵を閉めてあるはずなのに、なんでか開いたままになっててね。あたしがドアに触れると、押してもいないのにするするっと開いちゃうの。 で、あんまり真っ暗だから、あたし、ランプを持ってね、外に出るの。え、ランプ? うん、ずっと前に、確かパパが買ってきたやつ。知ってるでしょ? 飾りものなんだけどね、玄関に置いてあるの。まさか火が点くとは思わないじゃない? でも、夢の中だとちゃんと点くんだよね。手にとってみたら、なにもしてないのに、ポって明るくなるの。あれ、もしかしたら実際に使えるランプなのかな。今度点けてみようかな。 外に出たら、蟲は一匹もいなくなってて。部屋の中からだと確かにいっぱい見えたのにって思うんだけど、なんでだろう、あたし、あんまり気にならなくてさ。それよりも家の裏手にあるお墓の方に行ってみようって気になるの。お墓? そんなの、実際にあるはずないじゃない。うちの裏手にあるのはジイちゃんのジイちゃんの代からのものになったっていう森があるだけだもん。知ってるでしょ? スグリとかいろいろ採れるじゃん。栗とかもそろそろ落ちてるかな。今度採りに行ってクリームにでもしようか。 ああ、うん、ともかくね。あたし、ランプを持って、森の中に入っていくの。蟲はひとつもいなくなったのに、それでもざわざわざわざわっていう音だけはちゃんとしててね。樹が揺れてて、枝葉で隠れちゃって空も見えなくて、でも月の光はちゃんとあるの。でもそれで歩けるほど明るいものでもないよね。ランプがないと、あたしきっとろくに歩けないんじゃないかなと思うよ。フフフ、夢の中なのに、なんかヘンにリアルでしょ。 え、お墓? うん、お墓は森の一番奥のほうにあってね。あたしも奥まで入ったコトはないんだけど、小さい池みたいな水場があって、その真ん中に、真っ白な石碑みたいなのが立ってあるの。そこだけ枝葉で隠れていないからかな、月がひらひら光ってて。それが石碑みたいなのと水場をぼうって照らしてるの。 あたし、ランプを置いて、水の中に入ってみるんだけど、これがすごく冷たいの。背中とかがゾワってなって、身体中鳥肌。あたし、パジャマにカーディガンじゃない。水の中、案外と深さもあってね。パジャマの膝上とかまでびっしょりになっちゃうの。あたし、でも、どうしてもその石碑みたいなのが気になって、どうしてもそこまで行かなくちゃいけないような気がして、ずうっと進んでくの。 ランプがぼうって光ってて、それが森の影を石碑に映してて、あたしは後ろを見なくても森の様子を知るコトが出来てたの。 森がうねってて、――それがなんだかタコとかみたいな動き方になってて。 ううん、森は生きてるの。夢の中でだけどね。タコとかイカみたいな軟体生物みたいな形になって、それでうねうねしながら獲物を待ってるの。――うん、夢の中で、あたし、そんなコトをぼんやりと考えてるんだよね。夜に飛ぶ鳥とかって、……もしかしたらあの蟲も、森が全部食べちゃってんだろうなって思うの。――やだ、笑わないでよ、フフフ。 石碑? ああ、そうだった、石碑ね。うん、石碑はあたしよりもうんと大きな石で出来てて、一枚岩で、わりと薄めなのかな。あんまり厚みはなかったかな。ああ、でもあたしの手の大きさよりは厚かったから、それなりに幅もあるのかな。石もすごくヒンヤリしてた。 月がひらひらしてて、ランプがひらひらしてて、石碑には森がうねってる影が映されてて。映写機みたいだよね。カタカタって廻る音がしないだけで。石碑は真っ白だったし、ホントにスクリーンみたいな。縦長なスクリーン。カタカタ廻るフィルムの代わりに、森がざわざわって廻ってた。 で、ね。 石碑には、なんだか適当に刻み付けられたような、文字みたいなのがいっぱいあってね。名前? うん、名前みたいなのもあるんだけど、それ単体じゃないっていうか。憶えてるだけでもいいから、って? うーん、いいけど、……あんまりイイもんじゃないと思うよ。それでもイイ? ……うん、わかった。
ロベルティーネ、いつまででもおまえを想う かわいいリーゼロッテ、帰ってきておくれ 地獄に落ちろ、ベルンハルト フランツ、フランツ、フランツ、フランツ! もう二度とわたしの前に現れないで!
……伝言板みたいなものかって? うん、そんな感じなんだろうね。あたしはロベルティーネもリーゼロッテもベルンハルトも知らないけど。フランツなら二軒となりに住んでたけどね。そういえばフランツさんがいなくなったのって何年前? もう三年ぐらいは経ったかな? ちゃんと憶えてる? ああ、そうか。憶えてないはずないか。 あたし、フランツさんってあんまり好きじゃなかったんだよね。だってあのひとベルタを蹴ったのよ。あたし見たんだもん。あんなに小さい犬なのに、フランツさん、思いっきり蹴飛ばしてさ。それでゲラゲラ笑ってさ。あたしベルタがかわいそうで、それでその夜のうちに逃がしてあげたの。フランツさんの家の庭にこっそり入っていってさ。 ああ、うん、それでね。ともかく、そんなようなのがびっしり刻まれてあるの。あたし、指を這わせて、それをずっと読んでいくんだけど、その内に怖いものを見つけるのよ。 かわいいゲルダ
ゲルダ! あたしの名前もゲルダ! よくある名前だけど、それでもやっぱり、気味が悪いじゃない。しかもそれはこう続くのよ。
かわいいゲルダ。おまえが地獄の底で永遠に焼き滅ぼされるように、って。地獄の底で永遠に焼き滅ぼされるように、よ!? かわいいゲルダの後に続く言葉がそれ! ヘンじゃない? ねえ、青くならないでよ。あんたの名前はゲルダじゃないんだから。青くなるのはあたしの方。 で、ね。石碑を読んでいくうちに、森の影がじわじわと触手を伸ばし始めるの。ランプがそれを映してて、あたしは、でも、それにしばらく気がつかないの。だって、石碑を読むのに夢中なんだもの、毎回毎回。 月がひらひらしてて、ランプがひらひらしてて、森が――森のざわつきは、気がついたら子守唄みたいなメロディに変わってた。 あたしはようやく振り向いて森の様子を窺うの。子守唄に気がついたからかな。ママがよく唄ってくれたのに似てたから、それで気になっちゃって。 森は真っ黒な泥の中から抜け出てきたみたいな色をしてて、ぬめぬめしてて、枝葉はもうすっかり水かきのついた触手みたいに変わってた。生き物になってるの。見たコトもないような怪物よ。目も鼻も口もないんだもの。あれはきっと怪物に違いないわ。それこそ地獄の底から涌き出てきたみたいなね。 ねえ、なんでそんなに青くなってるの? そういえば初めっから青かったよね。ねえ、寒いなら上着をもっとはおりなよ。もうすぐ冬だもん、寒いに決まってる。暖炉も点けようか? いいの? もう寝ちゃう? ああ、もうこんな時間なんだ。あたしももう行かないと。 あれ、でも行くって、どこへ? ああ、ああ、もう、あたしったらいちいち話が逸れちゃう。ごめんね、いつもいつも。フフ。 ねえ、そういえばパパとママは? おかしいのよ、パパともママともちっとも会えないの。 ああそうだ、思い出した。あたし、それでパパとママを捜しに来たんだった。ごめんね、いつもいつも。でもあんたはあたしの姉妹だもん、イイよね。あたしの話だってちゃんと聴いてくれるし。 そういえば、その石碑、夢を見るたびに文字が増えていってるような気がするのよ。古いのに書き足されるのもあるし、まったく新しく書かれていくのもあるし。だからあたし毎回それを読みに行っちゃうのよね。 それで? 森はあたしを捕まえちゃうのか、って? うん、あたし、最後には捕まっちゃうの。泥人形みたいな姿になった森の触手に捕まって、水の中に押し込められて、――うん、それで、耳元ですごくイヤな音がするの。ゴリゴリ、ベチャベチャって。ああ、あたし、食べられてんだって、なんとなく思うの。噛み砕かれて、それで森の中に呑み下されちゃうんだって。 あ、ごめんね、また長くなっちゃった。ねえ、パパとママを見つけたら、あたしのところに来るようにって言って? あたし、せっかくパパとママとみんなで一緒にいられるようにって思って。お姉ちゃんはもうお嫁さんに行っちゃったんだもの。お姉ちゃんにはしあわせになってほしいって思ってるのよ、これでも。ホントよ、フフフ。 うん、じゃあ、そろそろ行くね。あたし、また夢を見なくちゃ。怖いけど楽しいのよ。最後には食べられちゃうんだけどね、フフフ。ああ、今回はどんな名前とかが増えてるかしら! 知ってる名前とか出てこないかな。
ねえ、そういえば、お姉ちゃんが帰ってきたのって、フランツさんがいなくなってからだよね。フランツさん、ベルタじゃなくても蹴飛ばしたりしてたんでしょ。だって、あたし、フランツさんに蹴飛ばされたんだもの。ベルタの代わりに。蹴飛ばされた以外にも、あたし、結構さんざんなコトをされたのよ。知ってる? あいつ、フランツって、ベルタにもあんなコトしてたのかな。おかしいよね。狂ってる。 フランツさんもきっと森に食べられちゃったのね。フフ、戻っても来れないなんて悲惨ね。それとも戻ってきたりしてるのかな。あたしが知らないだけか。 じゃあ、あたし、もう行くね。またきっと来るから。 あ、そうだ。それと、お姉ちゃん、ひとつだけいい? オトギリソウとか飾っても、それってあんまり意味ないって前に聞いたコトがあるよ、あたし。あれ、誰に聞いたんだったっけ。ま、いいか。とにかく、あんまり効果はないみたい。だからどうせ飾るならもっとキレイな花にしなよ。もっと香りもあって色もキレイなさ。 ウフフ。
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