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クリエイター名 |
小鳩 |
【翡翠の紋章】(ファンタジー)
■サンプル2 【翡翠の紋章】より
「ようこそ。始まりの庭園へ」 白い娘が草原の真ん中へ立っていた。騎兵隊は瞬時に臨戦態勢へ入る。 「我が主の命により、破片を回収させていただきます」 声は三方向から響き、左右から同じ姿の娘が現れた。やがて残像のような中央の娘へ歩み寄ると解け合い、一人になった。 「やはり、三人に分裂すると一人は途中で機能停止してしまうようだ。二分割が限界だな」 イルデブランド・カープリァは、研究者の感想を述べると集った者を見渡した。 誰もが沈黙している。 「始めよう」 主の声がかけられると、白い娘は暗黒の翼を広げた。突風と共に舞い上がると垂れ込めた厚いを雲切り裂き、夜の空をえぐりだした。 翼を持つ者が空中で羽ばたきながら六番目の音階を喉から放つと、応えるように周囲の雲が蠢き、たちまち重い雷鳴が轟いた。紫電が縫いながら駆け巡り、全身を揺るがす大きな響きが騎兵隊の三人組とルルを貫く。 「なぜ、こんな大げさな舞台が必要だったんだ? 大貴族というおまえの立場なら、さっさと俺たちを殺して“破片”とやらを奪い取れただろうに」 コリントの言葉にイルデブランドは大きく頷いた。 「もちろん、その方が簡単だ。しかし、私は美徳のない虐殺は好まないのでね」 強い閃きが、対峙する中心へ落ちると大粒の雨が天空から叩きつけられ、二人の放つ言葉へ覆い被さっていく。 「やろうとしていることに変わりはないだろ! あいにく俺はそう易々と殺されやねぇぞ! ここにいる全員もな!」 コリントの咆哮と共に騎兵隊はイルデブランドへ刃を向ける。しかし、隼の速さで急降下してきた娘が翼を広げて盾となった。柔らかに見えた翼は、鋼でできているかのごとく硬質さを持って剣花を散らし、三つの刃を受け止めている。間合いを取り直した騎兵隊は、瞬時に力技である怒濤の連撃を仕掛け、その剣先をかわしていた細い腕を捕らえた。しかし、傷はあっという間に蘇生していく。 ルルはセゼーンへ駆け寄ると、両脇へ腕を差し入れて引っ張り、その場から離そうとしていたが、突然振り払われて尻餅をつく。 「私はここへ残るわ。ここにはサミーフがいるもの」 舞姫はずぶ濡れの巻き毛を大きく一振りすると、交戦を続ける三人に向かって歩き始めた。 「待って! イルデブランドはみんなを殺して破片を集めるつもりなの! 今行ったりしたら……」 「サミーフが望むなら、私はどんなことも厭いはしない。命だって惜しくはないのよ」 「そんな……」 ルルは掴んでいた腕を放しかけたが、再度十指へ力を入れ直した。離す訳にはいかなかった。 「そんなこと! サミーフが望むはずないじゃない! 大切な家族がいなくなったら悲しむに決まってる!」 セゼーンの琥珀の瞳が雨を受けて涙を流しているかのように見える。だが、壮絶とも言える艶やかな笑みを作って見せた。 「私たちは元は一つだった。だから、元に戻るだけ」 ルルは何も言い返せなかった。それはセゼーンの決意の固さに同調した訳ではなく、まったく違うはずの彼女の顔が、サミーフそのものに見えたからだ。遠くなっていく背中を見送っていると、喉からごつごつと嗚咽が漏れてくる。手の平へ爪が食い込むほど握りしめながら唇を噛みしめた。 「でも! それでも嫌だ! こんなのはダメ! ねえ、サミーフ! 嫌だよ!」 落雷と閃光ですべてが純白に染まり、轟音で耳が塞がれた。しばし鼓膜が張り詰めて痛いぐらいの無音で満たされ、溢れる光が終息していった。 「そうだね。僕は誰も失いたくないから……」 水で清められた廃園で立つのは、糸の雨に濡れそぼつ吟遊詩人。
千の破片は再生を求めて人の身の内へ入り込み、長い歳月をかけて血族を循環し、親から子へ密かに純度を増しながら、五つの破片に精製されていった。 五体に分かれた竜の結晶。【怒れる鉄の結晶】、【怯える嵐の結晶】、【憂う雨の結晶】、【荒ぶる魂の結晶】そして、【歌う竜の結晶】。 「人間が持ち得ない破片の大きさだ。おまえたちは竜そのものだとも言える」 イルデブランドだけは、まったく雨の洗礼を受けていなかった。乾いた長衣はわずかな露さえ弾いている。 「僕は誰からも奪いません」 「……それは、皆の行く先に不運を撒き、今の自分を手放すということだが……、いいのかね?」 「人の身を旅するのは終わりです。貴方も本意ではなかったはず」 騎兵隊三人とルルはようやく気が付いた。五人いるはずの欠片の保持者……。後一人がここにはいなかったのだ。 「貴方は……もう一つの“翡翠の紋章”を追って、この世界へ来たのでしょう?」 青年は何も答えなかった。
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