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クリエイター名 |
小鳩 |
【萩 野】(和・古典風)
■サンプル3 【萩 野】より
小さき姫君は霊験を持ち、病の者を治したり、泉の湧く場所を当てたり、時には人の心さえ見透かし、叛乱を未然に防いだ。そのあまりの神通力を恐れたり、怪しむ者もあったが、来る人は絶えず、姫もすすんで話しを聞いていた。名は迹迹日百襲姫(トトヒモモソヒメ)。三輪山に住む仙女と謳われた。
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部屋の隅で男が座っている。数日前から現れた男は、明かりの中で書き物をする間、黙って身じろぎもしないでいるので、さして気にもかけていなかった。 それというのも、夜な夜な現れるのは人ならざる者が多く、何やら願いや嘆きを一晩中吹きこぼすので、眠ることが難しく、いよいよ嫌気がさしていたのだ。 明かりを吹き消し、床へ入ると男は布団の左に座り、一言も話さず、空が白み出すまで居る。そして、いつの間にか立ち消える。
「それは面妖なこと」 「じっとしているだけで何もせぬ。それに、こぞって床でひしめく異形もぱったり出てこなくなって、よう眠れるようになった」 「なんと怖ろしや。朝まで寝所にいるとは……。え、姫様、もしや人では?」 侍女の訝しむ視線を受け流しながら、百襲姫(モモソヒメ)は白い歯を見せて笑った。 「よう判らぬよ。人も異形も私の目では同じに見える。問われても答えようがない。もし、人であるなら名乗るだろう。わたくしは神の妻、めったなことはできまい」 力ある姫ゆえそれ以上説教をする者もいなかったが、巫女である姫が寝所で男と逢っているなど、あってはならぬことであった。
灯りを吹き消した時である、 「私のことは萩王とお呼びください」 と、声がした。 百襲姫は被りかけていた布団を跳ね上げて辺りを見回す。 男はいつもより少し近く、すでに左側へ鎮座していた。刃物で切ったような目の中心は黒い闇が広がっている。しかし、右目には孔雀の羽が描かれた覆いが当てられて、左目だけで凜と見据えてくるのだ。 「萩か。さて、何用があって通う?」 「姫様はおみ足を悪くしておいでですね。なんとも不憫と思いまして」 「はぁ、同情などは無用よ。走れはせぬが不自由はないのだ」 しばし、萩王の顔を眺める。藍の衣に鈍色の脇差しを帯へ挟み、虚とも実とも取れぬ面(おもて)を浮かべているので、百襲姫は「はて、人ともあやかしとも思えるが」と小首を傾げた。 姫の愛らしい仕草に、萩王は表情を和らげ、隣国の面白い話を語り始めた。三輪山からあまり降りることがなく、まして、動かぬ足では行く所も知れている。耳をそば立て、時に相づちをしながら、薄墨の桜の咲く丘や、白鹿の渡る湖、漁師と人魚の話……。 萩王の口調は終始穏やかで、流れる川の音にも似て眠気を誘った。 朝日が部屋を照らすと、男の姿はなかった。枕の左上に、銀の扇と萩が添えられて、夢ではないと告げている。 「さて、どうする」 百襲姫は萩の花を手に取り、書き机の上へ置いた。
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