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クリエイター名  朝臣あむ
【怪奇事件】

【怪奇事件】

 やかましいほどの蝉の声。
 頭を焦がすほど強い太陽の光。
 熱を吸収しきれなくなった土が熱気を放ち、歩くたびに頬や額やらを汗が伝う。
 それをハンカチで拭えば、遥か彼方まで続く道が見えた。
 田んぼに囲まれた周囲を緑に囲まれた道。その先に、目的地である江西村という小さな村がある。
 雪野は東令新聞怪奇部の先輩、神田と共にこの道を歩いていた。
「先輩、もう一時間は歩いてますよ。まだ着かないんですか」
 足を止め弱音と共に息を吐く。
 新聞社のある駅から電車で乗り継ぐこと計四回。乗車時間は六時間以上。山の中を無理やり通された電車が辿り着いたのは、村から離れた場所にある無人駅だった。
 辛うじて雑草が抜かれた駅に置かれた運賃箱には、古々しい切符がいくつも転がっていた。
 勿論、無人駅というだけあって、駅には誰もいない。
 周囲にも民家などはなく、どうしようもなく寂れた雰囲気が漂っている。
 だが一つだけ、その寂れた雰囲気に合わないものがあった。
 捨て置かれた切符も周囲の状況も、道を囲う雑草の長さも人の来訪を久しいものに感じさせる。にも拘らず、運賃箱に転がる硬貨の一つが異様に新しかった。
 気になって硬貨の発行年を確認したところ、つい最近発行された硬貨であることがわかった。
 雪野は硬貨の年数を確認した後、神田にこう聞いている。
「わたしたちの他にもこの駅に来た人がいるんでしょうか」
 すると神田はこう答えた。
「事件の噂に手繰り寄せられた奇人が俺たちの他にもいるんだろ。まあ、ロクな奴じゃねえよ」
 その後、神田は自前の煙草を咥えて火を灯した。
 古い建物の中で灯された火を、雪野は危惧する気持ちで眺めたものだが、今はそんなことすら懐かしい。駅に着いた時には乾燥していた服も、今は汗で若干湿っている。神田が灯す煙草の火もこれで何本目か。
「ちっ、切れやがった」
 ぐしゃりと手の中で握り潰された異国の箱が道端に転がる。
 急いで拾い上げた雪野を神田は舌打ちして見やった。
「もう、道にゴミを捨てたら駄目ですよ」
 どうやら雪野同様、神田もこの果てしない道程に嫌気がさしているらしい。動作のそこかしこに苛立ちが見える。だが苛立っていても前に進む努力はするらしく、雪野を一瞥した視線は道の更に先、村がある方へと向いていた。
「おい、雪野」
「なんですか。走って車呼んで来いとかそういう無茶はしませんからね」
「言うわけねえだろ」
 煙草を噛んで苦笑した神田が小さな紙の束を差し出してきた。
 細かな字が書かれているが、これは全て神田の字だ。
 ミミズがのたくったような不明瞭な文字が延々と何枚かに掛けて綴られている。所々に訂正の為に丸く塗り潰した個所はあるが読めないことはない。
「歩きながらそれを読め」
「何でですか。そんな無駄な労働したくないんですけど」
 メモ用紙と神田の顔を見比べる。
 どう考えても神田に考えがあって提案しているとは思えない。そもそも今歩いている道は綺麗に舗装された道ではない。随所に転がる石は小さなものもあれば、躓く可能性を秘めた大きなものもある。
 物を読みながら歩いて転ばない可能性など無いにも等しい。
「良いから読めってんだよ。嫌ならこのまま帰りやがれ」
 吐き捨てられた言葉に頬が膨れる。が、神田は雪野の表情を見ることなく歩き出している。結局は言う通りにするしかないのだ。
 メモ用紙と神田の背を見比べ、雪野は歩き出した。
 追いついた神田の隣を歩きながらメモ用紙に視線を落とす。
 幸いなことにメモが小さい為か足下が良く見える。これから転ぶ心配は少ないだろう。
 雪野は若干安堵の気持ちを胸に、書かれているミミズ文字を辿った。
『飢えた者が血を求める様。神を冒涜し人の生きる領域の外に出た姿は悪魔とも、死神とも例えられる。特に人の血肉を求めそれを実行する者、そうした者を特定の言葉で形容するならば、吸血鬼――そう、命名するに値する』
「……なんですか、これ」
 出だしを読んだだけでも不可解極まりない。メモ用紙から顔を上げた雪野は、煙を空に向かって吐き出す神田の横顔を見た。
 煙草を唇に挟んだまま煙を吐き出す神田の仕草は器用だ。長いこと煙草を吸っているせいで少しだけ黄ばんだ歯が覗くが、神田は気にしない。それどころか、これこそが男の勲章だと訳のわからないことを口走る。故に雪野が神田の煙草の吸い方に文句をつける事は殆どない。
「今回の事件、覚えてるか」
 チラリと視線だけが向けられた。
 当然とばかりに頷いて見せるが、実は記憶の中で定かなものはない。理由は簡単だ。
 江西村で起きた事件が雪野の所属する新聞社に届いたのは一昨日のこと。
 実際に事件が起きて一月経った後に、噂として流れてきたのだ。
『江西村で両腕の無い遺体が発見された。その遺体は首に二つの穴が開いていたらしい』
 これだけがポンっと何処からともなく放り込まれたのだ。
 信憑性は無いに等しく、同じく情報を受け取った他の新聞社はただの噂と取り扱いもしない。それでも雪野の所属する新聞社の所長はこう言った。「君たちの部署、こう言う訳のわからないの扱ってるでしょ。ちょっと行ってきてよ」道楽以外のなにものでもない。
 だが上司からの命令である。逆らう訳にもいかず、そんな不確かな情報だけを頼りに今回の取材に足を運んだ。
 だからか、事件を覚えているかどうかと聞かれると、あまり自信がない。
 そもそもこの事件そのものが存在するかも怪しいのだ。果たして持っている情報の何処までが正確なのか、噂は全部耳にしているかそれすらも怪しい。
「今回の事件は吸血鬼伝説が根底にあるんじゃないかと睨んでるわけよ。んで、読めるもんは殆ど読んでメモに取ったんだが、お前さんはどう思うかね」
「まさか、二本の穴があったから吸血鬼?」
 確かに一般的に吸血鬼と言えば二本の牙を刺して、そこから吸血行動を行う生き物をさす。神田の考えが二本の穴から吸血気に辿り着いたのならそれは仕方のないことだ。しかし考え方が早計ではないだろうか。
「あの、先輩。二つの穴は吸血鬼だとしてですよ。腕二本はどう説明するんですか。吸血気が引き抜いていったとでも言うんですか」
「ああ、俺はそう思うね」
 残り一本の煙草も根元まで吸い尽くしたらしく、神田は道端に煙草を吐き捨てると靴底でそれを踏み潰した。その場に生える草が神田の動きに合わせて擦り潰される。それを見詰めながら、雪野は首を傾げた。
「何のために吸血気が腕を二本も持ってくんですか」
「非常食じゃねえ」
 あっけらかんと返された言葉に雪野は絶句した。
 神田は優秀な記者だ。それは雪野が良く知っている。だからこそ一年前、芸能部に籍を置いていた雪野は怪奇部に移籍したのだ。神田と言う人の傍で記事を書きたい。そう強く思ったからこその行動だった。
 だが、今の話の経由からして、どこに尊敬の要素があるのか疑問が湧いてしまう。
「あの、非常食に二本も腕は必要ないんじゃないでしょうか。そもそも吸血が目的なら殺す必要もなかったと思います。でも被害者は殺されていた。そして二本の腕を失い、何らかの事情で二つの穴が空いた。それは誰かが何かを示すために行った。そう考えるのが妥当です」
「それじゃあ、俺たちの分野じゃねえだろ」
「そうですけど、そう考えるべきですよ。吸血気なんて存在、居るはずないですから」
「夢がねえな、お前」
 言いきった雪野に神田は肩を竦めた。
 煙草が無くなり口寂しくなった神田が歩き出す。
 手にはいつの間に取り出したのかスルメが一本握られている。たぶん煙草の代わりだろう。口に咥えて奥歯でのんびりと噛み始めている。その姿を見ながら雪野も再び歩き出した。
「殺人事件なんだから夢とか関係ないと思うんだけど」
 こっそり呟くが正面から神田に立ち向かう気はない。どうせ軽くあしらわれるのが関の山だからだ。
 未だに頭上では射すような日が容赦なく照りつけ、蝉の声が暑さを倍増させるように合唱を繰り広げている。あとどれだけ歩けば良いのだろう。
 雪野は気の遠くなる思いで目の前の道を見詰めた。
 
 
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