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クリエイター名  文月 猫
マニュアル部長

マニュアル部長

「おい!。君。この書類、ハンコの位置が違うぞ。マニュアルではなあ、ここは」
「おい!。議事録のファイルが間違っているぞ。マニュアルではなあ、こうして」

と今日も部署内に響きわたるダミ声で部下をどなる部長。もう50代も半ばすぎなのだが、顔の血色はよく、またその声は若い者に負けないぐらいに、大きく、かつしゃがれた声。その体格はズングリムックリで見るからに中年太りを絵に描いたよう。その脂ぎった顔がよけいにあるしゅのうっとおしさを醸し出している。

 だがこの部長。そんな容姿よりもっとうっとおしさを醸し出していることが。
それはなによりこの部長、部下の間で密かにささやかれている『アダ名』の持ち主である。
 してその『アダ名』とは。
「マニュアル部長」、これが部下たちが密かに命名した部長のアダ名である。それは常日ごろ2言目には口にでる
常套句から名づけられたものである。で、その常套句がさきほどから何回も口にしている「マニュアル」なのである。

 なにせこの部長、この部署に配属になるまでは、入社以来ずっと総務課で存在感を発揮されていたお方。
 その為かはたまたもともとの性質(タチ)なのか、部下の仕事のちょっとしたことのアラを探しては、すぐに
「これはマニュアルでは」
 と始まるのである。よってつけられたアダ名が「マニュアル部長」というのである。

 この部長。そのアダ名が物語る通り、会社内では「マニュアルの生き字引」と謳われるほど。なにせ、ただでさえ膨大かつ微にいり細に穿った社内の膨大なマニュアルを、『すべて』暗記されているのでは、と噂されるほどである。
 しかもそれが立て板に水の如くすらすらと口からでてくるのだから、聞かされたほうは溜まったものではない。よって、社長や他の重役連中からもともすれば煙たがられることはあるのだが、とはいってもなにせ会社ではこういった人材は部長を置いてありえないために、社内ではある程度の畏怖と尊敬の念をもたれていることも確か。
 ひとたび会社内の重要事項で、何かマニュアル的に不整合、不都合はないかという話になれば、真っ先に呼び出されるのがこの部長なのである。しかも当の本人。それがご自慢だと見え、事あるごとにマニュアルの話を持ち出したりするのだから、よけいに話がややこしくなることも。

 まあ、そんなこんなで煙たがられ、役立たれ、疎んぜられ、重用されているこの部長様。
 ある日、例の如く部下の書いた書類のちょっとした不備を発見したのか、いつもの「マニュアル節」を炸裂させようとしたのだが、その瞬間、彼の身に重大な異変が発生した。

 自分の机の前で、呼び出した部下に対して、マニュアルについてひとくさり講釈をたれようとしたこの部長。
何故か、今まで頭の中に入っていたマニュアルがきれいさっぱり失われていることに気がつく。いつもなら瞬即で口をついて出るはずの細かいマニュアルの一語一句が、まったく口をついてでてこないのだ。

「!?部長?!」
それは当然マニュアル爆弾が炸裂することを覚悟し、頭をたれていた部下にもとっても予想外。妙だ、とおもいつつ、自分の顔をそっと上げ、部長の顔を見るやいなや、
「ぎゃあああああああああ」
といったきり、仰向けにひっくりかえってしまったのである。あそのあまりの声に、まわりにいた同僚たちは「何事か」と彼と部長にその視線を向ける。と、次の瞬間。

「ぶ、ぶ、部長が〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 そのあまりの状況に、思わずわが目を疑い、ゴシゴシと目をこする者も。

 そうなのだ。なんと、部長のそのずんぐりむっくりの赤ら顔が突如、まるで一冊の本のようになってしまっているではないか。しかもそれは分厚いバインダーのような体裁。
 そればかりではない。その部長の十分に太った体躯は、まさに一冊の本の装丁のように真四角、そして何十ページものページが綴られたようになってしまっていたのである。と、突如、部長が口を開く。
「ガ、ガ、マニュアル。マニュアル。10ページ。10ページ」
 それはもはや人間の声ではなかった。本の表紙の一部が口のようにパクパクと動き、そこから奇妙奇天烈な音声を発している。それは機会仕掛けのロボットもかくや、と思える声。さらに、その声に合わせ、胴体の部分のページがペラペラ、と音もなくめくられていくと、なんと10ページの部分がド〜〜ン。と大きく飛び出してくる。

「ぎゃああああああ。バケモノだ〜〜〜〜」
 部署内は大パニック。我を先にと入り口のドアを開け、そとへ飛び出さんとするもの。腰が抜け、その場から動けなくなる者。しまいには、泣きじゃくり我もわすれおろおろするものまで出る始末。その阿鼻叫喚な光景は、直ちに他部署にも知れるところとなり、駆けつけた社長以下、重役たちもその姿に腰を抜かす。

 で当の部長。そのバケモノとしかいいようのない容姿で、相変わらずマニュアルのページ数をわめきながら、椅子から立ち上がり室内をうろつきまわる。と、突如、パニックから脱した社長が一言叫ぶ。
「き、キミは、く、クビだ〜〜」

 瞬間、動きが止まった部長。見ていると頭から煙のようなものを吐き出し、その口からは次のようなセリフが発せられたのである。
「ガ、ガ。クビ。マニュアルニナシ。マニュアルガイトウナシ。リカイフノウ、リ」
 というが早いか、その体のページがすさまじい勢いでめくられると、
「ブシュ」
 と大きな音と共に、部長の体がゆっくりとその場へ膝まずくように崩折れる。
「しゅ〜〜〜」
 という音がし、やがて部長はその場で動かなくなった。

 そう。完璧を極めたはずの、部長のマニュアル。その中にただひとつ盛り込まれていなかった項目があったのである。それは。
「自分をクビにする場合」


 
 
 
 
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