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クリエイター名  間宮邦彦
アジサイ

 アジサイの花が咲く頃、君とまた――

 会社が忙しい時期だっていうのに彼女がどうしてもと強請(ねだ)るから、僕は同僚の顰蹙(ひんしゅく)も厭(いと)わずに有給を取った。
 そして僕等は、付き合って三年目、初めての海に来た。
 空の機嫌は良好。神様は僕等のことが好きらしい。照りつける陽射しは爽快、熱せられた砂の感触は幼い日の砂場遊びを喚起させた。友人から教わった穴場の砂浜は、聞いたとおりに足跡一つ見当たらない。彼女はいたく気に入ったようで、ビーチパラソルの持ちにくさに対する不平不満はどこへやら、諸々の準備を放り出し、ヒールの高いサンダルを脱ぎ捨てて波と戯れに行ってしまった。仕方なく僕は、溜息混じりに準備を始めた。ビーチパラソルを立て、シートを敷く。それ自体は大した作業ではなかったが、クーラーボックスとバッグを担いで砂浜を歩いたことによる疲労は、暑さと運動不足、運転疲れと相まって言いようのない怠さを感じさせた。
 波打ち際でステップを踏む彼女を一瞥し、僕はシートの上に寝転がった。空の陽気も、海の清涼感も、砂の滑らかさも無視して。
 ふと思い出した僕は、パーカーのポケットから煙草を取り出した。銜えて火を点し、立ち上る煙を見つめた。
 そう言えば僕は、友人に『紫煙のような奴だな』と言われたことがある。
 ゆらゆらと捕らえ所がなく、地に足が着いていない。吹けば消えてしまうようなやる気のなさ……

 ひとしきりはしゃいで満足したのか、小走りに戻ってきた彼女は相好を崩して水の冷たさを語った。
 季節は初夏、海水浴シーズンにはまだ少し早い。だからこその貸し切り状態だろうか。
 喉が渇いたのだろう、クーラーボックスからミニボトルのスポーツドリンクを取り出した彼女は、半分ほどを一気に飲んだ。盛大に息を吐き、濡れた唇を手の甲で拭う。
「水、冷たくて気持ちいいよ? 遊ばないの?」
 弾むような声で彼女が言う。対照的に僕は、気怠そうに呻き声のようなものを返しただけだ。そんな僕を見て、彼女は不満そうに唇を尖らせた。
「つまんない。服もそのまんまで、遊ぶ気ないんじゃん」
 全く以てその通りだったが、僕は顎で彼女を示した。彼女自身、露出度は高いが、太股剥き出しのジーパンとTシャツを着ていたからだ。
「あ、ぬ、脱ぐもんっ」
 ふてくされたように頬を膨らませ、彼女は乱雑に服を脱ぎ始めた。二十四歳という年齢と豊満な体つきにそぐわぬ、子供じみた仕草だった。

 ――彼女のことを、『太陽』だと、皆は口を揃えて言う。
 明るく、活発で、感情表現が激しく、周囲の人々にも元気を分け与えるような。彼女の陽気さは底抜けだった。誰にでも変わらぬ態度で接するため、男性からの誤解を招くことも少なくない。
 しかし太陽は沈みもする。昼の顔ともう一つ、夜の顔がある。
 夜の太陽は、月を照らす。自らが脇役に回り、月のスポットライトになる。
 控え目で儚く、優しく穏やか。こちらの心を穏やかに和ませてくれる。
 僕に取っての彼女は、『花』だ。
 仁王立ちして僕を見下ろす彼女が、手を差し伸べてきた。
 ほら、泳ぎに行こうよ。柔らかな唇がそう刻む。
 誘われるように、僕の腕が伸びる。その手を取り、彼女は華奢な腕で思い切り引っ張り上げてくれた。満面の笑顔が僕を迎える。ころころ変わる、七変化の表情。飽きさせない。
 服を脱ぐ僕。彼女は先に海へ入りに行っている。
 パーカーを脱ぎ、Tシャツも脱ぐ。すぽん、と頭がTシャツから抜けた。その時、不意に視界に飛び込んだ紫。妙に気になって、僕は視線を巡らせた。あまりよくない目を細め、探す。
 砂浜を上がった道路、木造平屋建ての家屋の庭に、アジサイが咲いていた。
「ほらー、早くー!」
 遠くから、彼女の呼び声。振り返り、僕は海に向かって歩き出した。
 瞼の奥に焼き付く、鮮烈な色彩。
 砂の熱さ、海水の冷たさ、陽射しの暑さ、クーラーボックスの冷たさ。

 来年もまた来よう。
 アジサイが咲く頃、君とまた。
 
 
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