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クリエイター名  タマミヤ
文章サンプル(オリジナルノベル・純愛風)

<純愛風文章サンプル>


 彼女はまだ長い髪をしていた。


 最初は他人の空似かと思った。だが他人というにはあまりにも似すぎていた。
 彼女は銀色の輝くトングを手にパンを見繕っている。白いトレーに乗せられたパンは甘いものばかりだ。シックなスカートを履いている。そこからすらりと伸びた足の先には、ぴかぴかに磨き上げられた白いパンプス。
 店のウィンドウ越しに見る彼女は不思議な光を放っていた。彼女の周りだけが白く浮き立ち、まるでそこだけに照明が当たっているような錯覚を起こす。
 僕はその煌びやかなステージをただぼんやりと眺めていた。

「……」

 彼女の唇がぽそぽそと動くので、恐らく何かを話しているのだろうということが伺える。彼女の隣に陣取る男もそれを受けて、何かをぽそぽそと喋っている風だった。それは音量をゼロにしたテレビみたいで、僕はもどかしくて堪まらなかった。ガラス越しの彼女はブラウン管の住人みたいだった。
 彼女が笑う。
 知らぬ間に眉を寄せている自分に気付いたとき、ぽんと背中を叩かれていた。

「よ。お待たせ」

 振り向くと、麻衣が立っている。ちょいと上げた手にはスーパーのビニール袋だ。パキパキと自重で中が鳴っているが、恐らく卵のパックでも入っているのだろう。麻衣はにんまりと笑うと、無遠慮に僕の手をきゅっと握った。
 麻衣に手を握られることに、僕は若干の違和感を感じてしまった。そのことに罪悪感さえ感じた。

「さー帰ろう帰ろう。ご飯にしよう」

 麻衣と繋いだ左手。麻衣の右手。
 僕は中指で麻衣の薬指をなぞった。ひんやりとした金属の感触がした。

「なーに、くすぐったいって」

 何も知らずに麻衣はけらけらと笑う。僕は結局麻衣を一度も見ることができずに、ただ前方だけをぐっと見つめた。振り返ることはさすがにもうできなかった。夕陽が目に入るのに、僕の影は前にできている気がした。
 空いている僕の右手。薬指に嵌めた指輪が、なんだか僕を責めている。



 今夜はチキンピカタだよ、と麻衣が言った。ピカタとは結局どこの部分を指すんだろう、なんてことを思い巡らせながら、僕は生返事を返した。まだ作ってもらったことのないレシピだ。
 麻衣はそこまで料理上手ではないが、僕が作るものよりはだいぶレパートリーに富んでいる。だから僕は麻衣の料理が好きだ。面と向かって言ったことはないが。
 麻衣がキッチンで、もー、と唸った。僕の返事が気に食わなかったんだろう。
 僕はゲーセンで捕ったくまのぬいぐるみを枕にして、パソコンの液晶画面に目をやる。別に面白いものはない。でもこの狭い部屋で、娯楽といえばたったこれだけだった。
 とんとんと野菜を切る音がする。一人のときはほとんど活躍しない包丁とまな板だ。さぞかし喜んでいることだろう。

 画面の表面を視線でなぞりながら、僕はずぶずぶと思考の淵へと沈み込んでいった。

 彼女は長い髪をしていた。僕の記憶からそのままの姿で飛び出してきた。
 僕は彼女をどう呼んでいたのか。彼女に僕はどう呼ばれていたのか。それさえも僕の中では既に曖昧だ。過ぎ去ってしまった、というのは悲しすぎるけれど、恐らくはそうなのだろう。でも間違いなく言えることがある。僕と彼女はそう遠くない過去、確かに好き合っていたということ。
 何が原因で彼女と違う道を歩み始めたのかは、残念ながらもう覚えていない。覚えていないということは、きっとそう大した理由ではなかったのだろう。僕の無神経な一言か。彼女の些細な失敗か。
 僕に彼女を疎む気持ちは一切ない。今こうして彼女を思い返しても、そうだ、確かにそういうこともあったなあという郷愁だけが脳裏をよぎるだけだ。そこに果たされなかった約束はないはずだし、伝え切れなかった言葉もないはずだ。
 そう。誓って未練ではない。
 しかし彼女の長い髪、あの瞳を見たとき、僕は動揺した。間違いなく動揺して、そしてあろうことか麻衣に対して罪悪感を抱いたのだ。
 ごろり、と寝返りを打つ。
 思えば彼女と麻衣にさしたる共通点はないように思える。どちらかといえば、彼女は儚げに咲く人だった。決してどちらが良いと言うつもりはない。僕は麻衣が好きだ。
 本当に?
 本当に。僕は麻衣を愛している。このまま関係がうまく続きさえすれば、麻衣を生涯の伴侶に貰ってもいいと思っている。


「ねー」

 視界に突如真っ白な壁が現れたものだから、僕はハッと驚いた。振り向くと既にパソコンでは楽曲の再生が終わっている。気付きもしなかった。
 麻衣はフライパンを片手に不思議そうな表情を向けている。

「うん?」
「にんにく使っても平気?」
「うん」

 それだけ確認すると麻衣は再びキッチンへ戻っていった。
 ……これだ。この罪悪感だ。
 僕はまた眉を顰める。僕の心は一体どうなってしまったんだろう。何故麻衣にこれほどまでも申し訳なく思ってしまうのだろう。彼女と僕の間にはもはや何もないと言うのに。


 キッチンへ立つと、麻衣がフライ返しで一生懸命にトマトソースを作っていた。僕は冷蔵庫からお茶を取り出して、その帰り際に麻衣を背中から抱き締めた。
 麻衣はきゃっと肩をすくめて、それでも炒める手は決して止めない。

「なーに、もうちょっとだから待ってて」

 僕はお構いなしとばかりに、麻衣の肩へ顔を埋めた。微かに首筋から温まったいい香りがする。シャンプーの香りだ。いや、石鹸の香りだろうか。麻衣の香りがする。

「ねえ」
「なーに」
「好きだよ」
「うん、わかったわかった」

 僕の渾身の一言は笑いと共に一蹴され、それだから僕は仕方なくパソコンの前へ戻った。
 麻衣を抱き締めても、もうかつてのようにドキドキと胸が高鳴ることはない。付き合いたての頃の危うさもないが、ときめきはない。だから、本当にそこに愛があるのか? と尋ねられたところで証明するのは実際難しいのかもしれない。
 それでも僕は麻衣を愛しているのだろう。たぶん。どうしても曖昧な言い方になる。

「無花果好き?」

 不意にぴょこ、と麻衣が顔を出した。

「無花果?」
「今日安かったから買ったの」

 頷くと麻衣は再び身を隠す。あまり食べたことはないけれど、確か嫌いな味じゃなかったはずだ。
 無花果。
 あのふわっとした、所在なさげな味を舌先に思い浮かべる。赤い人肉のようなあの甘い花を。味を楽しむのではない。余韻と季節を楽しむものだ、と誰かが評していた。あれは誰だったっけ。
 ふと、今日見掛けた彼女の姿が重なる。彼女の長い髪。白い頬。僕の胸の内に潜む、今の今まで気にも掛けずにいたこの想い。
 そして、ああ、と溜息をついた。
 そうだ。麻衣が今の僕にとって花なのだとしたら、彼女は無花果となったのだろう。彼女が枯れたわけでも、僕が枯らしたのでもない。そこに甘い香りも、綺麗な花弁もないけれど。僕の中に、違う花となって実をつけていたのだ。彼女は僕の中で無花果となって、ちゃんとそこに咲いていたのだ。
 そうか。なんだ。良かった。



「ご飯できたよー食べよー」

 麻衣がお皿を手にやってくる。そして、僕の顔を見てぎょっと身を引いた。

「なに、どしたの一体」
「麻衣、麻衣」
「うん」
「僕は麻衣が好きだよ、本当だよ」

 麻衣は僕の言葉を困った顔で受けて、その後腑に落ちない顔をして、最後は呆れたようにふっと笑った。

「好きだよ。ほら、食べよ」
「うん」
「うん」

 渡された箸を手に取る。チキンピカタは不恰好だけど美味しそうだった。

 僕はようやく彼女の名前をアドレス帳から消せる気がした。
 
 
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