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クリエイター名 |
あまみ |
サンプル
笑顔の澱
その少年は、燃えるような目で駆けて来た。ただ一人、我が主人を睨みつけて。 振り返ると、主人はそれにまったく気づいておらず、部下の報告に耳を貸し、書類に目を落としていた。このままいけば、少年の持つナイフは、容易くその脇腹に突き刺さるだろう。自分の隣をすり抜けて、少年が主人を殺めるところまで想像して……だが、ちょうどこちらを向いていた兵士の顔で、声で、我に返った。 なぜ私は、あのときすぐさま殺さなかったのだろうか? 答えを出すわけにはいかないくせ、そのかさぶたじみた意識の端を幾度も模索した。 実際に私が行ったことといえば……少年に対して蜘蛛の巣じみた魔法の糸を発動させ、包みこみ気絶させて放っただけだ。あれほど無防備にやってくれば、殺すことも捕らえることも容易かったというのに、なぜだかそれとを恐れた。いや、恐れるのではなく、するべきではないと思ったんだ。 後に主人に問われたさ、どうして殺さなかったのかと。殺すほどの奴でもない、ここの土地のものだろうし、殺せば反感が返ってくるだけだと答えた。そうかというそっけない返事に、ホッとしたのを覚えている。 「どうして、殺さなかったんだ?」 ベッドの上でじっとうずくまっていた少年が、暗い顔をこちらに向けた。暗い? いや、熱い復讐心をはらんだ、危険な面差しだ。 まるで凍りついたかのように動かなかった彼がやっと動き始めたと見て、 「殺して欲しかったのか?」 代りに答えた男がにやりと笑う。 その言葉に否とも合とも答えず、少年はまた両腕の間に顔をうずめてしまった。 決してひろくはない王都の宿屋の一室に、物騒な獲物を広げた大の男が二人と、陰鬱としている少年が一人。なんとも嫌な雰囲気だ。 あれから三日。戦場からこの王都まで強行軍で来た。その割に、疲労よりまだ怒りが大きいと見える。今まで一切口をきかなかったのも、怒りに身を任せておきたかったからか、口を開けば気を削がれてしまうとでも思ったのか。少なくとも、怖じ気づいたということはなさそうだ。 「ちょいと待てよ」 少年の頭を見ていた私に、男は足をつついて問い掛けてきた。 「お前、殺さなかった……いや、その時殺そうかと思ったのはどっちだ? こいつか? それとも兵士か?」 「嫌な奴だな……それは、どちらもだ」 兵士を殺して、念願かなえさせてもよかった。絶命した兵士、それを見る主人が、体ごとぶつかってきた少年により、血まみれになる姿も想像した。慌てて剣を握り、しかし上手く行かずに闇雲に暴れる姿を、隣りでじっと見ている自分を。 しかし逆に、少年を殺して、私以外のものを叱咤する主人の姿も想像していた。そして実際に選んだ結果は、ただ決断を先送りにしただけだった。 先送りにするならそのまま放っておけばよかったのに、こいつが手を貸す姿を見かけて、そのままついてきてしまった。 「で、お前は?」 「こいつのおっかさんに手ぇだしちまっててな」 「なるほど、お前らしい」 この男のことはともかく、少年とは三日前に出会ってから、ずっと一緒にいるというのに、何一つまともに話していなかった。戦場から王都までの道のり、歩くこと以外は戦い方の伝授、その実技ぐらいしかしていない。 この男が、「時に、お前、どうしてついて来たんだ?」あまりにも今更な問いかけをしてこなければ、事情の説明もしなかっただろう。 「おれは……許せない」 かすれた声で、少年は呟いた。 見ると、鬼気迫る眼差しでこちらを睨みつけている。あの日の、あのままの眼差しで。 「かぁさんが、ばぁさんが、ユーちゃんやコーちゃんが殺されたあの場所で、あいつが笑うのが……許せない!」 「戦いは終った、我等の勝利だ!」 我が主はそう言うと、盛大に笑った。被害報告を聞く中も、後処理の指示をする中も、笑顔が曇ることはなかった。 奇襲ゆえに、避難警告は間に合わなかった。それでも善戦したために被害は少なかった。とはいえ、ゼロではありえない。 「みなに、王都に戻ったら褒美を出すぞ、よく戦った」 少年の母は死に、近所に住んでいた老婆とその孫二名も殺された。もちろん兵士の死者は多数あり、敵兵の死者の数はそれを優に上回った。 兵士以外の死者は、まとめて穴に放りこまれ、火をくべられて埋められた。少年の母たちも、同じように処分された。少年の元にそれらの死骸を残したとして、まっとうに弔ってやれたかはわからない。だが、敵兵と同じように扱われ、ゴミのように投げ捨てられたのを、少年は泣きながら見ていた。 その直後、ナイフを構えて駆け出したのだ。 我が主人は悪い人間ではない。死者も被害も我が主人のせいではない。豪快なほどの無頓着さも、大きな声も明るさも、いつもならば憎めぬ人だ。 「今でも笑っているんだ、あいつは!」 うずくまり、床を爪で無意味に掻き、搾り出すように口にする。 復讐を遂げても何も戻らない、あの人と打ち合って勝てるわけがない、あの人に悪気などなかった……。お前がなくした自分の家族も、家も、夢もなにもかも、形は違えどもそのすべてをとりもどすことだってできる。命をかけるほどのことなんてない。 言えば、もしかしたら少年は復讐をあきらめるかもしれない。私たちが手伝わなければ、復讐などできぬと諦めるのかもしれない……。 「許さない」 だがそんな考えも、ぐっと上げた顔に、その表情に打ちのめされる。たとえそうだとしても、言い訳のように、この目に負けたのだとしようと。 今、自分たちのやっていることが正しくないことなど目に見えている。成功するはずのないことも解っている。それでも、なお……。 「あぁ、わかったわかった。で? どうするよ」 男が茶化すように言った。 「……あいつを、殺して、踏みにじってやる」 「そうじゃなくて」 「一度しか使えない手だ。私が王宮魔法使いとして戻り、お前を主に紹介する。こいつはお前の連れで、小姓でも見習いでもなんでもいい」 自分の復讐をおぜん立てされるのが悔しいのか、頼りきりになることが悔しいのか、少年は唇を噛んでうつむいた。 「謁見の間に、兵士の数は十数名。魔法で簡単になんとかなるなんて幻想は捨てろ、あそこでは、謀反も考慮に入れられている。使える魔法はわずかだ」 「しょっぱな、側近あたりをぶったぎりやすか?」 「いや、ほとんどが私にむかってくる。お前は、こいつの活路を開いてくれ」 言うと、自分のことを言われて少年がこちらを向いた。 「やるか?」 返答の知れた問いに、少年は、ゆっくりと大きく頷いた。 少年が切りこんで行く。あの時と寸分変わらぬ燃えるような眼差しで。ただ一人、我が主人を睨みつけて駆けて行く。だが、その切っ先は容易くかわされ、我が主人の刃が少年の腹に埋まる。 すべては、ほんの数秒で終ってしまった。 「ひかえろ!」 傲慢な声が響く。御前に崩れ落ちた少年を、補佐していた男が「すんませんね」などと一声かけて抱える。そして、今絶命しようという少年の頭をぽんぽんと軽く叩くと、立ち上がって出口を目指した。 発動しかけていた魔法を振り払い、我が主を仰ぎ見れば、豪快な笑いを口元に浮かべている。 「あなたのその傲慢な笑顔は、これでも曇りことないな。ここ数年側にいて、それを憎いと思ったことはついぞなかった」 「今は、違うか?」 「私は、それでもずっと、あなたがくじけるのを待っていた。それが、あなたの側にいた理由だ」 私も、許せなかったのだ。つまるところ、ずっと主人に対し、死ねば良いと思っていた。だが、自分の手にかけようとも、あえて守りを放棄しようとも思わなかった。 ずっと、傍らで手助けしてもよかった。 澱のように溜まるなにかを適当に発散して、見ぬふりすればよかった。許せないという情熱も見ぬふりして、殺してしまえばよかったのだ。 安定した地位も、不自由ない生活も、従うべき主もいて、だが、つり積もるそれはどうしようもなかった。 「負けようとも次があると笑い、悲しくとも泣いてどうにるわけではないと笑い、恐れの中でもこれこそ生きがいだと笑った。その笑顔を、憎めるわけがない。ただ、その度に胸に溜まる膿のようななにかが、不愉快でしょうがなかった」 その、豪快な笑顔が今はない。出会って数年間、初めて主人の顔が屈辱に歪んだ。 嫉妬なのかもしれない、羨望なおんかもしれない、この素晴らしい主に仕えて数年、彼を自分の位置まで引き摺り下ろしてはじめて、彼を身近に感じた。 かさぶたははがされ、彼が人より虚飾が多いだけの人間であると思うと、膿のように胸につまっていたそれは、彼との関係という血と共にすべて吐き出された。 「両極端な二つの思い、二つの行動。どちらを選べばいいか散々悩んで、出た結果がこれだ……」 「後悔か?」 入り口で私を待っていた男が、呟くように言った。 振り返り、いいやと答えて再び彼を見上げた。 「これが本当に望んだ結果なのか悩む気持ちもあるが、まぎれもなく、私が選んだ結果なんだ」 彼が、笑う。してやられたと、軽くあたまをかかえてると、いつものように豪快な笑顔で私を見送った。 その笑顔を、はじめて、素直に嬉しいと思った。
〜fin〜
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