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サンプル 東京怪談編

 ――汚い店だな。
 玄関の扉から吊られたベルを揺らしながら、足音もなくそのアンティークショップに訪れた少年の目は、あからさまにそう言っていた。
 チャイナドレスに入った深いスリットから、惜しげもなく艶めかしい足を晒している若き店主、碧摩蓮(へきま れん)は、自分用の揺り椅子に腰を沈めた。そして傍らのカウンターに乗っていたキセルを手に取ると、それに火を点け一服する。久々にやってきた客を、じっくり値踏みするために。
 やや身体の線が細いことを除けば、外見的な特徴など一つもなさそうであった。平凡な髪形、平凡な顔、平凡な身長で、神聖都学園というマンモス校のブレザーを着ていた。学校帰りだろうか。壁際の柱時計は午後四時半を指している。まあ誰でも気軽に入れる店ではないのだから、何かしらの資質はあるのだろうが。
 半ば趣味で開いているこの店には、世間一般で言うところの曰く因縁付きの品が統一感なく並んでいる。無造作に配置された商品群の中には、文字通り所有者に害をもたらすような物も多く存在していた。
 店内にキセルの香りが充満する頃、ようやく店主の存在に気付いたらしいその客が蓮を一瞥した。はっきりと視線がぶつかったが、初めから何も見なかったかのような無関心ぶりで客は商品に向き直ってしまう。元より偏屈な客ばかりが利用する店ので、気分を害することもない。
 持ち主の邪念が吹き込まれた西洋人形、異界の獣の魂が封じられた鹿の剥製。快楽殺人者の愛用していた甲冑と槍。客が興味を示す品物を見れば、その人物の精神がどのような状態なのかはうっすらと判別できる。
 十分近く店内を徘徊していた少年がやがて手に取ったのは、棚に置かれていた一本のダガーであった。欠片も躊躇を感じさせない動作で黒い鉄拵えの鞘から柄を抜くと、二十センチ近い諸刃の刀身が室内の照明の下に晒される。
「これ、いくらですか」
 客の発した、高くも低くもない声が店内に響いた。蓮は言う。
「きちんと決めてない。交渉次第ってところだね」
「ずいぶん適当だな」
 こちらに向けた物というよりは、単なる独り言のような口調であった。そんなやりとりの間にも、少年の視線は白刃に注がれている。
 早々に敬語を使うことを止めたらしい学生が、蓮に問う。
「どのくらい払えば譲ってくれるんだ?」
「それは買い手の事情次第。納得できるような事情があるんならタダ同然にもなるし、逆にあたしが商品と買い手にミスマッチが生じそうだと感じた時は、相応に吹っ掛ける」
 さて、と一拍置いて女店主は言葉を継ぐ。
「あんたはその品物を何に使うんだい」
 護身用に、などとほざいたら即座に店から蹴り出してやろう。そんなことを考えながら、蓮は客の回答を待った。
「――どうしても、殺したい奴がいる」
 その言葉を聞いた時点で結論は出たのだが、短剣を鞘に収めた少年は淡々と続ける。
「殺すだけじゃ物足りないくらいだ。もしできるなら、残りの一生を全部使ってそいつだけを殺し続けていたい」
 言葉が紡がれていくにつれ、周囲の空気が異界の物へと変質していく。
 いつの間にか少年の瞳の底には、ひどく鋭利で冷たい光が宿っていた。既にこの客は、界鏡現象の一端に触れようとしている。
 一服しながら蓮は、客の今後を想像する。
 意識的にせよ無意識的にせよ、目の前の学生は遠くない未来に異界へ辿り着くだろう。が、そこから先は相応のリスクが伴う。この世界のほぼ丸写しのような世界も多いが、夢物語のような荒唐無稽で出鱈目な世界もそれなりに存在しており、中には危険な存在もいる。
 すたすたと蓮の前まで歩み寄ってきた少年は、本や小物類で占領されかけているカウンターにダガーを置くと、薄く笑った。
「まあ、さすがにこれは上等すぎるかな」
 それだけ言って背を向けようとした少年を、蓮は呼び止める。
「待ちなよ。この玩具はくれてやる」
 言葉の意味を理解するのに時間を要したのか、少年が声を発したのは二秒近く経ってからだった。
「……正気か。自分の店の商品が人殺しに使われるんだぞ」
「正直に用途を答えさえすればあんたに渡すつもりだった。それに、人の血を啜った程度の品ならごろごろしてるよ」
「物騒な店だな」
「あんたもこれから、その物騒な体験をすることになるんだよ。気休め程度かもしれないが、この剣があんたの身を守ってくれることもあるかもしれない。せいぜい大事にしな」
 鞘ごと放り投げた短剣を、少年は迷うことなく掴み取る。
「代金は? 悪いけど持ち合わせが全然ないんだけど」
「次にここに帰ってきた時の土産話だけでいいさ。――行きなよ。三千世界を駆けずり回って、そいつという存在を根こそぎ殺して尽くしてくればいい」
 怪訝そうに眉をしかめていたが、少年は最後に簡単な感謝の言葉だけを述べると、ドアベルを鳴らしながらアンティークショップを後にした。
 人が道具を求めることもあれば、道具が自分に相応しい人を呼ぶこともある。いずれにせよ、殉教者の短剣が先ほどの少年の手に渡ったのは必然だったのかもしれない。
 役目を終えれば、少なくとも品物の方はいずれここに舞い戻ってくるだろう。
 次に見る時、あの短剣はどんな物語に彩られてるのだろう。
 瞼を閉ざした蓮は、微かに椅子を揺らしながら夢想の翼を広げるのだった。


 
 
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