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クリエイター名 |
霜月玲守 |
荒野
<荒野>
僕の意識は僕だけのもの。他の誰にも汚させたりはしない。
夜の闇に、一人の少年が飛び立った。高層ビルの屋上から、ふわりと。夜の闇に少年の持っている白い大きな布がはばたく。……そう、字の通りはばたいたのだ。本来布の持つ性能とは別に、はばたくと言うことを成し遂げるその布。それは少年を優しく包み、かつ空へとはばたく。 「ああ、今夜も」 少年は小さく呟き、下を見下ろす。逃げる一つの人影。 「今夜も、来てしまったんだな」 否、人影ではない。それはただの影でしかないのだから。人のいないところに生じている影。影はずるずると影から生じ、少年に気付きもせず彷徨う。何かを探しているかのように。少年は影の傍に立つ。自らの影は作らぬよう、ビルの影の所にそっと降り立つ。 「どうして来た?」 影はびくりとして動きを止めた。じっと少年を見るかのように。 「お前が……いや、お前らが何かを探しているのは知っている」 影は動じない。 「だが、恐らくそれはお前らには手渡せぬものだ」 影は動じない。が、少しだけ波打つ。 「大人しく帰れ。それとも、お仕置きが必要か?」 巨大なうねりがそこに生じた。少年の言葉が終わるや否や、少年へと襲い掛かる。少年は眉一つ動かさずに布をばさりと一閃する。それだけで影は二つに切り裂かれてしまう。 「……大人しく帰れば、消える事もなかったのに」 少年は呟く。二つになった影はそれでも一つにまとまり、それから一つの体を作る。魂の抜けた、黒い人型。 『お前に分かるものか。お前には決して分からぬ』 初めて声が出た。暗く、何処までも暗く響く、その闇からの声。少年は口元を歪める。 「何故そのように言う?お前に僕の何がわかるというのだ?」 『お前には分からぬ。我が求むるそのものを、形を持つお前に分かるものか』 少年は布を抱く。愛しそうに。 「なるほど、確かに僕は形を持つ……お前の求むる形を持つ存在だ」 そう言うと、少年は布をばさりと広げ、腕に巻きつけた。巻きつけた、と言うよりも巻きついたという言葉の方が正しいのかも知れぬが。 「だが、その形を得る為にお前が求めるそれは、お前に見つけられては不都合なものなのだよ」 柔らかな布は、硬質なものに代わっていた。鋭い先端となった、槍の先。 「お前が見つける事により、この世の理は崩れ去るだろう。それだけは防がねばならない」 『何故』 少年は再び口元を歪めた。その手に巻きつく槍を構えながら。 「僕が僕として生き抜かんが為」 一閃。影は影となり、その身を消す。途端、布は布として戻る。少年は布を体に巻きつけ、暖を取るかのようにぎゅっと自らを抱いた。 「この世の理……そんなものはとうの昔に消え去ったかも知れないのだけど」 少年は空を見る。東の空が、薄ばんでいる。夜明けが近い。 「それでも僕は探してしまう……この世の理を。どうして僕が生まれついたかを」 少年は只、この世界を美しいと感じた。どうして自分が生まれたのかは分からない。少年は自身の全てを布に奪われてしまったのだから。残ったのは名と体、そして意識だけ。 『蝶、戻れ』 頭の中に響く声。組織において直属の上司の声だ。少年は口元を歪める。一つだけ分かっているのは、今いる組織によってこの布を突如として与えられてしまったと言う事だけだ。 ――いいかい?君は全てを失ってしまったんだよ。君に残っているのは、この布と使命だけ。……この世の理を正すだけだ。 「そんなものは分からない」 少年は呟く。全てを取り戻したいと、心から願う。この荒野のごとき世界において、望むのはただそれだけ。 「僕は……僕として」 少年は布を一閃し、再びはばたいた。空はすっかり朝を迎えてしまっていた。
僕は生きる。この身もこの心も抱いたまま、全てを再びこの手で抱かんが為に。
<荒野の如く広がる世界の中で・了>
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