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クリエイター名 |
霜月玲守 |
水華
水華
何時の頃からだっただろうか。もしかしたら生まれた時からかもしれないし、ついさっきからかもしれない。きっと、そのような事はどうだっていいのだと思う。こうして私が存在しているという事だけで、ただ、それだけで全ては成り立っているのだから。 『何を見ているの?』 トウヤが私にそっと囁く。私は小さく笑い、「何も」と呟いた。トウヤは私にとって一番大事な他人。他人の中で、トウヤが一番大事。ほら、親兄弟は別じゃない?家族はまた別次元のものだから、トウヤと比べる事すら馬鹿げている。だから、トウヤが一番大事だと明言しても間違いじゃないと思う。 『そう。何か、熱心に見ているようだったから』 トウヤはそっとそう言うと小さく笑った。その笑みの裏に隠されたトウヤの思いを知りながらも、私は問い掛ける。「どうして笑うの?」と。 『何か熱心に見ていると思っていたから、ちょっとだけ驚いた』 今度は私が笑う番だった。分かっていた答えなのに、私は笑った。綺麗なトウヤ、優しいトウヤ。私はトウヤの生み出した生暖かな世界で生き、トウヤは私の生み出した生暖かな世界に生きる。それでいいと思うし、それが普通だと考え始めていた。 『いいね、カナは。とても素敵』 まるで馬鹿にするかのような表現だったけど、私は苦笑するだけに推し留める。馬鹿にしているの?と聞いても良かったけど、それよりもただ笑っていたかったからだ。トウヤは優しく微笑んでいるのだから、私がそれを壊す必要は全く無い。 『カナ、好きだよ』 トウヤが囁く。「私も」と小さく呟くように良い、私はそっと目を閉じた。トウヤの存在を感じている。トウヤもきっと、私の存在を感じ取っている筈だ。だって、トウヤと私はこんなにも傍にいるのだから。私が感じる事をトウヤが感じない訳はなく、また逆もそうだと思う。 『カナ……』 私の世界はトウヤの世界で、トウヤの世界が私の世界だ。私達はいつでも一緒。一緒にいなければ……。
私はようやく目を開ける。そっと涙が溢れた。もうトウヤはいないのだという認識が、じんわりと浮かんできた。 昨年事故に遭ったトウヤ。気付くと私の中にいたトウヤ。目を閉じるとこんなにも近いのに、何故だかとても遠く感じてしまう。きっとそれは、胸の中に住むトウヤが言う言葉を、私が全て分かっているからだ。否、私が喋らせているのだ。胸の中のトウヤに。 人の心に生き続けるだなんて、限界があるのだという事を私はようやく思い知った。胸の中のトウヤはいつでも優しくいつでも微笑んでいる。実際のトウヤを忘れてしまったかのように。これでは駄目だと私は分かっているのに、胸の中のトウヤは消えない。大事な人だったから、だんだんその思いが募っていっていたから。 だけど、実際のトウヤはもういないのだ……! 歩き始めなければならないのだという事は分かっている。痛いほど、分かっているのに。私はまだ一歩も足を踏出せずに、この場で足踏みをしている。既にいないトウヤの幻想を胸に抱き、好きな言葉を話せさせ、永遠に微笑みさせて。 「トウヤ……」 小さく呟く。胸の中のトウヤはそっと微笑み、『何?』と問い掛けてくる。ああ、ああ。まるで呪縛のよう……! 私は再び目を閉じ、深く息を吸った。いつしか胸の中のトウヤが、やんわりと溶けていく恐怖を少しでも拭い去ろうとするかのように。
胸の中のトウヤは、ようやく微笑むのをやめ……そっと闇へと溶けていった。
<まるで水に溶ける華の如き・了>
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