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クリエイター名 |
びっつぽあ |
サンプル
『瞳の中の世界』 その世界を初めて見たとき、思わず息を呑んだ。 瞳はまばたきを忘れてしまった。 「どれでも好きなの持っていっていいよ」 おばあちゃんは口と瞳、同じような弧を描く。 そして布団からゆっくりと起きあがった。 「え、ああ、うん」 あたしはおばあちゃんの声でようやく万華鏡から目を離す。 もし一声かけられなかったら、その世界に見入ってそのまま帰ってくることができなかったかもしれない。 「いくつ持っていってもいいからね」 おばあちゃんは目を細めたまま首を傾けた。 のんびりとした動作。 目が見えなくなってしまってから更にその動きに磨きがかかってしまったような気がする。 おばあちゃんは目が見えない。 もともと見えなかったわけじゃない。 老いと病気のせいで見えなくなってしまったのだ。 目が見えていた頃のおばあちゃんの趣味は万華鏡を集めることだったらしい。 あたしが今いる部屋は布団で寝ているおばあちゃん以外はすべて万華鏡に埋めつくされている。 あたしも自分の位置を確保するのに精一杯だ。 今まで知らなかったのは人に見せることをしなかったせいだろう。 あたしだって今日、初めて見た。 こんなにたくさんの万華鏡。 一体どこにしまっておいたのか。 目が見えなくなって、それらを博物館に寄贈することになった。 その前に孫のあたしに見せてくれたというわけだ。 「ほんとうにどれでも好きなのもらっていいの?」 万華鏡だらけの部屋の中であたしの声が違和感があるように浮く。 「いいよ。残ったのは博物館に寄贈するからね」 不思議だった。 誰にも見せることのなかった万華鏡。 触らせることのなかった万華鏡。 多分、いじられたりすることが嫌だったんだと思う。 けどそれを手放す気になったのはやっぱり自分が見ることができないから? そうは思いつつあたしは辺りを見回した。 その中でわりと小ぶりなものを一つ、手に取る。 それだけ、ちょっと他のものと違っていた。 紫の入ったベルベットが筒に貼られていてちょっと古くさい感じ。 なのに不思議と手触りはいい。 中をのぞくとたくさんの模様、光、色。 太陽にかざして回せば瞬く間に変化する。 色も、形も。 星になって花になって光になる。 小さい体にたくさんの世界。 外の装飾に合わせてか全体的に紫色の模様が多く造りだされている気がする。 底に入っているものも紫のものが多いのだろう。 「おばあちゃん、あたしこれがいい」 あたしはベルベットの感触手にしっかり感じながらそう言った。 おばあちゃんは頷く。 大好きだったものが見れなくなったはずなのにおばあちゃんはちっとも不幸そうに見えない。 どうしてだろう。 それからしばらくしておばあちゃんは亡くなった。 万華鏡はあたしの手元にあるベルベット以外、博物館に寄贈された。 時々、なんとなく、あたしはその万華鏡をのぞく。 部屋の明かりだったり、太陽の光だったり、月明かりだったり、世界の見え方はいろいろだ。 その日もくるくる、万華鏡を回していた。 変わる景色。 こんなに小さいのに。 こんなに軽いのに。 数え切れない世界を持っている。 同じものが生まれない不思議。 たくさんの紫。 ベルベットの感触。 あたしは偶然、思い出したことがあった。 「おばあちゃん、何色が好き?」 何年も前にそんなことを訊いた記憶。 「むらさき。初めてもらった世界の色だから」 その時は意味のわからなかった言葉。 もしかしたらその世界はきっと……。 おばあちゃんが誰からこの世界をもらったのかあたしは知らない。 でもきっと見えなくなっても覚えていたんだと思う。 たくさんの世界の景色を。 だから辛くなかったのかもしれない。 瞳の光を失っても。 万華鏡をくるくる回す。 今、あたしの瞳の中に映ってる。 無限の世界が。
END
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