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クリエイター名  くりん
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■上原君と相沢さん


「痛ってぇなあ!相沢!今わざとぶつかっただろ!!」
 むすっとしながら自分より背の高い少女を見上げる少年。
「あ、ごめんね〜!小さくて見えなかったんだ〜」
 ぽんぽんっと自分より背の低い少年の頭を軽く叩いて笑う少女。

 …このお話はそんな2人の物語。

 秋。
 食欲の秋。
 この日、上原勇一は購買部で人気の焼きそばパンを手にすることができてご機嫌だった。
<今日は天気もいいし屋上で食べようかな>…と考えながら軽い足取りで廊下を歩く。
 高校2年 17歳男子にはとてもじゃないが見えない童顔で小柄な勇一。
 可愛い少年といった感じだ。
<きっと高校卒業までには大きくなるさ!>と思い込み、少し大きめの制服を買ったが未だにダブダブだ。
 身長158cm。『あと2cmで160になる〜!』…と、身体測定の前などは牛乳をたくさん飲んだりしているが、普段はあまり悩んだり気にしたりしたことはなかった。
 …今までは。

「勇一〜♪」
 その声と同時に後ろからポンッと頭を叩かれ、振り返る。

 ニッコリ微笑む相沢香織が立っていた。

「何だよ」
 思い切り嫌そうな顔をした勇一。香織はそんな勇一に構わずちょっかいを出しまくる。
「お昼はパンなの?」
「ああ。母さん寝坊して弁当作ってもらえなかった」
「…あれ?でも…それって焼きそばパン?」
 勇一が手にする紙袋から覗く焼きそばパンを目ざとく見つけ、目を輝かせる香織。
 勇一は紙袋をギュッと抱き締め「やらないぞ!!」と言った。
 …でも15分後、勇一は香織が作ったお弁当を食べ、香織は勇一の焼きそばパンを食べていた。

 教室で数人の友人たちと楽しげにお昼を食べている香織。
「あれ〜?香織、それ焼きそばパンじゃん!ひと口ちょうだい!!」
「だめ!めったに手に入らないんだから〜!!」
「いいなぁ。私なんて今まで4回しか食べたことないのに〜」
「でも珍しいね。香織いつもお弁当なのに」
「勇一と物々交換したんだ。たまにはこういうお昼もいいと思ってね〜」
「また無理やり奪い取ったんでしょ〜!上原可哀想〜」

 勇一と同じクラスの香織はとても綺麗な少女だ。可愛いというより、美人なのだ。
 それに17歳とは思えないほど『大人の女』を感じさせる外見なのだ。
 学校内で有名なばかりか他校からも香織の姿を一目見ようとする人間がやって来るほどだ。
 この学校の制服は可愛いと評判のセーラー服で、香織が着るとため息が出るほど似合っていた。
 身長167cm…香織にとってこの数字は『ちょっと高めだけど…ま、いっか』という高さだった。
 …今までは。

「やっぱり焼きそばパン、美味しいな〜」
 勇一からもらった(?)焼きそばパンは格別に美味しかった。

 一方勇一は、屋上でこそこそと香織のお弁当を食べていた。
 同じようなやりとりで何度か香織のお弁当を口にしたことがある。
 メロンパンだったりカレーパンだったり…交換する物は様々だ。

 なぜこそこそしているかというと、明らかに女の子のお弁当だとわかってしまうからだ。

 友人たちに見つかったら詮索されて白状させられ万が一香織のお弁当だとバレたら「憧れの香織ちゃんのお弁当〜」とか叫びながらつまみ食いされるに決まっている。

「…美味しいな」
 厚焼き玉子を口にして呟く。
 焼きそばパンを食べられなかったのは残念だけど、香織のお弁当はそれと引き換えにしても良いと思えるほど美味しい。
「あいつ料理上手いんだよな…」

 香織は勇一をからかうのが大好きで、よく纏わりついている。
 そんな時の香織は心底楽しそうだった。
 対する勇一は自分のことを楽しそうにからかう香織に<こいつは俺で遊ぶのが趣味なのか?>と腹を立てながらも本気で怒ることはできなかった。
 勇一も、認めたくはないが香織とのそんな時間が楽しかったのだ。



「君のことが好きなんだ」
 目の前の、自信たっぷりな男を見ながら香織はため息をついた。
 放課後、呼び出されたのでわざわざ上級生の教室まで足を運んだ。
 3年生の『直江先輩』…この男の顔と名前は知っていた。
 女子に人気の、かっこ良いと言われている男だったからだ。
 確かに長身ですらっとした身体つき、顔も綺麗だった。
 でも、香織にとってはどうでもいい男。
 夕日が射す教室での2人の姿はとても絵になるものだったが、香織は<こんなことしている時間があったらさっき帰る姿を見かけた勇一をからかった方が何百倍も楽しいのに…>と、直江に憧れている女子に恨まれそうなことを考えていた。
「ごめんなさい。私今は恋愛とかに興味ないので〜」
 にこやかに言い切り、直江を置いて教室を後にする。
 振られ慣れていない直江はしばらくその場を動けなかった…。


 急ぎ足で校門を出て駅に向かう。
 しばらくすると香織の瞳に勇一の姿が映る。

「勇一〜!!」
 息を切らして駆け寄る。
 その声を聞き、いつもの通りちょっと嫌そうな顔で振り返る勇一。
 でも、いつも必ず立ち止まって香織が追いつくのを待っていてくれるのだ。

「何だよ。何か用か?」
「そんなに怖がらなくても何もしないわよ」
「別に怖くなんかねーよ!」
 そう言ってプイっとそっぽを向く。
 そのくせ勇一は香織が横を歩くことを許しているのだ。
 お互い歩調を自然に合わせる。

 道行く2人を通りすがりの人間が振り返る。
 いや、正確に言うと香織に注目しているのだ。

「…お前と歩くと視線が痛いんだけど…」
「そぉ?」
「お前、自分が人目を引く容姿だって自覚、持ってる?」
 その言葉を聞き、香織はニヤリと笑った。
「え!それってもしかして勇一、私のこと可愛いとか思ってくれているってこと?」
「ば…バカかお前!!」
「でも可愛いと思っているんでしょ?」
「…お前の性格知ったらみんな逃げ出すぜ」
 口で争っても勝ち目はないと思った勇一、早くも降参。

「はいはい、わかりました。可愛いよ」
 勇一の言葉。

『可愛いよ』
 勇一から初めて聞いた言葉。

 一瞬、香織の胸がピョコンと飛び跳ねた。
 今まで色んな人から何度も「可愛い」だの「綺麗」だのと言われてきたが、こんなに胸が温かくなったのは初めてだった。

 ぼんやりしていた香織に気がつき勇一は慌てて言葉を続けた。
「おい、まさか本気にしたんじゃないだろうな!!」
「…へ?」
「冗談に決まってんだろ!バーカ!」
「何それ!!」
「ま、確かにお前も黙ってりゃそれなりに可愛いけど口開いたらおしまいだからなぁ」
 クスクス笑いながら楽しそうに茶化す勇一。
 戸惑いから醒め、顔を真っ赤にする香織。

「何よ〜!!勇一のクセに生意気!」
 思い切り勇一の髪の毛をクシャクシャとかき回す。
「その『勇一のクセに』って、どういう意味だよ!!」
 ムっとしながら逃げる勇一。
 じゃれあう2人の、いつもの風景。
 そんな香織と勇一の姿を見ても誰も2人を『恋人になる可能性がある関係』とは見ていなかった。
 2人の外見のせいだ。
 どう見ても『お似合いの2人』ではなかったからだ。
 そして何より当の2人がお互いのことを意識していなかった。

 だから香織を好きな男たちにとって勇一の存在なんて取るに足らない、道端に落ちている石ころのような物だった。
 そうでなかったら今ごろ勇一は香織のファンによってボコボコにされていただろう。
 女の嫉妬は怖いが…男の嫉妬もそれなりに怖かったりする。

「相沢さん!」
 学校に着くなり、朝っぱらから自分の名を呼ぶその声に香織はうんざりしていた。
 直江が香織に告白してから1週間が経っていた。
 その間直江は香織にしつこく迫っていたのだ。
 香織に振られ、直江のプライドの高さはなぎ倒された。
 その衝撃が直江の心を狂わせたらしい。今でのプライドの『プ』の字もないほどの迫りっぷりだ。
 香織はすごい勢いで廊下を歩き、直江を振り切ろうとするが直江はスッポンのように食い下がった。

「いったい僕のどこが気に入らないんだい?」
「だから恋愛に興味ないって言ったじゃないですか!!」
「そんなの納得できない!誰か他に好きな人でもいるのか?」

 2人の勢いのある会話にすれ違う生徒たちはみな目を丸くし振り返る。

「だからぁ…」
 イライラしながら振り返り、香織が直江の顔を見た時、何かにぶつかった衝撃を受けた。

「っ痛ってぇなぁ!前見て歩けよ!」
「ごめんなさ…あら?」
 香織の身体に弾き飛ばされ、廊下に尻餅をついた勇一の姿が目に飛び込んだ。

 顔を上げ自分を弾き飛ばした主を確認した勇一。
「っだよ!相沢かよ!!」
「…勇一」
「まったくもう。気をつけろよな!」
 ぶつぶつ言いながら立ち上がる勇一をぼんやり見つめていた香織。

「おい君!君が不注意だからぶつかったんだろ!相沢さんに謝れ!」
 直江は勇一の態度が気に入らず食ってかかってきた。

「…あんた誰?」
「お前どう見ても下級生だよな!上級生に対してその口の利き方はなんだ!」
 勇一の胸倉を掴み睨みつける直江。


「…直江先輩。彼を放して下さい」

 …この後香織の口から出た言葉が勇一にとって災難の…そして幸せの始まりであった。


「私の好きな人に乱暴しないで下さい」

 その現場を目撃したのは数名だった。でも『噂』というのは結構早く伝わるもので…朝の出来事は放課後には学校中に知れ渡ることになった。
 しかも事実をかなり捻じ曲げられた形で…。


「おい、相沢。今朝のあの言動、どういうことだよ」
「ごめん!ホントにごめんね〜!!」
 放課後、校舎裏で人目を避けるように隠れながら緊急会議を開く香織と勇一。
 裏口の階段に腰掛けて座る2人。
 よく見ると勇一の制服は薄汚れていた。

「俺、今日1日大変だったんだぜ!お前のファンってどうしてあんなに過激なんだ!」
 香織の爆弾発言を聞きつけた男たちは大騒ぎした。
 勇一の友人たちはみんな心優しいので軽くクビを絞められた程度で解放されたが、その他の奴らは<お前ら俺を殺す気か?>と思うような攻撃をしてきたのだ。
 勇一は持ち前の逃げ足の速さを駆使し、何とか放課後まで生き延びたのだ。
「階段から突き落とされたんだぜ!信じらんねーよなぁ」
 きっと体中痣だらけになってる!…と、文句を言う勇一。

「まさかこんな騒ぎになるとは思ってなかったんだもん」
 香織は申し訳なさそうにうなだれ呟く。
 実際本当にこんな事態になるなんて考えてもいなかった。
 自分のことを<どちらかといえばモテる方よね>程度にしか思っていなかった。
 だから男子のこの反応に戸惑っていた。
<しかもろくな奴らじゃないわよね…>
 勇一に対するそいつらの態度を見ているとぞっとする。
 こんな過激な奴らから好かれているのかと思うと気の強い香織もさすがに怯えたりもする。

「で?答えろよ。何であんなこと言ったんだ?」
 やっとこの質問が出来る。放課後まで香織とまともに話を出来る状態ではなかった。
 香織は顔を上げ勇一を見つめる。勇一は香織を見ずに擦りむいた自分の手の甲を眺めていた。

「だって…直江先輩がしつこかったから…私に恋人がいれば直江先輩も諦めてくれると思ったんだもん」
「やっぱりなぁ。俺のこと利用したんだな」
「ごめんね」
「迷惑な話だよな、まったく」
「本当にごめん」
「でも、何で俺なんだよ。俺とじゃ誰もまともに信じてないじゃないか」
 …そう、朝の出来事は歪んだ形で噂になり、今じゃ勇一が香織にしつこく迫り、強引にものにしたってことになっているらしい。
 中にはとんでもない噂もあり勇一は眩暈がした。

『相沢さんの弱みを握り無理やり押し倒したというのは本当かぁぁ!!』
 …と泣き叫びながら殴りかかってくる奴もいた。

 どうしてそうなるんだ、俺が一体何をした、って言うかお前らもっと冷静になってくれ!
 …と懸命に叫んだが誰一人聞いちゃいない。
 みんな香織が勇一みたいな男を好きになるとは思えず、いや、思いたくないようでこんな形の噂になってしまったらしい。

「だって、私の好きな人は勇一だって言わなきゃ直江先輩、勇一のこと殴っていたかもしれないし…それに…私、勇一の名前以外思いつかなかったんだもん」
 香織は小さな声で呟く。
「他に男の子の名前なんて思いつかなかったんだもん」
 あの瞬間、勇一のことしか頭に思い浮かばなかった。
 香織は社交的に見えるが、実は男友達は勇一1人だったりする。
 友人たちと一緒だと他の男子とも普通に話をするが1対1で話すことはめったになかった。
 自分を完全に『友達』として扱ってくれる勇一と話しているのが一番落ち着けた。
 だから例え『嘘の恋人役』だとしても、好きな男として宣言する名前は『上原勇一』しか思いつかなかった。

 …香織は今まで誰とも付き合ったことがない。
 それどころか初恋すらまだなのである。

 『男』に対しての漠然とした嫌悪感。
 香織には『男』に関する嫌な想い出が数多くある。

 車内での痴漢なんて日常茶飯事。
 いきなりからまれて怖いめにあったことも何度もある。
 だから『男』に対しての不信感と漠然とした恐怖を感じているのだ。

 それでも友人との会話は恋愛の話が多い。それに合わせて『うん。あの人かっこ良いよね』とか、思ってもいないことを言ったりもするが…実際は『男の人を好きになる』ってこと自体よくわかっていなかったりする。

 恋人役として勇一の名前をとっさに言った香織。それは直江から勇一を助けるためでもあり、でも、それだけではなくて…。

『勇一の名前以外思いつかなかったんだもん』
 その言葉を聞いて勇一は複雑な気持ちになった。
 少し……嬉しかった。
<酷い目にあっているのに嬉しいってどーいうこったい>
 と、自分の気持ちに首を傾げる。

 隣で不安げに俯く香織を見つめる…。
<こんな相沢初めて見るな…>
 いつも不適な笑いを浮べ勇一をからかう香織からは想像できない表情。
 勇一はため息をついた。
「…しょーがないなぁ。付き合ってやるよ」
「えっ?」
 香織は目を見開き勇一を見つめる。
 勇一は痛む身体をゆっくりと動かし立ち上がる。

「お前の嘘に付き合ってやるよ」
 夕焼けで真っ赤に染まった空を見上げちょっとヤケクソ気味に言った。

「…勇一」
「その直江って奴に俺が恋人と思わせればいいんだろ?」
 全てを丸く治める作戦。
 香織の告白を目の前で聞いた直江。直江はその言葉を信じざるを得ないだろう。
 直江が卒業するまでの約半年間恋人のふりをして、それから『別れた』って言えば良い。
 …そう考えた。

「ありがとう!勇一」
 気がつくと香織も立ち上がり勇一の横に立っていた。
 微笑みながら勇一を映す香織の瞳…。
 少し高い目線で自分を見る綺麗な瞳を見ていると胸が痛んだ。

『何で相沢さんがお前なんかと!』…今日1日、イヤというほど言われた言葉。
<悪かったな!俺みたいな男が嘘でも噂の相手にしてもらって!!>
 心の中でそう叫んだ。
<俺ってそんなに相沢と不釣合いなのかな…>

 何もかも不釣合い。
 容姿も、身長も。

 いつもあまり悩まない勇一が、この日は酷く落ち込んだ…。

「上原、生傷が絶えないなぁ」
 体育の授業のため更衣室でジャージに着替えている時、勇一の友人がため息混じりに呟いた。

 体のあちこちに出来た痣や擦り傷。

「ああ、偶然誰かに自転車で当てられたり足引っ掛けられたり突き飛ばされたりしてるからな」
 男の嫉妬は怖いなぁ…と、初めて実感した。
 あの日からすでに1週間経っている。初めの頃の全男子を敵に回したようなあからさまな攻撃はなくなったものの、執拗に嫌がらせは続いていた。
 今は少数の犯行なのだろう…いつも不意打ちなので正体はわからない。
 香織と勇一は…多少意識はしつつも今まで通りじゃれあったりしていた。
 そんな2人の様子は1週間前までは何でもない風景だったが、今はみんなが注目している。

 勇一の辛抱が報われて、あれから直江は香織には近付いていないそうだ。

「なぁ、お前と相沢って本当に付き合ってるのか?」
「ああ」
「未だに信じらんねぇ〜!だってお前と相沢じゃ『迷子のガキンチョとそれを保護する美人婦警』にしか見えないもんな。」
「…何なんだ?その美人婦警ってのは」
「俺の趣味♪」
「……」
 勇一はため息をついた…。


<半年間の辛抱だ…>
 そう思いながらもそれまで俺の体もつかしら…と不安になってくる勇一であった。

 体育館へ向かう途中、前方を数人の女子が気だるそうに歩いていた。
 クラスメート、香織の友人たちだったが香織の姿はなかった。

「しっかし香織の好みってわかんない〜」
「そうだよね〜、あんなに可愛いのに何で上原なんだろう」
「香織の奴直江先輩のこと振ったんだよ、もったいない〜!!」
「上原のどこが良いんだろうね〜。香織とじゃ弟にしか見えないじゃん」
「笑えるよね〜」

 会話が嫌でも耳に入ってきてしまった。
「…何だよあいつら、ひっでーなー」
 隣にいた友人が女子達の勇一に対する言葉にムッとする。
 気を使ってくれているらしい。
「お前の方がいつももっとひっでーこと言ってんじゃん!」
 勇一は明るく笑い友人の頬をペチペチと叩く。

「そう言えばそうだな!」
 友人もおどけて笑う。

 本当は、殴られるより蹴られるより、胸が痛くて辛かった。


「ねぇ、香織。何度も聞くけど本当に上原と付き合ってるの?」
 教室でいつものように机を並べて仲の良い友達とお弁当を食べている時、友人の一人が教室に勇一がいないことを確認し、小声で聞いてくる。
 この1週間、お昼休み、休憩時間、暇さえあればこの話題ばかり。
 香織の友人も2人が付き合っているなんて信じられないのだ。

『今だけの恋人』
 勇一から言われた言葉に従い「付き合ってるわよ」と答えた。
 すると別の友人が少し心配そうな顔で話を切り出した。
「ねぇ、香織、色んな噂があるけど…もしかして本当は上原に何か弱みでも握られてんの?」
 香織は大真面目な友人の顔を見てきょとんとした。
「…はぁ?」
「だって…香織が上原なんかと付き合うなんて信じられないんだもん」

『上原なんか』…その言葉を聞き香織の表情は険しくなる。

「…何でそうなるの?」
「どう考えたって香織と上原じゃつり合わないもの。でも上原が香織に片想いしてるっていうんだったら理解出来るから。だから上原、そんなことしそうには見えないけど香織のこと脅して…」
「ばっかじゃないの?そんなことあるはずないじゃない」
 つい大声になる。
「勇一がそんなことするはずないじゃん!」
 香織の迫力に友人はたじたじになっていた。
「ご、ごめん」
 焦った他の友達が口々に場を和まそうとする。
「そうだよね。やっぱりただの噂だね」
「わかったヨ〜!もう言わないから」
「だから怒らないで〜」
 友人たちがおどけながらも詫びる。

 そんな友人たちの言葉も上の空で…ぼんやりと考えていた。

『上原なんかのどこがいいの?』
『絶対似合わないよな!!あんな奴と相沢が付き合ってるなんて信じらんねぇ!』
 …今日までに色々な言葉が香織の耳にも入ってきていた。

<当事者である勇一はもっと酷いこと言われているんだろうな…。私といたら勇一はみんなに酷いこと言われてしまうの?>
 そう考えると胸が痛くなる。

 自分のせいで勇一が悪く言われるのに我慢が出来なかった。



「相沢先輩…」
 放課後、友人たちと教室を出た香織を待ち受けていた少女がいた。
『先輩』と呼ぶからには1年生だろう。背の小さな内気そうな可愛らしい少女。
「お話しがあるんです…」
「話し…?」

 それっきり何も言えずに俯いてしまった少女。
 香織は友人たちには先に帰ってもらった。


 香織と少女…2人きりの静かな教室。

「話って、なあに?」
「…あの…上原先輩のことなんですが…」
「勇一のこと?」
「噂で先輩達が付き合ってるって聞いて…」
 香織は少女を見つめた
 少女は俯いたまま小さな声で言った。

「…本当に先輩たちは付き合っているんですか?」

 香織は少女の気持ちを感じた。

「…もしかしてあなた…勇一のこと好きなの?」

 少女は顔を上げた。
 その顔を見ればわかる。…本気なんだ。

「…そっか、好きなんだ…」
 香織は少女の気持ちを知り…微笑む。

 頬を真っ赤にして俯く背の小さな少女。とても可愛い子。
<勇一とこの子…とっても似合ってる。ごく自然に2人のいる風景を想像できる…。とても、似合ってる…。>
 そう思った時、胸がチクンと痛んだ…。

<これ以上嘘を続けること…出来ない>
 香織は心の中でそう呟いた。

「私は別に勇一と付き合ってなんかいないよ…」

 少女は目を見開き、香織を見つめる。

 香織は微笑んでもう一度言葉を繰り返す。
「私と勇一はね、付き合ってなんかいないの。何の関係もないのよ」
 その言葉を口に出した時想いがあふれた。

<…もっと背が低かったら良かったのになぁ…そしたら…そしたら?…そしたら何だって言うの?>
 香織は自分の気持ちに戸惑っていた。

 少女は瞳に涙を浮べ微笑み、ペコリと香織に頭を下げて足早に教室を出て行った。


 パシャン!

「…今度は水か」
 玄関で靴をはき校舎から出て、上から水が降ってきた。
 上を見上げても犯人は既に逃げ出した後だ。
 勇一はポケットからハンカチを取り出し濡れた頭を拭いた。
<ハンカチなんかじゃ間に合わないな>

 秋の風が吹き付け身体に悪寒が走る。
「寒い…早く帰って熱い風呂にでも入ろう」
 そう呟いて歩き出した時後ろから声をかけられた。聞きなれた香織の声。

「勇一」
「…ああ。相沢。今帰りか」
「うん。…って勇一、びしょ濡れじゃない!!」
 勇一の濡れた頭を見て慌てて鞄からハンドタオルを出した。ハンカチよりは役に立つ。

 勇一の頭をタオルでクシャクシャに拭いてあげながら香織は泣きたくなるのを堪えた。
<これも私のせいなんだ…>
 胸が痛くて痛くて…仕方なかった。

「いいよ!自分で拭くから!」
 まるで風呂上りの子供のようにされているのに反抗を始めたが…香織の顔を見て動きを止める。

 勇一の目に悲しそうに微笑む香織が映る。

 頭を拭く手の動きが遅くなり、やがて止まった。

「勇一、もう嘘付くのやめよう」
「相沢…?」
「もう嘘付くの…辛いんだ」
「相沢…」

 タオルを勇一の頭に乗せたまま香織は後退り、勇一から目をそらす。
「今までごめんね。迷惑かけちゃって。明日、ちゃんとみんなには嘘だったって言うから…」
 ここで言葉が詰まり、香織は勇一を置いて駆け出した。

 涙を堪えきれなくなっていたからだ。

<やっぱり色んなこと言われて恥ずかしくなっちゃったのかな…>
 その場に一人残された勇一。
 苦笑いして肩を落とした。

「辛いか…そりゃそうだろうな。俺とじゃ恥ずかしいもんな」
 力なく呟く。

<…せめて…もう少し背が高かったらな。そしたら…そしたら…?そしたらどうだっていうんだよ…>

 勇一はこの日39度の熱を出し、3日間学校を休んだ。

 3日後勇一が学校へ来てみると状況は変わっていた。

 校門をくぐった所で、直江が立っていた。
 怒りに満ちた顔で立ってる。

「…何なんだ?この雰囲気は…」
 殺気のこもった空気に戸惑いその場を動けなくなる。

 すると後ろから背中を突付かれ、振り返ると友人が焦った顔して立っていた。

「おはよう…」
「挨拶なんかしてる場合じゃねぇぞ。上原、お前逃げた方がいい」
「何で?」
「お前、相沢さんのこと振ったんだってな」
 その言葉に反応するのに約5秒くらいの時間がかかった。
「……はぁ?」
「お前が休んだ初日、相沢がみんなの前でそう言ってたぜ…」
「何だって?」
「『私は勇一に振られたの。だからもう勇一は何の関係もない!』ってキッパリ言ってたぜ」

 勇一には何が何だかわからなかった。
 確かに偽りの恋人をやめようとは言っていたがまさか『勇一の方が相沢を振った』なんていう無理のある話をするとは思わなかった。
 どう考えても逆の方が自然だ…。

『ちゃんとみんなには嘘だったって言うから』
 香織の言葉を思い出す。

<そうだよ。嘘だったって言えばすむことなのに…何で相沢はそんなこと言ったんだ?>

 戸惑いながら必死に考えをまとめていた勇一の目の前に直江が詰め寄る。

「君は一体どういうつもりだ。よりにもよって相沢さんを悲しませるようなことをするなんて…」
 怒りに燃えた直江が勇一の胸倉を掴んだ瞬間、後ろから声がした。

「やめてください!!」
 直江と勇一が声の方に顔を向けると香織が責めるように直江を睨んで立っていた。

「勇一はもう私とは何の関係もないんです!勇一は何も悪くないんだから…だから勇一に何かしたら私が許さない!!」

 強い口調。直江は慌てて勇一から手を放した。

「でも僕は君のためを思って…」
「私のことを思うなら二度と私に近寄らないで!!」

 直江はその言葉にショックを受け放心状態になる。

「…相沢」
 ぼんやりと香織を見つめて立ち尽くす勇一。

<俺といるのが恥ずかしくて嘘を続けるのが辛かったんだとしたら……そうだとしたら…何で?何でお前が振られたことにしたんだ?だったら俺が振られたことにした方がみんなだって納得するし、都合がいいじゃないか…何でだ?相沢>
 勇一の頭の中でぐるぐるとそんな言葉が渦巻いていた。

 香織は勇一の側に寄り、申し訳なさそうに微笑む。

「ごめんね。迷惑ばっかりかけて…本当にごめんね」
 言葉の最後は声が震えていた。

「相沢」
「ホント…ごめん!!」
 香織は顔を伏せ、校舎に向かって駆け出した。

<相沢……涙…?>

<相沢が泣いていた…>

 勇一は弾かれたように駆け出し香織を追った。

「待てよ!相沢!!」

 勇一が追ってきたことに気がつき香織は更に走るスピードを上げた。

「ダメ!来ないで!!」
「何でだよ!!待てったら!!」
 大声で叫びながら追いかけっこを続ける2人。

「待たない!来ないで!」
「嫌だ!!!何でだよ!」
「だって…」
「待てったら!何で俺に振られたなんて言ったんだ?」
「だって、口惜しかったんだもん!勇一が酷いこと言われてるの口惜しかったんだもん」
「相沢…」
「私といたら勇一が…」
「俺が何だよ!」
「私なんかといたら勇一が…」

 勇一は考えるより先に叫んでいた。

「俺はお前が好きだ!!」

 その言葉を聞いた時、香織の足が止まった…。
 それに合わせて勇一も立ち止まる。

 2人とも全力疾走で走ったので息を切らしていた。

 ゆっくりと振り返る香織。顔はくしゃくしゃの泣き顔だった。
 苦しそうに息をしながら勇一はもう1度気持ちを言葉にする。

「俺はお前が好きだ…」
「勇一…」

 言葉は止まらず気持ちを伝え続ける。

「今回のことで気が付いた。他の奴らに何て思われてもかまわない!何て言われたってかまわない!俺は相沢のことが好きなんだ!」

 勇一は真っ直ぐ香織を見つめた。
 香織の瞳から再び涙が溢れる。

「でも、私といると勇一酷いこと言われる…」
「別に気にしない」
「でも、似合わないよ…私たち」
「知るもんか!そんなもん」
「でも…」
「『でも』はもういいからお前の気持ち教えろよ」

 香織は泣きながら微笑んで勇一を愛しそうに見つめた。

「大好き…」

 香織の言葉に勇一は笑顔で応える。

「じゃあ俺たち嘘じゃなくて本物の恋人じゃん」

 香織も「ホントだね」と言って笑い、勇一の許へ駆け寄った。

 少し屈み込むようにして勇一を抱き締める。

 チビで童顔な勇一と背が高くて大人っぽい香織。
 そんな2人のそんな光景は…それなりに絵になった。

 2人の周りは人だかりが出来ていた。
 2人は恥ずかしげもなく大勢の前で告白してしまったのだ。

 香織の瞳に人だかりの中涙を浮べて立っている…あの少女の姿が映る。

 小さな声で呟く…。
「ごめんね…」

 少女は香織の気持ちを感じたのか、小さく頭を下げその場を去って行った。

「今のごめんねって何だよ」
 勇一にも聞こえてしまったらしい。

「ううん。何でもない」
 もう一度ギュッと勇一を抱き締める。

 香織の温かさを感じ幸せに浸っていた勇一……そこで初めて痛いような視線に気がついた。

 大勢の目。

 よりにもよって全校生徒の前で告白してしまった自分に今更気が付いた間の抜けた勇一。

 男子達の刺すような視線…って言うより『視線でこいつを殺してやる』みたいな目で勇一を見ていた。

 今更ながらに血の気が引く。

<うわぁ…。俺、生きてこの学校卒業できるかな…>

 香織の腕の中で天国と地獄を同時に抱える勇一であった。
 
 
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