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クリエイター名 |
雨宮 |
悪夢の蜃気楼
「はっ、はっ、はっ、はっ」 海沿いの砂浜を上下黒いジャージ姿の青年が走っている。体を動かしている間だけは頭の中をカラッポに出来るから。 現在の時刻は午前四時十二分。季節が夏であるため朝でもまだ肌寒い。辺りは朝焼けに包まれている、人が出歩いている気配はない。聞こえてくるのは波の音 と自分の呼吸音だけだった。しかし、青年の頭の中にはうるさいほど大量の声が駆け巡っている。声を振り払うように青年は砂浜をひた走る。どれだけ走っただ ろう。それすらも定かではない。今自分を襲うのは眠気と疲労、それと―――。 青年が住んでいるアパートに着くと自分の家の前に大量の手紙が散乱していた。それを無視して扉を開ける。すると玄関にも大量の手紙が放置されており、中には血痕が混じったものもあった。それも無視してリビングに向かう。リビングには長い黒髪で白を基調にしたセーラー服姿の笑顔を浮かべる女子高生の写真が隙間なく壁に貼られていた。 もちろん青年が貼ったものではない。それも無視する。 青年は家電が点滅しているのに気づき留守番電話を聞く。 ピー、という音の後すぐに音声が流れる 『凛里君ですか。私です。どこにいるんですか? 今日も会いに来たけれどお留守だったようなのでお料理だけ作って冷蔵庫にしまっておきました。食べてくださいね?』 ピー。 『凛里君。今日も会えませんでしたね。でも私はいつでも凛里君のことを思っていますよ。凛里君もそうですよね?』 ピー。 『凛里君、今日隣にいた女性誰ですか……? 私以外の女の人を見ちゃ駄目ですよ。大丈夫、あの女の人はもう凛里君に近づけませんから』 留守番電話のメモリいっぱいに同じ人物からのメッセージが登録されている。 凛里と呼ばれた青年、早坂凛里はそれでも尚留守番電話を聞いた。 すると一通だけ違う女性の声が流れる。 『私だ。約束したのは明日だったな? 私はいつもどおり朝から学校にいるから心配するな。そのかわり遅刻はするなよ、私一人でやってもいいがそれでは意味がないからな』 声が途切れると再び声の主がさきほどのものへ変わった。そこで凛里は留守番電話を切り、シャワーを浴びに行く。凛里は汗を流した後すぐに通っている大学へ登校した。
現在の時刻は五時四十分。通常学生が登校する時間ではない。だが、凛里の目の前にはダークスーツに身を包んだ女性が一人、足を組んでベンチに座っている。二人がいるのは正門から一番近いベンチ。もちろん二人以外人はいない。 「おはよう早坂。相変わらず今日もいい体つきをしている。暗い表情が玉に瑕だがね」 肩で切りそろえた茶髪を右手でいじりながら凛里の目を自前の蒼い瞳で見つめる。 「四季……。分かってると思うけど、好きで筋肉つけてるわけじゃない。それに暗い顔は余計だ」 「そう邪険にしないでくれ。私たちはある意味運命共同体なのだからな」 夜桜四季は悪戯っぽく微笑を浮かべる。その表情からは可笑しいではなく、嬉しいという印象が取れる。例えるなら退屈している子供が新しい遊び道具を手に入れたような。 「それよりも決着をつけるのだろう、準備はいいのか? 私は問題ないから後は君次第だ。おっと心配しないでくれ私はどんなことがあっても君の味方だよ」 「そりゃ頼もしい……」 凛里はため息まじりに呟くと四季の隣に腰掛けた。 時計を見る。時刻は五時四十八分。約束の時間までもう少し。 長い長い、気が狂いそうだった日々ともこれでお別れ。今まで気が狂わなかったのは奇跡だといえる。 「少々早いがどうやら来たようだね。準備はいいかい、早坂?」 四季の言葉に恐怖を感じながら正門を凝視する。 十七歳前後の紺色のセーラー服を着た少女がゆっくりと正門をくぐった。 右手には包丁、左手には大型のナイフ。少女から感じる気配は……殺意のみ。 「凛里君、会いたかった。毎日携帯に電話しても出てくれないし、毎日自宅に手紙を送っても返してくれないし、毎日家に行っても誰もいないし、毎日直接この学校に来ても登校してないし、私は毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日いつでもどんな時でも凛里君のことしか考 えていないのに、凛里君はまたそうやって私の思いを踏みにじるのね……」 「こ、こいつは関係ない……! そ、それにお前とは別れたんだ! もう俺に付きまとわないでくれ!」 「大丈夫よ凛里君、私が悪い魔女からあなたを守ってあげるから。私がそいつを殺して凛里君の目を覚まさせてあげる!」 少女が両手の凶器を振り回しながら二人に向かって走り出す。 すると四季が立ち上がり凛里より一歩前に出る。 窺える表情に恐怖や困惑といったものはなく、あるのはただ面白いという感情だけだった。 「私を狙ったのが運のツキだったな……」 四季は邪悪な笑顔を浮かべたまま少女に向かって自らも走り出す。 決着は一瞬だった。 四季が右足で少女が持つ両手の凶器を蹴り飛ばし、体勢を崩した少女を仰向けに地面に倒し踏みつける。 「ぐふ……!」 腹を踏むつけられた少女から苦しむ呻き声が聞こえる。 「弱いね。早坂が一向に君を対処しないからどんなものかと思ったけど、こんなものか……。でも私に与えた非日常には合格点をあげよう」 四季は少女をさらに強く踏みつけると、今度はわき腹を蹴る。 少女は地面を転がりながらさっきよりも強く呻き声を上げ、激しく咳き込む。 「おいおい、そんな怖い目で見るなよ。私が悪者みたいじゃないか。あ、そうそう。安心してくれ、もうすぐ警察も来たみたいだ。でも逃げようとは考えないことだね。そうなるとさすがの私も動けなくなるまで君を痛めつけるしかなくなる。いやはや正当防衛というのは恐いね」 静かな朝にパトカーのサイレンが響き渡る。すると警察官が三人正門に現れ、少女を逮捕しにかかる。 この光景を見て早坂はただ呆然と立ち尽くすだけだった。 半年ほど執拗にストーキングされていた生活もこれで終わる。何度警察に通報しても証拠がないため捜査はできないと言われ、ただ現実を怖れて今までを生活 していた。その間も親しい友人や彼女もできたがこの少女の手によってことごとく仲を引き裂かれた。前の彼女に至っては殺人未遂の事件にまで発展した。 少女の行動は予測できないもので、そのうち殺されるかもしれないと絶望の中を彷徨っていた。そこで救いの手を差し伸べてくれたのが四季だった。本人曰く退屈な日常に適度な刺激が欲しかったらしい。結果、望みどおり少女に命を狙われるはめになった。 今回は「そろそろ飽きたから捕まえるか」と四季の気まぐれで実行された。ストーカー行為で逮捕できないのなら銃刀法違反でも何でも適当な理由をつけて逮捕させる方法を取ったのだ。 「凛里君助けて! 離れ離れになりたくない! 誰よりあなたを想っているのにどうして私を遠ざけるの! イヤ、離して、凛里君凛里君凛里君凛里君!」 少女は警察に取り押さえられながら凛里に向かって必死に手を伸ばす。 「…………」 この少女には何を言っても意味がない。これは凛里が半年間苦しんだ中で唯一導き出した答えだ。ただ怨みを込めた視線を送るしかない。 その視線に少女は何を思ったか笑顔を浮かべさらに手を伸ばそうとする。だが、その手は四季によって踏みつけられた。 ヒールの踵で踏みつけられた痛みは計り知れない。少女は一瞬怯むと警察が完全に少女を押さえ込み手錠をかける。そしてそのままパトカーへと連れて行かれた。 「終わった……のか?」 「終わったんじゃないか? それよりも朝から動いて眠い。ここからなら君の家のほうが近いな、私を寝かせてくれ。それで今回のことはチャラにしよう。なに、多少部屋が厄介なことになっていても私は気にしないさ」 いつでもどこでも眠れるのが私の特技なんでね、と四季は付け足す。 「そんなのでいいなら喜んで寝床を提供するよ」 凛里はここ何ヶ月かぶりに笑顔を浮かべた。 二人は学校をサボることにし、凛里の家へと向かった。
四季は凛里の部屋に入るなり、すぐベッドに横になって寝息を立てた。その間わずか数十秒といったところか。本当にいつでもどこでも眠れるんだなと凛里は呆れながら感心する。 「それじゃ俺も寝るか……。あれ以来まともに眠ったことなんてなかったし……」 あくびをかみ締めながら凛里はベッドの下に薄い毛布だけを被って横になる。 目を閉じるとすぐ横から寝息が聞こえてくる。この寝息もいい子守唄に聞こえる。 ふと違和感を覚えた。四季はベッドの上に寝ているのに真横から寝息が聞こえてくるのはありえないのではないか? そう思った瞬間―――。 「が……ぐふ……がは……!」 ベッドの上から過呼吸のような呻き声が聞こえてくる。 凛里はたまらず目を開きベッドの下を覗き込んだ。 「っ……!」 そこには―――。 「あははは、凛里君。私から逃げられるとでも思ったあ?」 そこには――絶望の塊がいた。 右手には包丁、左手には大型のナイフ。そのいずれにも血がべっとりとついている。 少女の両手が凛里に向かって伸びる。 「大丈夫、私がどんなときでも、一生、永遠に、未来永劫、あなたを守ってあげるからあ。あはははははははははははははははははははははははははははははははは」 凛里の意識はパソコンの接続のようにぷつっと音を立て途切れた……。
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