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クリエイター名 |
枝垂虎謳 |
乙女ゲーム冒頭風
別に、深い意味があった訳じゃないんだけど。 「毎日、此処に来るのが楽しみ。……っていうか、落ち着く」 と、言ったら、いつも無愛想な店長が片眉を上げ、目を眇めた。 「そんな風に、おじさんを弄ぶもんじゃないよ」 ええええええ!? 弄ぶって、何? 眉を寄せながら、店長は私の前に注文した覚えのない皿を置いた。 「……え? これ何?」 「試作品。代金はいらないから、味見してみてくれ」 このカフェのオーナーは身長190センチ、体重80キロ。体格に相応しいごっつい手。パティシエというよりは格闘家みたいな見た目なのに物凄く繊細なお菓子を作る。今、出してくれたスウィーツも、形も色彩もすっごく綺麗。 オレンジ色のパウンドケーキにゆるめにホイップした生クリームを添えてミントを飾り、お皿の縁に真っ赤なソースで小さな楕円の模様を描いてある。 「……美味しい!」 なんていうか、此処に来て、何を食べてもこの言葉しか出て来ない。試作品の感想を求められてるのに、具体的に何も言えないまま夢中で完食してしまった。 「俺も毎日、君のその顔が見られるのが楽しみだよ」 え!? 思わず顔を上げてカウンターの向こうの店長を見つめてしまう。 同じようなことを言われてみて初めて、自分がどんなことを言ったのか解った。 物凄い馬鹿な顔をしてたみたいで、店長の目が笑った。 え!? 店長って笑ったりするの!? え、いや、違うの!そうじゃないの! 毎日楽しみだって言ったのはそういう意味じゃなくて! ……えーっと……うん、でも……嫌って訳でも……ああ、でも! 恥ずかしくて下を向いてしまう。店長もいつもの無口無愛想な人に戻ってしまったので、ふたりして沈黙してしまった。 ドアベルが鳴って、「お疲れ様ですー!」という元気な声がして救われた――ような、なんかちょっと残念なような複雑で変な気持ち。 「お前、また来てんの? もしかしてすげー暇?」 この店でバイトしてるクラスメイトが私の顔を見て言った。 「水城君、普段、どれほど親しくても、此処に来て下さってる間はお客様だ。失礼な態度はよしなさい」 店長に言われて水城は、はーい、と適当な返事をして、着替えに行った。 私は試作品のケーキのプレートを食べ終わって、美味しかった、ともう一度言って立ち上った。 「あれ、もう帰んの?」 ついさっきまた来てるのかなんて言ったことも忘れて水城が言った。 紅茶の分の代金をレジで支払って店を出て家に向かって歩いてると、後ろから「おーい!」という声が聞こえた。 振り返ると、白いシャツに黒いボウタイとベストに踝まであるカフェエプロン姿の水城が追いかけて来てた。 「忘れ物」 水城は私に追いついて布のブックカバーを掛けた私の参考書を差し出した。 「あ……!」 「ったく、とろくせー奴」 「明日、学校で渡してくれれば……お店にもしょちゅう行ってるし」 「なんだよ、その言いぐさ」 「ごめん、ありがとう」 言いぐさに関してはこいつに言われたくないけど、息切らして追いかけて来てくれたので、一応御礼を言った。 「あのさ」 「何?」 「店長は、やめとけよ」 「え?」 「だからさ! そりゃちょっと格好いいけど、物凄く年上だし、お前なんか俺から見ても子供だし、相手にされないから、やめとけ」 「ええええええ!? 水城、一体何を誤解してるの!?」 「……違うのか?」 「ち、違うよ!」 両手を振ると水城はちょっと決まりの悪そうな顔をして目を逸らした。 「なら、いい」 そう言うなり、水城は走って店に戻って行った。……なんなんだろ。 参考書は仕舞って、家に向かう。 自宅に「向かう」って変だけど、まだ「帰る」ところって感じがしない。 父が亡くなってから、女手一つで私を育ててくれた母の再婚相手はとんでもないお金持ちだった。 紹介されたときは複雑だったけど、「新しいお父さん」はいい人だし、母にも私にも優しい。 問題は――義理の兄と弟がいっぺんに出来たこと。 新しい家は、門から玄関まで歩いて三分。庭に並木道なんかある大きなお屋敷。 玄関のドアを開けると、スリッパでぺたぺた走る足音がした。 「お帰りなさい! お姉様!」 お姉様。自分がそう呼ばれる日が来るなんて思いもしなかった。 「あのさ、怜君、その呼び方……」 「お姉様は、僕が弟なのが嫌なんですか?」 うるうるした目で縋るように見上げられ、私は、姉さんとか、姉ちゃんとか、名前にちゃんづけとか、なんなら呼び捨てでもいいから、もうちょっと軽い呼び方してくれないかなぁ、と、言えなくなってしまう。 「違うよ、怜君」 「ほんと!? 良かった!」 怜君は靴を脱いだ私に抱きついた。色白で、幼顔で、すり寄せてくるほっぺなんかすべすべで、弟っていうより妹みたいだけど可愛い。 「あの、ね、解ったから。お姉様でもいいから」 と、言うと、怜君は私の首に回した手を解いて離れてくれた。 「お姉様、今日は家政婦さんがお休みだから、夕食は昴兄さんが作ってくれるそうですよ」 兄を「兄さん」と呼ぶなら姉になった私も「姉さん」って呼んでくれないかなぁ……と、言おうとすると、奥から私の兄になった人がやって来た。 眼鏡に、家政婦さんがいつも使ってるフリルの白いエプロン姿。 「た、ただいま、昴さん」 昴さんは、おかえりも言わず私の背後に回った。足音もないから心臓に悪い。上半身を折るようにして身を屈め、私の首筋に顔を近づけて、軽く鼻を鳴らした。 「バターとバニラビーンズとラズベリー……そしてダージリンか。俺が夕食を作ると知っていて寄り道とはいい度胸だ」 「きゃあっ!」 耳許に息がかかったせいで、思わず飛び退いてしまう。 て、いうか、どういう鼻してるのよ! 「今夜はスパゲティ・プッタネスカとディアボロ風のローストチキンだ。両方ともたっぷりと大蒜を入れてやる。明日、お前の半径二メートル以内には誰も近づきたがらないだろう。ところで知っているか、スパゲティ・プッタネスカとは『娼婦風パスタ』、ディアボロとは『悪魔』という意味だ」 何か、意味ありげなことを言われてるような気はするけど、物凄く至近距離で囁かれて、内容よりそっちが気になって仕方ない。 「近い! 顔近いって!」 「野菜が足りないのが心配か? ぬかりはない。皮蛋ドレッシングをかけたグリーンサラダもつけてやる。さっさと着替えて来るがよい、妹よ!」 昴さんはそう言ってやっと離れてくれた。 何が面白いのか、いい匂いのするキッチンに向かう間、アニメの敵役みたいな声で高笑いしてる。 料理上手のお義兄さんは背が高くてかっこいいし、可愛い義弟は慕ってくれる。 でも、どっちもテンションが独特過ぎて疲れる。 私が毎日のようにカフェでお茶飲みつつ宿題するのは、自宅になった豪邸で安らげないからだったりする。
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