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クリエイター名 |
枝垂虎謳 |
魔術師×魔女っ子
主であり、師でもあるザシャは宮廷魔術師。『銀の王冠』の異名(ふたつな)は最早、称号となりつつある。 帝国で最も尊きは女帝陛下、最も偉大なるは宮廷魔術師ザシャ。女帝陛下が金の冠を戴くとすれば、彼には銀の冠を与えるべきだ、と言ったものがいた。以来、皇帝の統治するこの国において非公式ながら『王』と称せられる。 しかし、ザシャは決して奢侈を好まず、宮廷の儀式のとき以外には質素な黒い外套を纏い、身に一顆の宝石も着けず、召し使うのは、弟子であるケイトただひとり。その清廉さが更に敬慕される。 しかし、ただひとりの弟子であるがゆえに、ケイトの仕事が余りに多すぎる。 魔法使いを目指したからには、世の娘たちのように恋や遊びにうつつをぬかしたいなどと考えたことはないが、料理洗濯掃除に、来客を嫌う師の代わりに高貴な人からの使者を追い返したり、手紙の返事を書いたりと多忙を極めている。 「下賤な仕事は使い魔にさせればよかろう」と師はせせら笑う。そんな高度な魔術を教わる暇などないし、必死で時間を作ったときにも、この師は教えてはくれず、三つある書庫のうちの何処かにそれについて書かれた書物があるから勝手に読んで研究しろと言った。 それまで出入りを許されていなかった書庫の鍵を無造作に投げられて、入ってみれば、三部屋とも、扉を開けた途端に目の前が真っ白になるほどの埃が舞い、あらゆる書物が書架にも床にも乱雑に積み重ねられていて、数万に及ぶ蔵書の中から目的のものを見つけるために、ケイトは掃除から始めねばならず、それが終わったら書物の整理と分類をし、『善き使い魔の養い方』という本の表紙を開けたのは、それから半年後のことだった。 高潔にして清廉、決して驕らず、謙譲の美徳を知る、美貌の魔術師? 「どんだけ外面がいいんだか。ねぇ?」 ケイトは三日前に漸くフラスコの中に現れた小さな猫に話しかけた。 「貧相な使い魔だ。それにどうやって掃除や洗濯をさせる気か。まあ、お前には似合いだが」 ザシャの声がした。 狭くて暗い半地下のケイトの部屋にやって来るなど初めてのことだ。 「ザシャ様!」 先刻の悪口を聞かれたかと思ったケイトはフラスコを持ったまま粗末な椅子から腰を浮かせた。 「祭に行くぞ。それに餌をやれ」 ケイトは目を瞠った。 「祭?」 「行きたくないのか?」 「い、いいえ! いいえ! 行きたいです!」 ケイトは慌ててフラスコの蓋を取り、指に針を刺して赤子の拳ほどの大きさの猫に一滴の血を与え、壁に掛けた外套を羽織った。 今日は建国祭。 しかし、去年も一昨年も、ザシャは祭になど興味を示さなかったし、外出のときにケイトを伴うことなど滅多にない。 「あの、あの、あの――もしかして、御褒美ですか? 使い魔を作れたから?」 昼尚暗い廊下の先を歩くザシャの背中にケイトはそう問いかけた。 「馬鹿か」 師の返事は冷ややかだった。 ケイトは悄然としたが、使い魔の竜にも杖にも乗らず、歩いて街に向かうザシャの後を追った。 黄昏を迎えて尚、人通りは絶えず、軽業師が舞い、吟遊詩人が歌っている。 同じ年頃の若い娘たちは色とりどりの華やかな衣装を着て笑いさざめいている。 ケイトは自分の来ている古くて黒い外套を見下ろした。 魔法使いを目指した日から、年頃の娘の楽しみなど求めるのはやめた――はず。 今着ているのは、宮廷魔術師ザシャが若き日に着た外套。この外套を纏って大陸中を旅した。この裾が幾筋にも裂けた外套を着られるのは名誉この上ない。 ケイトは唇を引き結んで顎を上げた。 そのとき、轟音が響いた。 雷かと思ったが、藍色に染まりつつある空には月と星が見える。 賑やかな音楽がやんだ。 一瞬の静寂の後、広場の群衆がざわめいた。 「おい! 皇宮が!」 誰かが叫んで、誰もが広場を見下ろす台地の上の白亜の宮殿を見た。 南の党の屋根が崩れ、そこから黒煙が上がっている。 宮廷魔術師ザシャは舌打ちをして、軽く手を挙げた。その手の中には真新しい箒が現れた。銀髪の魔法使いがそれを弾くと、それは宙に浮かび、ケイトの前に飛んで来た。 「私は皇宮に行く。お前は家に帰りなさい。寄り道せずに」 「ええええ!」 「祭どころではなくなった。お前だけでなく、誰もが」 殆ど真上に見える皇宮で、ただならぬことが起きている。祭は中止になるだろう。 せっかく吝嗇家で気難しい師が、祭に連れ出してくれるなどというきまぐれを起こしてくれたのに。 「それは、今夜の月が出ている間だけお前を乗せて飛ぶ。すぐに帰れ」 そう言うと、ザシャは宵闇に溶けるように消えた。恐らく、この場から箒も杖も使わずに事が起きた皇宮に飛んだのだろう。 ケイトは、今夜だけ自分の意のままになる箒に跨った。 両足が浮き上がると周囲の視線が集まった。 「魔女だ」 「魔法使いだ」 口々に群衆が騒ぐ。 ああ、初めてそう呼ばれた。 憧憬と好奇心と畏怖の混ざった視線を浴びるのも初めてだし、箒で空を飛ぶのも初めてだ。 箒とともに、ケイトの身体と精神も舞い上がる。 皇宮の有事を知って、四方八方から、杖や箒に乗った魔法使いが皇宮に向かっている。その中に、竜や翼ある天馬、巨大な鷹に乗った高位の魔術師がいて、魔法使い達は行く手を譲る。 私だって魔法使い。 女帝陛下の御住まいに何かあったというなら馳せ参じなければ。今、飛んでいるのは自分ではないけれど師の力だけれど、でも、飛べるのだ。 ケイトはザシャの館とは逆方向の皇宮に向かった。 広大な前庭で、近衛騎士団が、巨大な箒を描いた旗を広げて、降りる場所を示していた。 ケイトが石畳に降り立つと、上空から次々と魔法使い達が皇宮の庭に舞い降りた。 「キセドの砦の魔術師ランス、参りました!」 「テスの森の伯爵の占星術師アベル、参上致しました!」 白銀の甲冑の胸に鍵の紋章を刻んだ騎士が近づいて来た。 「大魔術師ザシャに続いて二番目に馳せ参じた魔女よ! 御名を聞かせ給え!」 「わ……我が名はケイト・クードゥ! 住まいは偉大なる女帝陛下の都。宮廷魔術師ザシャの一番弟子! です!」 ケイトは箒を握りしめ、そう名乗りを上げた。
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