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クリエイター名  樹シロカ
ノベルサンプル1(ファンタジー風・やや硬め)

『赤い小瓶』

 月の明るい夜だった。
 ひとりの旅の傭兵が、今夜の寝床に決めた古い崩れかけた神殿で、ボロ布に火をつけようとしていた。
 何故か上手く火がつかず、油を垂らそうと荷物に手を伸ばし、鋭い視線を辺りに向ける。すぐ傍の倒れた石柱の影に、何かの気配を感じたのだ。
 傭兵は手の届く所にある槍に手を伸ばし、意識を研ぎ澄ます。
 その時だった。
「ここでは普通の方法では、火がつかないのですよ……宜しければお手伝いしましょうか」
 静かな声がそう言った。
 線の細い若い男だ。いや、月明かりの下で一見若く見えたが、その容貌は酷く年寄りにも見えた。
「ここで、ひとりで何をしている」
 傭兵は訊いた。
 こんなところに彼のような旅の傭兵か、盗賊でもない男が一人でいるはずがない……そして目の前の男はどちらにも見えなかった。
 男の長く裾を引いた衣が、衣擦れの音を立てる。
 神官らしい身なりだったが、余り見かけない様式だった。何処か辺境の宗派だろうか。
「火を、おつけしましょう」
 男は傭兵の問いに答えず、袖の中をまさぐると何かを取り出した。
 無造作に――その気になれば、月光を照り返す槍が横腹を抉ることができる場所で――屈みこむと、先刻まで全くつかなかった火がぼう、と燃え上がる。
「お前は何者だ。ここで何をしてる」
 ……盗賊に脅されて、案内役をしているのかもしれない。
 傭兵は一瞬そう思ったが、男の静かな目に怯えた様子は微塵もない。
「誰かが通りかかるのを待っていました。もし宜しければ、少し話を聞いて頂けませんか」
 言いながら、勝手に火の傍に座り込んでしまった。
 ほんの、一瞬。傭兵は目の前の男が傭兵でも盗賊でもない可能性を思いついた。
 悪霊……。
 いや、馬鹿げている。わざわざ人間の為に火をつけに来る悪霊など。
 傭兵は小さな薬缶に水を注ぎ入れ、茶葉を入れ、火にかけた。
 男とは少し距離を取り、腰かける。槍はいつでも相手を貫ける場所にある。
「湯が沸くまでぐらいならな」
 そう言うと、男がほんの僅か、微笑んだ。


 ……今は崩れて打ち捨てられておりますがね、この神殿もかつては立派なものだったのですよ。
 お参りの為の宿場町もなかなかに賑わっておりました。
 そして私は、この神殿に仕える神官でした。
 ええ申し訳ありません、私は生きている人間ではありません。信じて頂けなくても結構です、暫くお付き合いいただけませんか。
 この神殿は火の神様をお祀りしておりました。神殿には常に明かりが灯され、夜でも昼のように明るく輝いていたものです。
 そしてここには、様々な願い事を抱えてお参りに来られる方がたくさんおいででした。

 そこで私は、ある娘と出会いました。
 彼女はまだ若いのに病に冒されておりまして、その命が終わるのはそう遠くないことは誰の目にも明らかでした。
 私達神官は、そういう方の終焉を見届ける仕事も担います。辛い、怖いという訴えを受け止め、安らかに旅立たせるお手伝いをするのです。
 ですがまだ見習いであった私はそうしてその娘と毎日を過ごすうちに、彼女を愛するようになってしまったのです。彼女の方も私と思いを通じあわせることが、今世での最後の慰めとなっていたようです。
 勿論、誰にも言いませんでした。もし誰かに知られれば私は神殿を追われていたことでしょう。
 やがて彼女が旅立ち……私は激しい混乱に陥りました。
 思い詰めた私は葬儀の夜、祭壇の宝物と彼女の遺骸を盗み出し、街を出ました。

 ……あそこに見えますでしょうか、小さな丘があります。
 あの丘の上で、私は宝物を取り出しました。それは火の神の眷属の精霊を閉じ込めたと言われる、小瓶でした。
 私は宝物を使って、呪文で火の精霊を呼び出したのです。そして頼みました。私と恋しい乙女の遺骸とを、二度と離れなくてすむようにここで一緒に焼いて欲しいと。
 ……精霊は望みを叶えてくれました。
 ですが、一度放たれた精霊の炎は留まることを知らず……。

 そうです。この神殿を、街を、滅ぼしたのは私なのです。
 神殿の神官が命と引き換えに、精霊を再び封じ込めました。――それがこの小瓶です。
 この地は火の精霊を誤ったことに使役した為、火の神の恩恵を受けられなくなりました。
 ですので、ここでは普通の方法で火をつけることはできないのです。
 ただこの小瓶の力を借りてのみ、火神のお目こぼしを受けることができるのです……。


 男はいつの間にか、傭兵のすぐ目の前に来ていた。
 そして手に何かを押し付ける。
「貴方の中には激しい炎があります。貴方が望めば、精霊は力を貸すでしょう」
 男はそう言って、笑った。薄い唇が三日月のようだ。何もかも見透かすような瞳に、焚火の炎が揺れた。
(俺の中の炎……)
 戦場から戦場を渡り歩き、心底それを厭いながらもまた刃を振るう。
 何もかも焼き尽くしてしまいたい。叶うならば、そう思う自分自身も。

 傭兵がふと我に帰ると、男の姿はもう何処にも見当たらなかった。
(……やはり悪霊だったのか?)
 嫌な汗が伝う額を手の甲で拭うと、何か固い物を握ったままなのに気がついた。
 それは赤い硝子細工の小瓶。
 焚火を映してか、中にはゆらゆら炎が揺れる。
 掌にかすかな、だがしっかりとした熱が感じられた。

 壊すのか。燃やすのか。言ってみろ。

 傭兵の耳に、精霊の笑い声が響いた。
 本当に、神官は恋の為に街を焼いたのだろうか。
 本当は、思う通りにならない人の身を焼き尽くしたかったのではないだろうか。
 だとしたら……いつか俺もあの男のように、何もかも燃やし尽くしたいと思う日が来るのだろうか。

「だとしても、今はどうもしないさ」
 傭兵は小瓶を懐に仕舞い込んだ。
 明日は街につくだろう。そこには多くの人間が歩いている。
 生きて血の通った人間に逢いたい。
 少なくとも今は、傭兵も心からそう思った。
 
 
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