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クリエイター名 |
すがわらゆうか |
ファンタジーRPG風サンプル
とある仕事の審査のために書いたもの。元ネタは高校生のときのAdvanced Dungeons & Dragonsのセッション。呪いのジェムを取り込み、隠密行動が必須のはずのシーフが熊に変化してしまうという失笑モノの話だったのに、物語風の脚色を加えて書いているうちに怖い話になってしまった。
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薄暗い、地中をただ力技で掘りぬいただけの、壁とも床ともとうてい呼べぬただの粗雑な穴ぐらを、ヴェルたち4人はひたすら歩いて来た。途中には薄汚いゴブリンたちがいたが、彼らの敵ではなかった。練達の冒険者である彼らをもっとも苦しめたのは、モンスターどもが所かまわず散らかし、撒き散らした汚物や腐った肉の放つ悪臭であった。つまりは、ダンジョン―地下洞窟は、まともな人間なら決して足を踏み入れることのない場所なのだ。富や、名声や、誓い。あるいはそれ以外の人に堂々とは語れないこと―そういったことのために命を賭けられる人間だけが、ダンジョンに行く。危険を冒す者、冒険者。ヴェルたちはまさしくその名が示すとおりの者たちであった。
ヴェルは斜め後ろを歩くダズを横目でちらりと見た。ダズの掲げる松明の火は、明るさを失い始めている。もう"潜って"から半日は経ったろうか。背後から聞こえる、ゴルダとシェミの足音も心なしか弱弱しい。
くそっ! 今回の冒険はハズレだ!
ヴェルは心の中で悪態をついていた。まだ金になりそうな目ぼしいものはひとつも見つかっていない。このままでは完全な無駄足に終わってしまうだろう。誰も潜らないダンジョンにはそれだけの理由があるわけだ。競争相手がいなければ、自分たちだけいい思いができるだろうと考えたのは甘かった。疲労感が怒りを後押しする。だがその気持ちを口に出すことはしなかった。仲間だって同じ気持ちでいるだろう。疲れているのに、この上女々しい愚痴や、くだらない言い争いなど。
改めてダズの様子を確認した。自分よりだいぶ軽装の、革よろいに身を包む小柄な男。ふだんの口数はどこへやら、背負い袋に押しつぶされそうに背中を曲げ、うつむいたまま歩いている。短い黒髪がしょげた頭と一緒に、頼りなく揺れている。左手に持った松明だけを高く掲げているのは、疲れきってはいるが、仲間のことは忘れてはいないという意思表示だ。体格で劣るダズには、この道中はかなりきついだろう。しかも、彼の大好きなお宝はなしと来ている。シーフの矜持が泣くというものだ。
このしおれた相棒を見て、ヴェルの気持ちはさらに沈んだ。何か見つけなければ帰れないという意地と、パーティが限界を迎える前に切り上げなければという諦めの二つを抱えながら、結局前へと進み続けていた。鉄の胸当てや、腰に下げた剣鞘が、まるで自分の気持ちそのもののように重く感じられた。ヴェルの気持ちを知ってか、ゴルダもシェミも黙ったままだ。調子よくことが進んでいる時には、笑い合い軽口も飛ばしながら進む彼らであったというのに。
「ねえ、あれ何?」 長い沈黙を破り、シェミが声を上げた。土ぼこりに汚れているが、松明の赤みを帯びた光に照らされ、その白皙と明るい金の髪が浮かび上がる。エルフ特有の鋭い視力で、何かを見とめたのだ。
「流れる水の音もする」 先のとがった耳がかすかに前に向く。気が強く強情で扱いにくいが、こういうときの彼女は頼りになる。だがシェミを頼もしいと思う前に、耳の向きを変えられるとは器用なものだ、まるで犬だな、とヴェルは少しだけ疲れを忘れ、間抜けなことを考えていた。
「光るか? 光るものか?」 押し黙っていたゴルダがぱっと顔を上げ、せっかちに問う。答えを待ちきれずに斧の柄でシェミをつついた。ダズより低い身の丈ながら、よろいを押し割りそうなほどの筋肉に包まれた彼は、地の民ドワーフだ。戦いでは蛮勇を振るうが、美しい工芸品や価値の高い宝玉には目がない、優れた鑑定家としての一面もある。
「うるさいゴルダ。このまま進んで。あんたたちにも見えてくるから」 シェミは斧の柄を押し返し、歩みを速めた。合わせて皆の歩調も早まった。ゴルダの目は子供のように輝いている。ダズは汗にまみれながらも、期待に満ちた表情をしてうなずいてみせた。
少し歩くと、暗く汚く悪臭漂うダンジョンにはおよそふさわしくないものが、彼らの目に映った。通路は左に折れているが、その角は小さな室に彫りぬかれていた。下には清水がたまっている。少なくとも、ヴェルの目にはきれいな水に見えた。そして何より異様なのは、清水から生え出ているかのように立っている台座と、その上に乗っている宝玉だった。
石の台座はか細い作りだが、割れや欠けは見て取れない。よくできた工芸品と言っていいだろう。その上には、球をややつぶしたような形の玉が鎮座している。言うなればパンのような形だ。乳白色の宝玉は、松明の明かりを受けてほの白く輝いている。いや、玉が自ら光を発しているのかもしれない。じっと見ていると、中で煙のような、半透明な何かが揺らめいているように感じられた。とろみのある内包物が動くたびに、少しずつ表情を変える。見たことのない宝物だ。
この冒険で初めて目にした値打ちものだ。皆からほうというため息が漏れる。街を出て3日、潜って半日。苦労が報われた瞬間だと誰もが思った。
美しい。確かに美しい。これに魅せられない者がいようか。吸い込まれてしまいそうだ。
だがどこかおかしくはないか? ヴェルは自らの冒険者としての勘が、自分にささやきかけてくるのを聞いた。
これほどの宝玉をゴブリンが放っておくと思うか? あいつらだって光るものは好きだ。 なぜこの清水の周りは汚れていないのか? 汚物も、脱ぎ散らかしたぼろも、腐った骨付き肉も落ちていないその理由は?
ヴェルはぞっとした。 ゴブリンはダンジョンの中ほどまでしかいなかったじゃないか。俺たちは数時間、何の危険に遭遇することもなく、ただここまで歩いてきた。何の儲けになる物もなしに、疲れきっているのに、ただひたすら、
―まるでこの宝玉に誘い込まれたかのように、ここまでまっすぐ来てしまった。
「―れのだ」 ヴェルはさらに恐ろしい考えに至る前に、低くかすれたダズの声で我に返った。
「ダズ! やめて! ヴェル、ダズが変だよ!」 シェミの叫びが続く。ヴェルはすぐさま振り返った。
「―俺のだ。俺のだ。俺のだ。俺のだ。俺のだ」 後ろのダズはぶつぶつとつぶやいている。松明の明かりを反射して赤く光る両の目には、まるで正気が感じられなかった。
「そうだ。俺を呼んでる。俺を待ってたんだ。俺のだ。俺のだ。俺のだ」 ダズの左手がだらりと下がり、指が開く。がらんと松明が地面に落ちた。油をしみこませた布に点けた火は消えない。落ちたはずみに大きくゆらりと動いた炎が、一瞬ダズの顔を横切るように光を投げかける。それは不気味な戦化粧のようであった。
「早く! 何をしてるの、ダズを止めようよ!」 ダズにしがみついた、シェミの悲鳴。宝玉を手に入れようと、じりじりと前進しているのだ。女だてらに冒険者となったシェミだが、いくらダズが小柄だとて男の力にはかなわない。ずるずるとむなしく引きずられている。
「おい、落ち着け、ダズ」 ダズの正面に回り、両手を肩にかける。これで止まると思ったが間違いだった。ぶつぶつとつぶやきながら前進するダズに、たやすく押し返され、後ろに倒れそうになり、ヴェルは驚愕した。いつものダズからは考えられない力だ。目の前にいるヴェルにも、背後から必死に押さえるシェミにも、まったく注意を払う様子はない。もう宝玉しか目に入っていないのだ。とても二人では止められない。
「ゴルダ! ダズがおかしい、力を貸してく―」 最後まで言い終えることができず、ヴェルの言葉は空に消えた。ゴルダの視線は宝玉に釘付けになっている。
「おお・・・・・・。恐ろしい。何と恐ろしい。恐ろしい。おそろしい。おお、なんと、おそろしい」 ゴルダはかつて仲間の誰にも見せたことのない表情、恐怖をあらわにして、立ち尽くしていた。震えに合わせて赤茶色の長い髭もおののくように揺れていた。彼には何かが見えているのだ。ダズとは違う何か、そしてシェミにも自分にも見えていない、"何か恐ろしいもの"が。勇猛果敢なゴルダはそこにはおらず、言い知れぬ恐怖におののくドワーフだけがいた。
ダズがおかしいのでも、ゴルダがおかしいのでもない。 おかしいのは、あの宝玉だ!
腕に、肩に、足に、満身の力を込める。なんとかダズを止めなければ。これは呪いの宝玉に違いない。ゴブリンどもが避けていたのはそのせいなのか。それとも宝玉の力なのか。ここまで来るべきではなかった。このままではダズがやられてしまう!
ふと視界が横倒しになった。同時に激しい衝撃と痛みがヴェルの右半身を襲う。顔を上げると、台座に迫る男の姿が見えた。ダズに投げ飛ばされたことが信じられなかった。シェミは自分の理解を超える事態に、半狂乱になっている。ゴルダは後ろで一人立ちすくみ、恐ろしい、恐ろしい、を繰り返していた。
ついにダズの手が台座の上に伸び、白く輝く妖しい宝玉を右手に掴み取った。くるりと振り向き、ヴェルを見る。冷たい、狂気をはらんだ、始めてみる仲間の表情にヴェルは凍りついた。それは驚きと混乱と恐れのためか、何か魔的な力のためか。歴戦の戦士であったはずの彼が、ぴくりとも動けなくなっていた。ダズはいやらしくにたりと笑い、手のひらを開いて、その上に乗った宝玉を見せつける。
「おれのだ」 うつろな瞳に白い玉だけを映したダズが、まるで見知らぬ得体の知れない存在に思えた。手のひらの玉は、透けるように消えていく。いや、ダズの手のひらの中に吸い込まれていくのだ。宝玉が消えていくのに合わせて、ダズの姿が変化し始めた。肩や背中、腿の筋肉が盛り上がってゆく。内側からの膨張に耐え切れず、ばちん、ばちんとよろいの縫い目や継ぎ目がはち切れ、無用な残骸となって落ちた。浅黒い肌は、さらに色の濃い体毛に覆われ、見えなくなった。体が大きく膨れ上がり、伸びて、ダズをはるかに越える巨体へと変化していく。
「なんなのよ! 何これ! どうして?」 シェミの叫びだけがダンジョンに響く。いつもは耳をふさぎたくなる彼女の甲高い声が、今はどこかありがたかった。唯一人間らしい感情を感じるものであったからだろうか。ヴェルはのろのろと身を起こし、立ち上がり、たった今まで仲間"だった"ものを見た。もはや巨大な熊に似た獣にしか見えないそれを。
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