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クリエイター名  本間良太
サンプル

 くそう、なんて暑苦しいんだ。
 俺は届いたばかりの「そいつ」に身を包みながら思った。それに(英語でよくわからないけど)、水洗いもドライクリーニングにも出せないみたいだ。汗臭くなったらどうやって洗濯するんだろう。
 ゴム製のウエットスーツみたいに、「これ」は俺の肌にビッタリと密着し、通気性が悪いためか、裏地と皮膚の間がヌルッと汗で滑るのがわかる。不思議に呼吸には支障はないものの、クーラーもない俺の部屋では、不快指数120パーセントという感じだ。
 確かに普通はS、М、Lだよな、あのホームページの入力フォームには、身長、体重だけじゃなく、胸囲とウエスト、腰廻りをメジャーで測って、股下から踝までの長さまで正確に記入するように指示してあった。道理で届いた「こいつ」がピッタリな筈だ。丁度スピードスケートの選手が着ているやつみたいだ。
 これでいいのか?これで本当に俺は、108つのクンフーアクションとモハメッド・アリの10倍のパンチ力、垂直跳び10メートル、幅跳び30メートルのジャンプ力を手に入れたのか?
 うーん、全然実感が無い。なんかおかしい。こんなはずじゃないぞ。畜生、こんなことならもっと英語の授業を真面目に受けていれば良かった。

 おれは上から制服のワイシャツとズボンを着ると、階段を降りて台所へ向かった。
 「ウルセー!ドスドス降りるなって言っただろ!」向かいの部屋から兄貴が怒鳴った。ちぇ、受験生だからってテメエだけの家だと思うんじゃねえ。元はといえばお前のせいなんだぞ、クソ兄貴。
 まあ、いいや。全てはもうすぐわかるんだ。
 俺は冷蔵庫の扉を開けた。ひんやりとした空気が心地よい。手前の物を幾つもどかすと、俺は冷蔵庫の奥の壁に押しやられた「アーサー王のジャム」に手を伸ばした。これだこれだ。手元まで手繰り寄せてラベルを確認する。間違いなく「アーサー王のジャム」だ。
 辺見家でこの瓶詰めのジャムが「アーサー王のジャム」と呼ばれるようになったのは、もう半年以上も前の事である。去年のお歳暮に、親父の会社の誰かから、ジャムの詰め合わせを貰った。この瓶はその内の一つで、ワイルドベリーと英語のラベルが貼られている。ストロベリー、ブルーベリー、ラズベリーぐらいは家族の誰もが知っていた。でも、ワイルドベリーってどんな味なんだろう。みんなの期待を集め、最後まで残っていたこの瓶は、しかし蓋がビクとも回ならなかったのである。非力のバカ兄貴は勿論の事、俺も、親父も、怪力で知られるあのお袋でさえも、無残に敗退した。ゴムを巻いたりお湯に浸したり、角をコンコンと金槌で叩いたり、婆ちゃんは知恵袋を破裂させたが、やっぱり全ては徒労だった。
 土曜日の家族会議で、親父の口から初めて「アーサー王のジャム」という言葉が発せられた。
 「アーサー王は、まだ若き頃、岩に刺さった聖剣エクスカリバーをいとも簡単に抜いて見せ、皆に王である事を知らしめたと言ふ。
 辺見家の一同よ、よく聞きなさい。今日からこの瓶を、『アーサー王のジャム』と呼ぶことにしよう。そして、この蓋を開けられた者だけが、選ばれし者として中身を全て食する権利を得るのである」
 言っとくが親父は大学で古代哲学を教えている、相当の変わり者なのだ。
 それから1〜2ヶ月して、親戚の達郎おじさんが遊びに来た。柔道二段、算盤三級のおじさんに、一家の期待は集中した。おじさんはみんなの期待を一身に受け、堂々と勝負に出た。
 ゴキ。
 鈍い音がした。次の瞬間、達郎おじさんは右手を抱え込んでうずくまった。右手首の関節を外したおじさんは、そのまま病院に運ばれていった。
 おじさん、元気にしてるかなあ。

 おお、いかん。冷蔵庫で涼んでいる場合ではなかった。俺は冷蔵庫の物を元通りに戻すと、「アーサー王のジャム」を持って二階に駆け上がっ、、、オットットいけねえ。またバカ兄貴にどやしつけられる。猫のように静かに上がった。

 部屋に入ると鍵を閉めて、俺は丹田式呼吸で精神を集中させた。そして静かにゆっくりと肺一杯息を吸い込み、「アーサー王のジャム」の蓋をシッカリと握り絞めた両手に渾身の力をこめた。
 駄目だ。回らない。
 汗で滑ってしまうからだ。俺は、近くにあったタオルを蓋の上に乗せ、もう一回チャレンジした。顔から血が吹き出るほど、思いっきりの力でジャムの蓋をひねった。
 うくくくく、、、ききき、、、
 駄目だはあー。
 そ、そんなあ。
 イッキに疲れた。両手からこぼれ落ちた瓶が、ドアまで転がってコトンと止まった。
 
 
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