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クリエイター名  楠原 日野
喫茶「セイギ」

 バイト先のピザ屋。そのすぐ近くの雑居ビル。そこの5階、一番奥の事務所前。
 現在時刻、12時半ジャスト――よし。予定通りというか、指定時刻ピッタリ。
 習慣的にノックをしようとして、手が止まる。
「危ない、ノックは不要、むしろしないでくれだったな」
 拳を崩しドアノブに手をかけ、ためらう事無く、一思いに押し開けた。
「お届けにーー」
 参りましたと、続けるつもりだった。
 だがそこで、言葉が止まってしまう。
 強面のおっちゃん達2名が、なんかアタッシュケースとか言うんじゃないかってやつを、同じく強面のおっちゃん2名に机の上で開いて、見せている。
 それだけならまあ、どうという事の無い光景。
 ちょっとケースの中に、袋詰めされた怪しげな白い粉っぽいのが、みっちり入っているけど。


 今回の注文はほんの少しだけーーそう、ほんの少しだけ不思議だった。
 電話に出るとまず、東君が来てくれたまえ。
 この時間の配達は俺くらいなので、言われなくともそうなるとはいえ、ピンポイントで俺を名指しで指名。
 住所はすぐ近くの赤いレンガの雑居ビル5階、一番奥の事務所。
 こんな明確な住所ではないのもままあるが、それなりに細かいけどずいぶんあやふやだった。ほんとすぐ近くだから、まだわかったけど。
 時間は12時半ジャスト、遅れても早くてもいけない。
 昼時間なので、時間指定もままある。だがジャストとまで指定された。
 そしてノックは絶対にしないで、いきなり踏み込んでくれたまえ。
 子供が寝てるからとかそういう理由でチャイムは鳴らさないでくれちうのはあるが、ノックすら不要、それどころか絶対にしないでくれとまで念を押してくるのは、さすがに珍しい。
 色々疑問に思いつつも、実際に向かってみたら――このざまだ。
 息が切れる。足がもつれる。だがそれらを無理矢理奮い立たせ、さっき駆けあがって来たばかりの階段を全力で駆け下りる。
 後ろから怒号が聞こえるが、無視!
 上から時折、パンッと聞き慣れない乾いた破裂音がしては床が弾ける気がするけど、それもあえて無視!
 今はそれどころじゃない!
 なんでこんな事になったんだろ……
 いつの間にかピザ屋の帽子がなくなってるが、そんな事よりも、とにかく今は階段を4段飛ばししてでも駆け降りる事が先決だ。
 雑居ビルから出て左右を見わたし、まっさきに目に付いたのがバイト先。
(いや、だめだろ)
 どう考えても、逃げ込む先としては明らかに間違い。
 考えがまとまらなくても、後ろの激しい足音と怒号は近づいてくる。
 焦ってまとまらない思考で閃いた、一筋の光明。
「警察!」
 とても当たり前な答えに行き着いたが、こんな状態で思いついただけでもましだ。
 動こうと思うより先に、足が全力で向かっていた。
 しばらく走ってほんの少しだけ考える余裕を取り戻し、よくよく考えてみると、これも間違いだった。
「警察までここから3キロはあるじゃんか……」
 俺もそこそこ健全な高校生。体力に自信があるわけでもないが、まるでないわけでもない。追いつかれずに走って逃げきれる可能性が高い距離ではあるーーお互いに、生身の足ならば。
「車、出されたら、確実アウトな、距離だよなっ」
 後方から聞こえる、甲高いタイヤの激しいスリップ音。
 ああやはりやはり……
 誰かに助けをと思っても、田舎町だけあって中心部から外れたここら辺では歩行者は0。裏の通りだから車通りもほとんどない。
 むしろこんな田舎で、あんな怪しげな取引が行われてるなんてありえないだろ、普通!
 このまま捕まってしまえば、確実に愉快ではない未来が待っている。現実離れしていると思っていたが、実際に起こってみると確実に消される、それしか頭に浮かんでこない。
「だ、誰か――!」
 声をあげても、どうせ誰も来ないか、今更来たところで手遅れ。絶望的だ。
 そんな絶望の淵、なぜかはっきりと目に飛び込んできたセイギの文字。喫茶店の名前を掲げただけの看板だが、妙にはっきりと見えた。
 普段は何時通っても準備中しか見た事がない。営業しているのかすら怪しんでいた。
 そこが今日に限って、営業中だ。
 だからといって何だ。ただの喫茶店だろーーそう思っているにも関わらず、気がつけば飛び込んでいた。。
「すみません! 助けてください!」
「はい、いらっしゃいませ」
 窓がなく、電灯の光だけでしか照らされていない薄暗い室内。
 音楽1つかけていない静かな店内で、切羽詰った俺とは違い、金髪の女性が俺が来るのを待っていたかのように、すぐ目の前でエプロン姿のままにっこり微笑んでくれる。
 こんな綺麗で柔らかそうな金髪は見た事がない。
 ほんの一瞬、その女性に目を奪われた――が、今はそれどころじゃない。
「すみません、マジに困ってるんです! こう、なんていうか……」
「大丈夫です、わかっていますから。お掛けになってお待ちください」
 店の外で車が止まる音。
 追いつかれたと思った時、すでに女性は俺の横を通り過ぎ、店の外へと出ていった。
 男の怒鳴り声――が途中でぷっつり、途切れる。そして何かが割れ砕け散る音。鈍い音を立て、何かが激しく叩きつけられる音。
 そしてーー訪れる静寂。
 不安になって恐る恐る振り返り、扉に手をかける。
「まあいいから、座りたまえよ東君」
 椅子のきしむ音と女性の声に驚き、再び店内に目を向けた。
 薄暗いカウンター席から、黒髪で黒い服と黒づくめの中性的な顔立ちをした女性が、カウンターにもたれかかりニヤニヤしながらこちらを見ていた。
 今の声に、喋り方。そして俺の名前まで知っている。
「あの注文を出した、お客様?」
「うむ、そうだね。とにかくここに座りたまえよ。ま、コーヒーくらいは出そうか」
 どう見ても喫茶店のお客様としか見えない女性だが、勝手にカウンターの中に入ってはコーヒーを淹れ始める。
 色々気にはなったが、彼女の言葉に従わなければいけないーーそんな気がして勧められるまま席に座るとコーヒーが出される。
 インスタントではない、本格的ないい匂いのするコーヒー。心が落ち着く。
「どうして俺の名前を? それにあのへんな注文はなんなんですか」
 カウンターの中の彼女は煙草を取出し火をつけると、一度深く吸い込んで、煙を吐き出す。
「まあ私は色々知っているのだよ。知ることができる、ともいうかね」
「ただ今戻りました――カウンターの中では煙草禁止だといつも言ってるでしょう?」
「お帰り、ご苦労様」
 店の奥から先ほど出て行ったはずの女性が姿を現す。なぜかその手には見覚えのあるアタッシュケースが。
「回収はしたようだね。彼らは?」
「もちろん迅速に、お帰りいただきました」
 カウンターに置かれたアタッシュケース。それを金髪の女性が黒髪の女性に見せる様に開けると、やはり先ほど見た袋入りの怪しげな粉がどっさりと。
 黒髪の女性が1つ手に取ると、煙草を咥えたまま満足げに頷いてみせる。
「上々上々。これは直接署長にでも渡しておくかね」
 パタンと閉じると、煙草を手に、女性は俺をまっすぐに見据える。
「感謝するよ、東君。君のおかげでセイギが敢行された。ピザ屋の店長には私が話しておくから、ここを出たらまっすぐ家に帰りたまえ」
「……すみません、もうちょっと説明求めてもいいですか?」
 事情というか、事態がさっぱりすぎる。何よりもいろいろ腑に落ちない。
 そこは解ってくれたのか、煙草を灰皿に置いて身を乗り出す女性。顔と顔が近づき、ドギマギしてしまう。
「ふむ。君に問うが、正義とは困っている人を助けるモノだとは思わんかね?」
「はあ、まあ」
 何の話だ?
「だが困ってる人はなかなかいない、というよりは困っている人に出会うことは少ない。世の中ご都合主義ではないのだから、そうそう必要なタイミングで正義が現れるものではないよね?」
「きっとそうなんでしょうね」
「そうなると、正義は何もできずに終わってしまうわけだ。
 だから考えたのだよ。困った人に出会うために困る状況をこちらで作り上げればいいのだとね」
 んん!?
「正義を行うために、困った人を作り上げている。そういうことですか」
「ほう、飲み込みが早いな。つまりはそういうことだ。君は何かとトラブルに巻き込まれる星の下に生まれているようだし、私は厳密には少し違うが、未来が読める。だから君を困らせるのは実に容易かった」
「えらい迷惑なんですけど!」
「だが何事もなく、助かった。そして正義も敢行された。実によい結果ではないかね?」
 目を丸くして首を傾げる様は、本気でそう思っているとはっきりわかる。
「ま、これからもたびたび正義のために君に困ってもらうことになりそうだから、よろしく頼むよ」
「今回マジで死ぬと思ったんですけど」
「なあに、命はちゃんと保障する。ちらっと弾に当たったくらいでは死なんからな」
 命だけしか保障してくれないのかっ!
「……帰ります。もう関わらないでくださいよ」
 椅子から立ち上がり、店の外へと向かう。
「さてね。君次第さ」
 嫌な言い方だな。だが誰が好き好んでこんな面倒事に――
「また、いらしてくださいね。東さん」
 ……巻き込まれてもいいかもしれない。
 声にどぎまぎしながらその日は家へと急いだ。強面のおっさんに会わない事を祈りつつ。
 だがその次の日、それが杞憂だったと知る。
 新聞にはうちの町の事が取り上げられていて、覚せい剤押収。暴力団員4名は両手両足の骨を隅々まで綺麗に砕かれていて、社会復帰も難しいだろうと書かれていたのであった。
 これが喫茶「セイギ」と俺との間に起こった、出来事である。
 これっきりである事を、俺は切に願う――
 
 
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