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クリエイター名  蔦村涼瀬
サンプル

『偽りブルー』

 初めて訪れた町の、喧騒を知らない宿の窓から見上げる空は、この世界の穢れを知らない何て綺麗な青をしているのだろうとロンドは思った。
 けれど……遠くの国では、今頃灰色の煙が立ち込めてこの空を覆っているのだと考えると、酷く寒気がしてならない。
 ──本当によかったのだろうか? いいや、これしか方法はなかったじゃないか! 彼女が知ったら、どんな顔をする?
 分かっていたのにそれでも自分は、彼女をここへ連れてきてしまった。
 昼間の光が差し込む簡素な固いベッドで、少し幼い寝顔をしている少女の面影を残す女性は、昨夜馬車に揺られた疲労が残っているのか、さっきから寝言一つさえ言わない。
 ブロンドの髪の毛を滑らせる彼女の淡い白桃色の頬から、ロンドは静かに目を逸らした。
 君が目を開けたら、きっと僕は軽蔑される。そんな恐れを抱いて。


 ◇


 遠くの国へ旅行しようとノアを誘ったのは、一昨日のことだった。
 ロンドが給仕をしている店に、いつものようにノアが警護もつけずにお忍びでやってきて、
「あなたって、いつも忙しそうね。そうやって一生懸命働いている姿を見るのは好きだけど……そうだ、今年の夏はどこかに旅行へ行きましょうよ。無理すれば日帰りで行けるくらいの距離がいいわね」
 深く被ったダークグレー色の帽子を指先で押し上げて、ロンドへと微笑みかけてきたから。
「……どうして、急に?」
 仕事中ということもあるけれど、自分の愛想のなさを彼女に今さら隠すつもりもないロンドはテーブルに皿を置きながら、他の客に死角をつくるように背中を向ける。
「だってあなた、この前会ったとき話してくれたでしょう? 夏になると、ご両親とお兄様と一緒に西大陸沿岸のマチス海まで旅行したことを思いだすって。この国には海がないから、私は生まれて十九年、まだ海を見たことがないの。……ずるいわ。だから、今度は私を連れていってよ?」
 ロンドが運んできた料理から視線を逸らしてノアが、「ダメ?」と小さく口にする。帽子に押し込んだものの一房零れるブロンドの髪を揺らしながら、ねだるように上目遣いをしてきた。ロンドのサファイア色の瞳が一層濃くなり困惑色に変わる。
「す、すぐにとは言わないわ。あなたの都合のいい時でいいから……っ。そ、それに私だって、外出するにはそれ相応の準備と覚悟がいるのよ……!」
 フォークとナイフを逆手に持って、先に慌てたのはロンドより五歳年下のノアだった。強気な物言いをしても、態度まではついていかないようで。そんなところが、昔飼っていた猫に似ているとロンドは何度も思っている。あいつも、時折こうやって可愛い反応をしていたな、と。
「……わかった。それじゃあ明日の夕方、この店の裏口で待っているよ。オーナーに頼んで休暇を取るから。ね?」
 そう耳元で囁くと、くすぐったそうに「いいの? 嬉しい……」ノアが肩を竦めるのが見えた。

 人気の少ない店のバックヤードへと戻り、ロンドは壁に体重を預けて項垂れた。
 ノアは本当に穢れを知らない。だからこそ、自分がどれほどの悪党か思い知らされる。

 ノアを旅行に誘うことは簡単だった。嘘の思い出話につられてくれるとは、まさに純粋培養されたお姫様ならではか。ロンド自身、孤児院で育ったから本当は家族なんていない。今まで旅行らしい旅行さえしたことはない。
 けれど、子供の頃に想像していた憧れは、まるで経験したみたいにすらすらと言葉に出来る。もっとも、世界中の国を歩き回って見た景色、肌で感じたものからの影響も大きい。装うのは得意だから。


 ◇


 ──イースタイア国の末の姫として生まれ育ったノア姫は、城下町によく遊びにきている。都合いいことに、護衛もなしで。つまり、彼女は誰にも言わずに城を抜け出しているのだろう。接触するチャンスだ──

 そんな不確かな情報を聞きつけて、彼女行きつけの店で働かせてくれと申し出たのは半年前。ロンドは背も高く見た目も十人並み以上だったことから、オーナーの奥さんに気に入られて早速働くことになった。
 ノアがイースタイア国の姫だと、このオーナー夫妻は気づいているのだろう。混雑具合に関わらず扉から遠い席へと案内するのも、人目を気にせず店でゆっくり過ごせるようにという思いからか。
 ロンドは働き初めてから一ヶ月経って、頃合いを見計らったようにようやくノアと会話をした。
 料理の由来や食材の別名、異国の物語、ノアの知らないことを話せば、すぐにその表情が明るくなることを知った。そして次第に親しくなり、店の外でも会うようになる。待ち合わせ場所は店の裏口。
 年上の自分にノアが好意を持っていることはいつからか気づいていた。けれどこの国の風習のせいか、女性から想いを告げることはゼロに等しく、それを知っていたためロンドは安堵していた。
 それなのに、ここで待ち続ける。ここで働く。理由は、お金に困っていたからではない。
 ただ単に彼女に会いたかったから──だなんて綺麗事だけれど。嘘ではないだろう。だって──

 店の二階に住まわせてもらっているロンドは、小さな薄汚れた紙にイースタイア国の文字ではない筆記体を断片的に書いて、コルクの栓を包むように丸め込む。窓を開けてその下に旅装束風の男が来たことを確認すると、風に飛ばされないように慎重にその紙を地面へと落とした。男は紙を拾い上げ中身を見ることなく、すぐに立ち去っていく。
 ロンドは窓を締めて、ランプの明かりだけで心細い夜に溜め息を漏らした。
「──これで、いいんだよな……」
 情を移すな。
 いつかの誰かの教えが、耳鳴りみたいに頭の彼方遠くで鳴り響いていた。


 ◇


 ──直にノースウェジスタン国の軍隊は、イースタイア国へと侵攻をする。城で国王ならびに王妃、三人の姫やその血筋のものを先に捕らえたのなら、迷うことなく斬首せよ──

 すれ違いざまに耳元で不吉なことを言われて、反射的に振り返った。しかし、ストリートに男の姿はもう見えない。急に立ち止まったロンドのこめかみに冷たい汗が一筋流れる。
 目の前には、風に飛ばされた帽子を拾い上げて、零れ落ちたブロンドの髪の毛を纏めようとするノアの姿──
「どうしたの? ロンドさん……」
 どれくらい立ち止まっていたのだろう。心配そうな顔で覗き込まれて、ロンドは「何でもないよ」と首を振った。

 ──あぁ、やっぱり自分は──……やっぱり自分は──卑怯だ。
 自分で名づけた名前を呼ばれるたびに、酷くそう思う。

 その五日後、ロンドはノアと旅行の約束を交わした。


 ◇


 海が見たいと言われたのに、当分ノアにはこの空の青さで我慢してもらうしかない。だって今頃イースタイア国は、収まることなく燃え広がる赤色と立ち上る灰色の煙で空は満たされているから。
 空が青いだけでも、素晴らしいことだろう……?
 例え、それしかなくても……

 馬車を乗り継いで国境を超えたところにある町の宿で、ロンドは窓近くに置いた味気ない椅子に腰掛けている。いまだノアは眠り続けている。見たかったブルーに遠回りさせられていることを知らずに、だ。
 ロンドは軋むベッドに膝をつけて、ノアの色づいた頬にそっと手を伸ばした。

「僕は、本当は────」

 君を守りたかったこの気持ちさえも、偽りだったらいいのに。
 
 
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