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クリエイター名 |
遼次郎 |
飲みそびれ
■飲みそびれ(@東京怪談)
幽霊が居る、等という簡素な噂を最近は一般人も真に受けるものか、周囲にビルも並び立つその公園には人気も疎らで、日が沈めば決まって皆無であった。 ただその晩は例外で、人影が一つ足を踏み入れた。村雲・翔馬は怠そうに息を吐く。この公園は最近越した下宿のすぐ近くで、帰り道に自動販売機で缶コーヒーでも買うついでに、その幽霊とやらを一度覗いてみる気になったのだった。 「あ、あなた、幽霊に憑かれてるんですね。私のことも見えますよね」 翔真は改めて深く息を吐いた。何のことはない。力といえばせいぜいゴミ箱を揺らすポルターガイストを起こす程度。全くもって無害そうな少女の霊がいるだけだった。 「強そうな幽霊さんですね」 「ふはは、中々見る目があるな娘よ。だが拙者を界隈の霊と同じと見て貰っては困る。苟もこのスサノオ、永年に渡り村雲家に祀られてきた正物の神霊よ」 頭が痛い。缶コーヒーは諦めてさっさと帰ることにする。 「あ、待ってくださいよー」 「翔真殿。この人の世、もう少し協調性というものを学ばれてもよいのではないか」 害も無いなら用は無い。むしろ長い年月で世俗に馴染んできたらしい神霊が心配だった。 しかし、この日を境にこの公園の前を通りがかる度に少女の霊は寄ってきた。 「ちょっとお話していきませんか。最近は人も少なくて寂しいんですよ」 俺の知ったことではないと、翔真は素通りするが、少女は日の改まるたびに声をかけてくる。 生来の物ぐさの翔真も、あまり邪険にしすぎるのも考え物かと、さすがに思い始めてきた。この手の地縛霊は縛られた場所から動けないために、寂しさや怨念を募らせて生きた人間を誘い込んで殺し、仲間にしようとすることがままある。 缶コーヒー一杯分くらいならそのうち付き合ってもいいかと、そう思うことにした。
闇に照らされる街灯の光が、やけに白々しい。切り取られたような無機質な白と黒の対比の中で、骨を砕く音と肉を潰す音が酷く不釣り合いに響いていた。 夜の闇とは異なる巨大な影が、地に顔を寄せて咀嚼する。喰われる者は、血を流すことも無く、喰われた箇所から削られ焼失していく。少女の黒く長い髪が、咀嚼に合わせて揺れていた。 「……半霊体の狼型の魔物。他の霊体を食し、力を得るか。霊体とあらば、このスサノオが直々に剣の錆としてくれる」 「スサノオ」 翔真の声音をスサノオは聞いた。この多くを語らぬ青年の性質が、最近では分かるようになっている。 「俺に憑依しろ」 「その意気やよし。されど翔真殿。戦いにおいて平静を忘れては死を招こうぞ」 「憑依しろと言ってる」 「……承知」 スサノオの霊体が、翔真の肉体に重なり消えてゆく。同時に、翔真の手には一振りの無骨な剣が現れる。翔真は、確かな実体を持った神霊スサノオの力の顕在を握りしめた。 向けられた敵意を察し、食事を終えた巨狼はその体躯に似合わぬ速さで翔真目がけて疾走した。翔真は横っ飛びに跳んだ。神霊の受け皿となった肉体は超越した力を発揮し、その一足で巨狼の肉体を大きく躱した。 しかし、巨狼は着地と同時に体を捻り翔真の動きに追尾した。翔真のがっしりとした肩口に、鋭い牙が突き刺さる。組み合う形のまま、両者の肉体は不自然に停止した。 己の肩から半身を噛み砕こうと、獲物を捕らえた顎に力が越えられる。響くのは先ほど、少女の喰われる時に聞いた音。骨の髄への震えを伴う、耳元でじかに聞こえるその音を、翔真は嫌悪した。 「消えろ。てめえが」 巨狼の喉元に突き刺さった剣に力を振りぬきにかかる。牙がさらに肉体の奥まで喰い込んでくる。迷わず渾身の力を以って剣を振り切ったとき、刎ねとんだ巨狼の首が、重い音を立てて地面に叩き付けられていた。 翔真は仰向けに倒れた。 「無理をする。あれ如きの敵を相手に、とても褒められた戦いぶりではありませんぞ」 再び幽体化して目の前で説教する神霊の体を見透かして、翔真は夜空を見上げていた。東京の空には田舎のような星もない。自分にはジーンキャリアのような図抜けた再生能力などない。スサノオの力を上乗せしても、この傷の完治には数日を要するだろう。 「……めんどうな」 不貞腐れるように、顔を横向けた。 自動販売機の、明る過ぎる光が翔真の瞳を照らしていた。
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