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クリエイター名 |
丸山徹 |
きょうだい
~きょうだい~
*この物語はフィクションです
■1:そいつの名はエミ
エミの話をする。 彼女を説明するとしたら、まあ、きょうだいだろうか。 間違っても恋人ではないし、ただの友人と呼ぶにはあまりに近しい存在だった。 なにより、向こうが私を兄弟だと思っていたのだから。 以前、私が実家の近くに住んでいた頃、エミの相手は私の仕事だった。声優デビューして間もない頃だ。 とにかくエミは私に懐いていたし、私はデビューしたばかりで仕事もなく、悲しいことに日々ヒマを持て余していたからちょうど良かった。 その日もパソコンに向かって文章を打ち込んでいるところだった。ただの趣味だ。仕事が不定期なため放課後の予定が立たず、部活動には入れない。仕事がなければ時間はあく。かといって友人たちと予定が合わないから、日々の発声練習と空手の稽古、パソコンに向かうくらいしかすることがない。当時は熱中できるゲームもなかった。 「兄弟! 散歩に行こう兄弟!」 エミが足元にまとわりついてくる。 「後でな」 適当にあしらいながら私はキーボードを叩く。半分、不貞腐れていた。当時の私は仕事の無さに焦り、憤り、やがて諦め、無気力でつまらない人間になっていた。 (こんなことがしたくて声優になったんじゃない) いつもそんな顔をしていた。 だが、エミはそんなことお構いなしだ。 「後でとは、いつだ!」 「待てっつーの」 適当な打ち込みがますます適当になるが、まあいい、誰に評価されるわけでもない。 そういうわけでエミの相手をしつつどうにか書き上げて、私は着替えた。着替える間もエミは「早く早く」とうるさかったが、いつものことなので私は気にしなかった。 そして散歩に出かけた。 実家から少し歩くと川があり、その川沿いがエミのお気に入りだった。車がないから走り回れるのが一番の理由だろうが、野良猫がたくさんいるのも気に入っていたようだ。 「いた!」 野良猫をみつけるや否や走りだすエミを、私は慌てて追いかけた。 エミは猫と遊びたいだけなのだが、猫の方はびっくり仰天だ。必死の形相で逃げ出す。 エミはそれを追ってどこまでも行こうとするので、私は絶対にエミから目を離さなかった。車道に飛び出したり、下手すると川に飛び込む可能性もある。 その日も何度か猫を追いかけ、川縁を走って遊んだ。 「そろそろ帰ろうか」 という時、エミがまた駈け出したので、私は疲れた足を必死に動かして後を追った。 「いいかげん猫が可哀想だろ」 息を切らせて追いつくと、エミは発見した獲物を前に、不思議そうな顔をしていた。 「違うぞ兄弟、これは犬だ」 「……」 私は言葉を失った。 そこには子犬が一匹、不安そうにエミと見つめ合っていた。
■2:彼の名はマル
マンションに連れ帰り、どうしたものかと思案する。 レトリバーの子犬だ、当然だがエミよりも小さい。しきりと辺りの匂いを嗅ぎまわっているのは、犬が不安なときにやる行為の一つだ。 「警察だな」 私はひとまず警察に電話をして、迷い犬を拾ったこと、犬種と見た目を告げた。 電話を終えると、エミが子犬にまとわりついていた。 「エミ、いじめるなよ?」 エミがジロジロ見るので、子犬はすっかり怯えている。 「犬などいじめるものか」 エミはフンと鼻を鳴らした。「弱々しい奴だ」 「知らない人間に、知らない場所に連れてこられたんだ、不安だろう。まだ子供だ」 近寄っても逃げないし、触っても怒ったりしない。けれど、ずっと震えている。飼い犬なのは間違いない。 とりあえず水とトイレを用意した。 「エサは……何を食べるんだこの年齢?」 インターネットで調べて、いろいろ試す。市販のものも用意してみたが、子犬は興味を示さなかった。 「構うことはないぞ兄弟、食いたくなったら食うだろう」 エミは子犬を睨みつけた。 「そうだな、あと、お前が食うな」 子犬に与えるバナナをエミが横から奪うので、私はエミの尻を叩いた。エミは怒って飛びかかってきたが、適当にあしらった。こう見えて、エミが真剣に怒ったら適当にあしらう程度では済まないので、加減はしているようだ。 「捨てられたのかなぁ」 私は子犬の背を撫でた。少し、震えはなくなってきた。病気というわけではなかったようで、安心した。 「捨て犬だったらどうするのだ?」 「ウチで飼うか、里親を探す」 私が即答したので、エミはつまらなそうにボヤいた。 「そこまでするのか?」 私が子犬にかまってばかりなので面白く無いのだろう。 けれど、私は頷いた。 「する」 そして、子犬を抱き上げた。 子犬はやはり不安そうに鼻を鳴らした。 「大丈夫だ、ご主人はきっと見つかる」 そう伝えてみるが、当然、子犬には通じない。 私は子犬の顔を覗き込んで、言った。 「君に名前をつけよう……マル、君はマルだ」 たぶん伝わってはいないだろう。けれど、マルはもう不安そうには見えなかった。 私はマルを下ろして、頭を撫でた。 つまらなさの極限に達して一人で遊んでいたエミだが、それを聞いて私の元へ寄ってきた。 「なんか売れない声優がたまに行く事務所で呼ばれてるあだ名みたいだな」 「……」 私は無言でエミを持ち上げ、ベッドの上に投げ捨てた。 エミは飛び起きて向かってくる。 戦いのゴングが鳴り、それからしばらく、私たちはベッドで死闘を繰り広げた。 マルは不思議そうにそれを眺めていた。
■3:そいつらの名はニンゲン
夜中になって、私は再びパソコンの前にいた。 ドアの隙間からエミが入ってきたので、私は首だけ振り向いた。 「エミ、マルはどう?」 「寝たぞ」 「そうか」 私がシャワーを浴びる前に、マルは水を飲んだりバナナを食べたりしていたので、もう大丈夫だろうとは思っていた。 エミもおとなしくマルを見守ってくれた。 良いお姉さんになってくれればとも思うが……過度の期待はやめておこう。イジメないだけマシだ。 「エミ」 私はエミを呼んで、膝の上に乗せた。 「なんだ、兄弟」 「マルをウチで飼うのは嫌かい?」 「別に」 エミは普通に答えた。本当に、嫌でも何でもないという顔だ。 それならその内、マルを家族と考えてくれるようになるだろう…… 「だがな、兄弟」 そのままの顔で、エミは私を見た。 「なんでそこまでする? あれは他人の犬だ」 「うん……」 私は少し考えたが、エミを膝に乗せたまま、インターネットを開いた。 そこには動画があった。 「……」 私は、自分の指が震えるのを感じていた。 気持ち悪い。 吐きそうだ。 何度見ても気分が悪くなる、最低最悪の動画。 けど、これを見ないと、いけない。 動画が始まった。 水浸しのコンクリートと鉄格子、その中に詰め込まれるように、犬たちがいる。 たくさんいる、犬種も大きさもバラバラで。 犬たちはカメラに興味を持って、鼻を鳴らし、遊ぼうと近寄ってくる。 だが鉄格子に阻まれ、来られない。コンクリートの床は滑るらしく、ガリガリと爪が音を立てていた。 「犬がいっぱいいるな」 エミは画面を見てそう言った。それだけの感想という感じだった。 画面が切り替わり、モニター前に座る作業服姿の人間。 そいつがこう言った。 「ガス注入開始」 私の中で吐き気が強まった。 嫌だ、見たくない、画面を叩き破ってしまいたい。 やめろ。 やめろ。 やめろ。 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ…… ガタガタと体が震え、エミが驚いて私を見上げた。 私は画面から目を離せなかった。 画面は切り替わり、そこには、動かなくなった犬たちの姿があった。 「……犬たち、動かないな」 エミは画面に顔を戻し、言った。 エミには毒ガスなんてものは分からないから、画面の中の犬たちがどうなったのかも分かっていないのだろう。 「兄弟」 エミは私を見上げ、キスをした。 「悲しいのか、兄弟」 私は泣いていた。 この動画を何度も見て、何度見ても耐えられない。 分かっているのだ。ボタンを押す作業員たちだってこんなことやりたくないのだと、分かっているのだ。理由があって捨てた飼い主たちのことも、よほど辛い理由があったのだろうと分かっているのだ。 だから許せってのか、許せるわけがねえだろう。 彼らはカメラに吠えていた。あれは「一緒に遊ぼう」という吠え方だ。彼らはあんな所に押し込められてもまだ人間どもを友達だと思っていて、喜んでいたのだ。 ごめんよ、ごめんよ、ごめんよ、本当にごめん、こんなクズみたいな生き物が君たちの主人ヅラして本当にごめん、許してください。 「一日に、何百匹も、ああやって殺されてる」 私はエミのキスに応えて、彼女の頭を抱き寄せながら、言った。 いつも騒がしいエミは、けれど利発な子だった。こういう時は絶対に静かにしてくれる。 私は画面を消しながら言った。 「マルも、捨てられたらあんなふうになってしまう」 エミは静かに私の膝から飛び降りた。 そして、私を見上げて、言った。 「分かった、我らでマルを守ろう」 エミの勇気は、いつだって私に力をくれた。 私はつまらない人間だが、クズ人間にならずに済んだのは、彼女のお陰もあるのだろう。 翌日、私は目覚めてすぐにマルの様子を見に行った。 マルは起きて、水を飲んでいた。私を見ると、困った顔で目を逸らした。 良かった、もう大丈夫だ…… そこに空気を読まないエミが飛びかかってきた。 「兄弟、メシ!」 「……」 感慨に浸ることもできないのか、私は。 マルがおとなしくて助かったのだが、エミがおとなしくないので私の生活はあまり変わらない。 私が色々用意をしている間、エミがマルと遊んでいた。 マルも意外と、嫌がっているようには見えない。時々、短い尻尾がパタパタと揺れた。 私は胸をなでおろした。さすがはエミ、ちゃんと約束は守る。私も頑張らなくてはならない。 「兄弟!」 エミが私を見た。 「なんだ?」 「メシの次は散歩だ!」 「……まあ、いいよ。マルも一緒に」 「応(おう)!」 里親を探そうかと思ったが、必要なさそうか……そんなふうに思う。だいたいまだ一日しか経ってない、慌てずにいこう。 「マル」 名前を呼んでも、当然、来ない。当たり前だが自分の名前だとは思っていないのだ。 仕方ないので近づく、するとハッとこちらに気づいて、ジリジリ後ずさる。 何だか悪いことをしている気分になる。 「マルをいじめるなよ、兄弟」 「……」 エミに言われて、ちょっと落ち込む私だった。抱き上げて体の様子を見ようと思っただけなのだが。あとちょっとだけ抱っこしたかったってのもなくはない。肉球触りたいとか思ったりしなくもない。 まあ良い、見た感じ元気そうだ。マルの首輪など無いから、散歩の時は目を離さないようにしないと…… ……その時、私の携帯電話が鳴った。 見覚えのない番号だ。 「はい、もしもし」 警察からだった。
■5:私の名は
「タローちゃん! タローちゃん!」 小さな女の子が泣いていた。 その隣で、その子のご両親が何度も頭を下げていた。 その子の腕の中で、マルはパタパタと短い尻尾を懸命に振っていた。 更にその隣で、その子の両親が頭を下げていた。 「本当になんとお礼を申し上げたら良いのか」 「ああいえ、別に」 というお決まりのやり取りを交わしながら、私は脱力のあまり倒れそうになっていた。 私は善人ではない。嬉しいとか良かったとか、そんな気持ちの前にまず、重大な責任から解放された安堵に支配された。一言で言うなら「助かった」だ。 マルの……いや、本名はタローか。タローの飼い主が見つかった。 散歩中に行方がわからなくなり、夜中まで探したが見つからず、警察に届け出たのだそうだ。 「すみません、ウチのアホが野良猫と間違えてしまったらしく……」 私は必死に謝罪した。 あそこで私達がタローを連れて行かなかったら、飼い主がちゃんと発見できたかもしれないのだ。 けれど、道路に飛び出したりしていた可能性もあるので、すぐに保護してもらえて良かった……と飼い主の方は言ってくれた。 そう言ってもらえて、私もどうにか救われた。 タローは「ヒャンヒャン」と鳴きながら、女の子の顔を舐め回していた。とても元気で、ウチにいた時の静けさが嘘のようだ。こっちが本当の彼なのだろうか。 「まったく、元気になるとうるさい奴だな」 私の足元でエミが言った。 けれどその声は、飼い主さんたちには「ワンワン!」としか聞こえなかったようだ。 仕方がない、エミと会話ができるのは、実家でも私くらいなものだ。 「お宅のワンちゃんにも、ご迷惑をかけちゃって」 律儀にもエミにまで気を使ってくださる飼い主さんに、私は苦笑を返す。 「いえ、こいつも楽しんでましたので(おい、エミ、謝られてるぞお前)」 「ワンワン!(いきなり我が家に犬が入ってきて迷惑だったぞ!)」 「はは、すみません、ウチのはうるさくて(ばかやろう、連れ帰ったのはお前じゃねえか)」 「ワンワン!(兄弟の早とちりだ!)」 口の減らない奴め……我が家の犬達は、子犬の頃に外に出なかったため、自分を犬だと分かっていない。実家の家族同様の、人間だと思っている。 エミに至っては自分が人間より偉いと思っている可能性が高い。 育て方を間違ったのだが、育ち方を間違った私としては文句が言えない。 だから私たちは仲が良いのかもしれない、ダメな長男と長女だし。
それから数年後、私たちは同じ川縁で再会した。 タローはとにかく大きくなっていて、マルチーズのエミなど踏み潰してしまいそうだったが、ちゃんと覚えてくれていた。 「大きくなったね」 私は二人に向けた意味で言った。 「はい! エミちゃんも元気ですね!」 飼い主の女の子も、小学生になっていた。 エミを撫でようとするのだが、 「ウ~、ワンワン!」 他人に触られるのが嫌いなエミはそうやって威嚇した。メスだからなのか、特に女性にはなかなか心を開かない。 しかし、そんなエミもタローには心を許していた。 「ワン!(マル、元気だったか! 大きくなったな!)」 人間の言葉が分からないエミは、マルの本名を知らない。けれど、彼には通じた。 「ゥオン!」 大きな声で吠えた。 深く、重く、かっこいい咆哮だと思った。 「こら、タロー!」 「ああいやいや、今のは挨拶だから」 女の子が叱ったので、私は笑って許しを請うた。タローはしっかりと育っているようだった。 そして私たちは、タローに引っ張られるように走り去る女の子を見送った。 「さすがに早いなぁ」 賢い大型犬に、元気な小学生、ピッタリのコンビだ。やかましいマルチーズと冴えないオジサンのコンビはもはやギャグだが。 行こうかとリードを引こうとしたら、珍しくエミが動かないので少し驚いた。 「どうしたエミ?」 エミはまだ、彼らの走り去った方を見ていた。 何だか嬉しそうだった。 「マルのやつ、いい声だったな」 「……」 ああ、なんだ、そんなことか。 私は笑った。 「当然だ、名前が良かった」 だから必ずビッグになると決まっているのさ。 私は駈け出した。 エミはすぐに私と並び、追い抜いた。
今は私の心の中に引っ越してきた愛犬エミに捧ぐ
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