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クリエイター名 |
蠍 |
サンプル
「瞳を閉じた後に」
ある日、セインは恋をした。
セインは瞳を閉じる寸前、確かに見たのだ。 銀色の美しい光の糸を紡いでいるあの方を。 姿を見たのは本当に一瞬で。 けれど瞼の裏から離れる事は決してないだろう鮮烈なその姿。 自分とはまるで違うあの方の姿はとても神々しくて。 もっとよく見てみたいのに、しかしセインはそれ以上あの御方の姿を見る事は出来ない。 どうあっても、自分は瞳を閉じてしまうから。 除々に閉ざされていく世界に光臨しているだろう、あの御方に。
セインはどうしても会いたかった。
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「セイン、君があの御方に会う事はまず無理だよ。」
美しく羽根を羽ばたかせながら小鳥のミューハは言う。 何処となく陽気な歌を奏でながら、可愛らしい声で囀る。
「だってセインはあの御方のいらっしゃる時間にはもう瞳を閉じているだろう?」
近くの小枝に止まり、自慢の羽根を繕うミューハ。 セインはそんなミューハを見上げながら問い掛ける。
「どうしても、お会いしたいの。何か良い方法を知っている方を知らない?」
セインの問いかけにミューハは首を傾げる。 その一つ一つの仕草がなんとも可愛らしい。
そして、ちらりとセインを見やる。
期待に満ち満ちた瞳で自分を見つめているセイン。 必ず、自分なら何か良い方法を知っているだろうと思っているのだ。 しかし、生憎ミューハにはセインがあの御方に会える方法を知っていそうな知り合いはいない。 第一あの御方はミューハにとっても、遠い存在にいるのだ。 それなのに、あの御方と近しい方の知り合いなどミューハにはいる筈もない。
けれどセインを悲しませるような事は言いたくない。 セインはいつだって真剣で一生懸命だから、 なんとかしてあの御方のお姿を見せてやりたいと思う。
色々と試行錯誤しているミューハには気付かず、セインは潤んだ瞳で楽しげに語る。
「あの御方のお姿を、一度でいいから見てみたい。きっととても素敵な方だわ。」
そう楽しげに話していたかと思えば今度はしゅん、と首をもたげて言う。
「私がもっと夜の闇が来ても瞳を開けていられたらいいのに。」
そして、黙りこくってしまった。
元々、とても儚い存在であるセイン。 そんな彼女が淋しげに俯いていると、仲の良いミューハでなくても不安になってしまう。 そのまま消えてしまうのではないかと。 白く美しいセイン。 春を告げるのが役目の彼女は何時だって皆に好かれている。 優しい一吹きの風に身を任せながら、その風に歌声をのせ旋律を奏でる。 ミューハを始め、小鳥達はそんなセインの歌声とメロディを紡いでいく事が大好きだ。 セインは何時だって、優しい春の香り。
ミューハは、そんなセインの願いを叶えてあげたかった。 控えめな彼女がどうしても会いたいと願うあの御方は、とんでもなく遠い存在だ。 しかし、自分にはセインが持っていない翼がある。 ほんの少しでもセインよりあの御方の近くに近寄る事が出来るだろう。
けれど、重要な問題があった。 セインは動けないのだ。 自らの意志で身体を動かす事が出来ない。 その場所から、生まれてから死ぬまで動く事は赦されない。 何よりセインは太陽が沈めば、瞳を閉じてしまう。 今いる場所に根を降ろしている限り、セインは瞳を閉じてしまうのだ。
「ミューハ?」
はっ、とミューハは顔を上げた。 何時の間にかミューハは考える事に夢中になり、 役目である和みの囀りを奏でる事すら忘れていた。 セインはそんなミューハを見て、柔らかくしかし淋しげに笑いかけた。
「ごめんなさい、ミューハを悩ませるつもりではなかったの。」
続けてセインは言う。
「この忌々しい足がなければ、ミューハにあの御方の元へ連れて行ってもらうのにな。」
そう言った彼女は、やっぱり儚げだった。
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セインはまた、夜になればあの御方の姿を見る事無く瞳を閉じる。 一度もあの神々しい姿を見る事なく、散ってしまう。
ミューハは知っていた。 セインの命が少ない事を。 春はすっかり訪れてきていた。 セインの役目は、終わっているのだ。
このままセインの儚い恋は終わってしまうのだろうか。 ミューハは思う。 一目でいい。セインに、あの御方のお姿を見せてあげたい。 大好きなセインを、喜ばせてやりたい。
しかし、その術がミューハにはなかった。 どうすることも出来ないまま、また一日は過ぎていく。
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ミューハが悩みながら夜を過ごしているその同時刻。 セインは瞳を閉じ、夢心地で考えていた。
自分は動けない。 死ぬまでこの場所を離れる事は出来ない。 しかし、どうしてもあの御方に会いたい。 セインは、諦めきれないでいた。 だから、明日になったら。 一つだけ自分の動ける方法で、あの御方に会いに行こう。 もう残り僅かな自分の命。 刻々と消えていく寿命にセインは焦っていた。
段々と眠気が襲ってくる。 瞼の向こうでは、あの御方が今夜も銀の糸を紡いでいるのだろうか。
明日、ミューハに言おう。 一つだけある方法で、自分をあの御方の元へ連れて行って欲しいと。 ミューハならきっと協力してくれるだろう。 いつも自分に優しくしてくれるミューハなら、きっと。
何時の間にか、セインは深い眠りへとついていっていた。
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朝一番に聞いたセインの一言は、あまりにミューハには衝撃的なものだった。
「無茶だ!!そんなやり方、僕は嫌だよ!」 「お願いミューハ。どうしても、どうしてもお会いしたいの。」 「だって、そんなことをしたらセインは・・・セインは死んでしまうじゃないか!」
セインの、一つだけあの御方に会う事が出来る方法。
それは、自らの枷である足を引きちぎることだった。 そうすればセインはミューハに連れてもらって、あの御方に近づく事が出来る。
しかし。 その方法はとてつもない荒療治であった。
セインの足は、命を繋ぐ足。 これを断ち切ってしまえば、セインの命はあっという間に消えていく。 確かに足を切れば、全てのセインへの供給がストップされ、夜に瞳を閉じる事はない。 けれど、その方法はセインが確実に夜だけでなく、永遠に瞳を閉じる事になってしまうのだ。 セインはもちろん、ミューハもその事は百も承知だ。
「セイン、解っているのかい?そんなことをしたら、君の命は10分と持たないよ。」
ミューハはしきりにセインを説得する。 残り僅かであろうとも、セインと共に過ごせる時間はまだ充分にある。 それを、あの御方に会いたいがために投げ得るというセインの気持ちが、 ミューハには酷く痛く感じていた。
「解っているわ。でも、どうしてもお会いしたい。お願いミューハ。私の足を喰いちぎって。」
そんなミューハの気持ちも知らず必死に頼み込むセイン。 瞳には涙さえ浮かべて懇願する。 ミューハは、耐え切れなかった。
「セイン・・・。本気、なんだね。」
そういって、俯いたミューハ。セインの顔を見て話が出来ない。
そして何があっても言いたくなかった一言を、ミューハは搾り出すように吐き出した。
「解ったよ。君の言うとおり、夜に足を喰いちぎって君をあの御方の近くに連れて行ってあげよう。」 「ミューハ・・・!ありがとう、ミューハ!」
セインは、それはそれは嬉しそうにはしゃいだ。 ミューハにとっては辛い選択であったのに、 既にセインは今夜のことだけで頭がいっぱいになり、ミューハの表情を伺う事などしなかった。
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「・・・いいかいセイン。行くよ。」
申告な表情で頷いたセインを確認し、ミューハは鋭い嘴で一気にセインの足を喰いちぎった。 そしてそのままセインを咥え、ミューハはどんどん上空へと上昇していく。
世界は静寂と漆黒のベールをかぶり始めていた。 闇夜に支配され始めたその空は、段々と夕焼けの赤を消していく。 曖昧な紫の空を、ミューハは飛んだ。 セインの望むあの御方はもうすぐ其処に姿を現し始めていた。 空は除々に暗くなって。
そして。
「ミューハ!見て!!あの御方だわ!間違いなく、あの御方がいるわ!」
セインは歓喜の声を上げた。 目の前には以前に一度だけ、ほんの一瞬だけ見たことのあるあの御方がいた。 神々しい光に身を包み、悠然と銀の光の糸を紡いで地上へ垂らしていく。 静かに、ただ静かに光臨しているセインの憧れのあの御方。 感動のあまり、セインは涙をぽろぽろと流していた。
「嬉しい・・・!やっと、やっとお姿を見ることが出来たんだわ・・・」
「セイン?セイン!しっかりするんだ!」
少しずつうな垂れて行くセインを見て、ミューハはもっともっとと翼を羽ばたかせる。 物凄いスピードでミューハとセインは東の満月に向かい飛んでいく。 既に上空の気温はかなり低くなってきている。
「セイン!みてご覧!君の会いたがっていた、あの御方がもう目の前だよ!」
そういってセインを見やる。
「えぇ、えぇ。そうねミューハ。私達の姿が、あの御方に見えているかしら。声が、届いているかしら。」
もう、セインの意識は朦朧としていた。 ミューハも、気圧の低さと寒さに翼が動かなくなりつつあった。 しかしそれでもミューハは少しでもあの御方の近くにと、飛んでいく。
けれど。
ミューハの嘴に咥えられ、必死に夜空を見上げていたセインの首が、かくん、と落ちた。
「セイン!!しっかりするんだ!セイン!!」
必死の呼びかけにもセインの返事はない。
「セイン!!!」
最後の力を振り絞り、ミューハはさらに満月へと飛んでいく。 瞳には涙をためながらそれは凄い勢いで。
しかし、飛んでも飛んでも届かない満月を目の前に。
ついにミューハの翼も凍りつき、二人は地面へと、堕ちていった。
もうひと羽ばたきも出来ないミューハは。 それでも、大好きなセインを嘴から離すことはなかった。
相も変わらず空には、そんなミューハとセインに気付く事もなく。 月が光臨していた。
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朝がきて。
いつもの散歩コースを歩いていた少年と母親は、奇妙なものを見つけた。 少年はそれを指差していう。
「ママ、鳥が花を咥えたまま死んでるよ。」
母親は何かを感じるわけでもなく、淡々と答える。
「あら、アネモネの花ね。」 「アネモネの花?」
朽ちている鳥を木の枝でつついていた少年が母親を見上げた。
「坊や。アネモネの花の花言葉を知っている?」 「ううん、知らない。何?」
母親は何気なく空を見上げて続けた。
「アネモネの花の花言葉はね・・・」
セインの花言葉。
それは。
「儚い恋」。
[完]
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