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クリエイター名  彩賀敬
サンプル


『インスタント・エンジェル』より


 ふと思い立ち、わずかな手荷物を持って、青年が家を出てから、
すでに数日が経過していた。名も知らない僻地。何か名状しがたい
感情に囚われて、青年はうら寂しい森の深部へと進んでいた。

 季節は初秋、真昼の日差しさえ弱々しい森の景色にまぎれて、赤
い曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花が咲いていた。青年の行き先を
教える道しるべように点々と咲く赤い花々。その赤い色は鮮血を思
わせる…妖しい美しさを放ち、まるで血を養分として赤い花びらを
咲かせた吸血花のような風情であった。点在する曼珠沙華(まんじ
ゅしゃげ)をたどって、青年は木立の中を歩いていた。

 国道をはずれて、森林へと分け入り、道無き道を進むこと六時間
あまり、青年にとって俗世はいよいよ遠くなりかけていた。それな
のに…、森の奥深くで、青年は奇妙なモノと遭遇してしまった。

(何で、こんなトコロにこんなモノが……)

 それを見つけた時、青年は素朴な疑問を抱いた。森の奥深く、潅
木(かんぼく)に寄り添うような形で、無造作に置かれた長方形の箱。
それは俗世ではありふれた……、いや……、ありふれすぎた清涼飲
料水の自動販売機だった。どこから電源を取っているのかわからな
いが、商品ディスプレイは煌々と灯っており、自動販売機は稼動し
ているようだった。

(まあ、いいか……。考えるのもおっくうだし……)

 当初は奇妙に思ったものの、意外とあっさり、青年は目の前の状
況を受け入れてしまった。それに、森を歩き通しとあって、青年は
喉にかすかな渇きを覚えていた。

 青年はズボンのポケットから小銭を取り出すと、自動販売機の前
に立ち、目に付いた飲料水を購入した。

 ガチャリと無機質な音を立てて、自販機から飲料水の缶が出てき
た。それを手に取り、青年は飲み口のプルトップを引いた。すると、
突然、目もくらむばかりの発光現象が青年の手元で起こった。

「!」

 時間にすればほんの数秒たらずの発光現象だった。だが、その数
秒たらずの間に、青年は信じられない光景を目の当たりにした。青
年の視界で炸裂する光源の中心部に、小さな人影が浮かび上がった
のだ。光がよりいっそう激しさを増すと、まぶしさのあまり青年は
缶を取り落とし、両手で目を覆った。

 光の明滅がおさまるとすぐに、青年は両手をはらい、チカチカす
る視力を押して、正面をねめつけた。そして、次の瞬間、青年は愕
然(がくぜん)とした。

「!!」

 まばゆい光の中で、幻覚に思われたそれは、青年の見つめる先に
フワフワと浮いていた。

 とっさに青年は目を腕でこすり、視力の回復をはかろうとした。
だが、視力が正常に回復してもなお、それは消えることなく、いよ
いよ実体を持って、フワフワと浮いていた。

「初めまして!わたし、インスタント・エンジェルです」

 背中につつましい羽根を生やし、薄い衣を身にまとった手のひら
サイズの子供が、この世の物とは思えない愛くるしい表情を浮かべ
て、青年の前に存在していた。

「主の思し召しにより、あなたのもとへ使わされました」

 突然の発光現象に続いて、この世に現れ出た不可思議な物体。そ
れは明らかに、常人の理解の範疇を超えてしまうものであった。

 状況がまったく理解できない青年は、衝動的に、この場から逃げ
出したくなった。謎の物体に背を向けると、青年は再び森の奥へと
歩きはじめた。

「待ってください!」

 謎の物体は慌てて青年の背後から呼び止めようとした。
 青年の背後に近寄ってゆく謎の物体。その気配を背中に感じた時、
青年はあまりの薄気味悪さに、心の中で拒絶の言葉を叫んでしまっ
た。すると、そんな声無き拒絶の叫びに応えるかのように、謎の物
体は青年に言った。

「放ってなんかおけません!だって……、だって……、あなた、今
からこの森で……」
「!」

 謎の物体が口にした意味ありげな言葉に青年の足は止まった。
 躊躇(ためら)いと焦りを含んだ不安定な沈黙ののち、おもむろ
に青年は後ろを振り返った。謎の物体は、青年から少し距離を置い
た宙空に浮かんでいた。

「わたし……。知っています……。あなたが今日どんな思いで、こ
の森にやってきたかということを……」

 青年はあらためて確認した謎の物体の表情に、悲しみの色を見て
取ると、まるで金縛りにでもあったように体の自由を失った。



             -以下略-

(順調に思われた人生も、ふとしたことでつまづき、その後のいっ
さいが裏目に出てしまうことがあります。この作品は、そんな不幸
のループに陥った青年と飲料水の缶から現れた小さな天使(インス
タント・エンジェル)との心の交流を描いたショート・ストーリー
です。)
 
 
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