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クリエイター名 |
葉槻 |
現代風日常系 『夏の光』
現代風日常系サンプル 『夏の光』
「キィヤーーーーーッ!!」 耳をつんざくような悲鳴が、木造平屋造りの家屋中に響いた。 「何、どうしたの?」 僕が声のした廊下へと出ると、涙目の妹がガラスを指差しながらこっちを見た。 「と、とか、とか……っ!」 「あぁ、それはヤモリだよ」 ガラスに張り付いたヤモリを僕はひょいとつまみ上げると、それを見てもう一度妹は悲鳴を上げた。 ガラスは透明だが分厚く、むこうの景色が歪んで見える。 今となってはこんなガラスは手に入らないのだと爺ちゃんが寂しげに言っていたのを思い出した。 そのガラス戸を慎重に開ける。夏の日差に熱された空気が風に乗って部屋に張り込んで来るのを感じた。 親指と人差し指でつまみ上げたヤモリはくりくりとした黒い目をしていて、じたばたと四本の足を動かし、大きく口を開けて威嚇している。 「……可愛いのに」 「可愛くないっ!! 早く! 外に! 捨てて!!」 一言一句を区切るように、顔を真っ赤にした妹が外を指差し訴える。 「はいはい。……もう入って来ちゃダメだよ」 僕はなるべく優しくヤモリを外へと放り投げた。 綺麗に四本の足で着地したヤモリは、数歩前へ歩いた後、周囲を伺うように首を振り、草陰へと逃げ込んでいった。 それを見届けて僕は再び慎重にガラス戸を閉める。 窓と窓の間には見るからに隙間が空いていて、外の光がキラキラと窓枠を彩っている。 背後から深い深い溜息と、恐らく座り込んだのだろう。ギシギシと廊下の軋む音が聞こえた。 「……もうやだ、帰りたい……」 「何でだよ。去年とか川に行って魚釣りとか、山に行って蝉取りとかしてたじゃん」 「もうそういうことはしないの! レディだからっ」 小学校5年生。間もなく11歳というお年頃を迎えた妹は良くわからない理屈で胸を張る。 「お兄ちゃんだって、夕べ悲鳴上げてたじゃん!」 「そりゃ、目の前に突然手の平大の軍曹が現れたら驚くだろ」 『軍曹』とはアシダガグモの事である。身体そのものは2センチぐらいだが足が長く、動きが素早い。その素早い動きでゴキブリを補食することから益虫と呼ばれ、小さい頃から爺ちゃんに「殺しちゃなんねぇ」と言われてきた。 その教えを律儀に守っている僕だが、流石に寝る前にとトイレに入ったその正面に彼(いや彼女かも知れないが)の姿を見た時には不覚にも悲鳴を上げてしまった。 「無理……そんなデカイ蜘蛛とか、ホント無理……」 膝を抱えて丸くなった妹の頭をぽんぽんと撫でて僕はガラス越しに庭を見る。 燦々とした日差しを浴びながら、サルビアの赤い花が風に揺れていた。
「あっはっはっ。そうか、都会にゃ蜘蛛もヤモリも出んか」 隣の家の爺ちゃんが豪快に笑いながら注がれたビールを呷る。 「小さいのは偶に見るけどね。流石にマンションに軍曹は出ないかな」 僕は空いたコップにビールを注ぎ足し、ついでに隣に座っている……確か、爺ちゃんのゲートボール仲間の人だったはず。のちょっと若いお爺さんにもお酌をする。 「あぁ、有り難う。……にしても、トシさんは幸せものだなぁ、こんなにも沢山の人が来てくれるんだから」 40人近い参列者を見回した後、仏壇の写真を見ながらお爺さんが微笑む。 普段見ないような生真面目な顔でこっちを見る爺ちゃんは僕の知らない爺ちゃんのようで少しだけ据わりが悪い。 「……ですね。今頃天国でダブルピースでもしてるんじゃないですかね」 爺ちゃんは先日、家の中で倒れているのが見つかり、そのまま帰らぬ人となった。 死に顔はとても穏やかで、恐らく苦しむ間もなく召されたのだろうと叔父さんは言っていた。
通夜に葬儀と一通り終え、21時を越えて宴もたけなわとなり、一連の手伝いをしてくれていたご近所さん達にお礼を告げてお見送りをする。 田舎の葬儀がこんなに大変なものだとは思わなかった。もっとも父や母を始めとする大人達はもっと大変なんだろうけど。 「お兄ちゃん、花火しよ?」 「お前……片付け手伝って来いよ」 「要らないって。お兄ちゃんも今日はもう良いから、休んでいいって」 まぁ、あの狭い台所に何人も人は入らないだろうけれど。 「シンやマァは?」 「叔父さん達とお風呂行くって」 従姉妹達にフラれたらしい。近所の銭湯は22時までだったはずで、僕と妹はというと、先に家の風呂で済ませていた。 「では仕方が無い、お兄様が付き合ってやろう」 「ははー、有り難き幸せー」 偉そうに胸を張る僕に妹が低頭して大げさに感謝の意を示す。僕らは顔を見合わせて笑いながら庭へと出た。
外は満天の星空だった。 天の川が見え、見上げていると流れ星まで見えた。 「凄いお星様……プラネタリウムみたい……!」 「そういえば流星群が来ているんだっけ?」 何だっけな。名前は忘れちゃったけど。 「あー、と。単純に言うと、流れ星が見やすい」 「そうなんだ……!」 小首を傾げた妹にそう説明すると、彼女は真上を見上げて必死に流れ星を探し始めた。 「口開いてるよ」 僕が指摘すると、妹はギロリと睨み付けた後、鼻息荒く口を真一文字に結んで、上空を見上げる。 僕は妹が手にした花火セットと、流れ星を見つけては嬉しそうにはしゃぐ妹を見て、まぁいいかと同じように空を見上げた。 自宅では見る事の出来ないほどの星空を、風呂から帰ってきた従姉妹達に発見されるまでただただ見つめ続けた。
結局、爺ちゃんが死んで無人となるこの家は叔父さん一家が継ぐことになったらしい。 どこかのドラマにあるみたいに、親族による血で血を洗うような奪い合いの争いなどは無く、逆に押し付け合いなども無く、「淡々と粛々となるべくしてそうなった」とは母の言葉だ。 「忘れ物は無いか?」 父の言葉に僕も妹も「大丈夫」と答え、車に乗り込む。 外は日光が肌を焼く感覚をリアルに感じる程だが、車内はクーラーが効いていてとても涼しく快適だ。 助手席の母が、パワーウィンドウを開けて、叔父夫婦に何度もお礼をいい、頭を下げる。 僕もボタンを操作してウィンドウを開けると、叔父夫婦に手を振った。 「じゃぁ、また、来ます」 僕の言葉に叔父さんは目を細めて頷くと手を振った。 プッと父が軽くクラクションを鳴らしてサヨウナラを告げると、静かに車が動き出した。 僕は妹と共に叔父夫婦へ手を振る。 敷地を出て、左に曲がる。 その道路脇に一輪だけ、向日葵の花が咲いている。 この家に来たときはこの花が一番最初に出迎えてくれて、一番最後まで見送ってくれる。 来年もまた、この花を見ることが出来るのだろうか。 車は三叉路を更に左に曲がった。 もう、向日葵の花は見えない。 僕はウィンドウを閉めると、深くシートにもたれて両目を瞑った。 遠くで鳴く蝉の声が次々に通り過ぎていくのをBGMに、僕は緩やかな眠りへと落ちていく。 ――家に着くまで、夢の一つも見なかった。
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