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クリエイター名  海月 里奈
I.雨の日に/II.夕暮れ色の中で/III.砂漠の遺跡にて


 ご覧くださりまして、ありがとうございます。

※発注に際しまして
・基本的には三人称描写(彼は‥‥であった)となりますが、一人称描写(私は‥‥であった)も可です。その際は、1.登場人物の台詞の口調/2.登場人物の台詞以外の部分の口調/3.登場人物の人称(俺、お前、名前呼び捨て、等)――を、必ずお書き添えくださりますようお願い申し上げます。



I.雨の日に

「ね……空の神は、雨を降らせましたわ。そうして、海と、湖と、――潤いが、世界に満ち溢れましたのよ……」
 ねえ。
 わたくし達は、生まれる前のことは何も知りませんのよ。けれど、お父様がね、本当に懐かしそうに、この絵本を眺めていらっしゃりましたの。
 白いシーツの上にうつ伏せになった少女が、足をぱたぱた、くすり、と微笑んだ。
 上半身は軽く起こしたまま、指先で、手元に広げた絵本を辿る。点々と色の抜けた神々の姿は、それでも凛とした様相で、こちらの世界を遠くから見据えているかのようであった。
 特徴のある顔をしているわけでもなく、その身に纏う服のひだにすら個性が感じられない、古代の神々の姿。
 ……でも、
「ねえ、そんな神話は、死んでしまったのかしら」
 父親曰く、この絵本の表現様式は、もはやこの時代から忘れ去られて久しいものなのだという。顧みられることもなくなった、過去の時代の軌跡。
「わたくしはね、この絵本が大好きですのよ。絵本なんて読まなくなってからも、時折開いては、懐かしんでおりますの」
 時代から、忘れ去られてしまった、だなんて。
 だからといって、この絵本も、神話も、――全て、忘れられていっても、仕方ないものであるのかしら。
 今時の世界に慣れ親しんでしまっている自分達にとっては、このような絵本の方が珍しくてたまらないものであった。しかし、父親はこの絵本を眺め、瞳を細めて溜息を吐くのだ。もうこんなものは流行らないんだろうね、と、静かに本を閉ざした時の父親の表情を、どうしても、忘れることなどできなかった。
 自分達の、知らない時間がある。そうして、時に自分達は無意識の内に、
 ――きっとわたくしたちは、今、この時が、一番正しいって、一番進んでるだなんて、思っておりますの。
 指先で、するり、と頁を一枚捲る。
 現れたのは、単調な構図。単調な色使い。しかしそこからは間違い無く、大きな海が溢れ出していた。世界に向けて、水が流れ出してゆく。
 セシリアは瞳を閉ざし、ゆっくりと息を吸い込んだ。
 水の香りが、する。
「お嬢様」
 大好きな声音が、心地良かった。軽く軋んだ寝台の淵に腰掛ける青年の膝の上には、セシリアの手元にあるのとはまた別の創造物語の記された書物がある。
 セシリアは、なんですの? と、言う変わりに首だけで振り返ると、翠碧色の視線に、知らず、捕らえられてしまう。
 さぁ……と、壁を打つ水粒の音色が、二人の上を穏やかに覆い隠していた。
 セシリアの枕元に浮かんだ魔法の光が曇り色を払いのけてから、もう、それなりの時が経つ。昼間だというのにも関わらず、外に散歩に出ることもできない。昔から変わることなく、毎年訪れる短い雨の時期。憂鬱な時間は、いつも二人で過ごしてきた。
「私はさほど神話には詳しくはありませんけれど、でも、是非知りたいと思っているんです」
 やおら、アルベルトは、聖なる書物をテーブルの上に置くと、その手で、セシリアの頭をゆるりと撫でる。
「私には、彼等が見てきた世界が、間違っているだなんて思えないんです。――だって、今私達が見ている世界も、少なくとも、私達にとっては信じるに値する真実ですから」
 セシリアの言いたいことは、何となくわかっていた。古いものが新しいものに取って代わる時、時に過去は断罪され、蔑まれ、今からは捨て去られてしまう。そうして、今というこの時でさえ、未来には過去として断罪され、蔑まれ、捨てられてしまうかも知れないのだ。まるでその過去が、間違いそのものであったかのようにして。
 でも――、と、アルベルトは、セシリアを甘く抱き寄せた。
 忘れられてゆく神話の中にも、この絵本の中にも、その時の人が見ていた真実が確かに存在しているはずなのだ。過去の人々が生きる糧としてきたものを、
 どうして私達に、否定することができるのでしょうか。
 それは、未来の人々が、自分達を否定することができないのと、同じこと。
「私達がここに生きていた、という事実が、永遠に変わらないのと、同じことですよ。神話も、この絵本の技法も、決して死んだりはしないと思うんです」
 ぽつり、ぽつぽつ、雨粒は何度も、窓に残した痕を塗り替えてゆく。ええ……と、小さく頷いた少女の吐息が、時の流れの中に穏やかに溶け込んでゆく。
「ですから、何か面白いお話を、お聞かせくださりませんか?」
 部屋の片隅に積み上げられた、分厚い書物達。開けば埃の香りを押しのけてでも鮮やかに蘇るであろう神話の数々を、この少女はいくつもいくつも知っているのだから。
「……ご自分で、お読みになってはいかがですこと?」
「折角教えてくださりそうな方が傍にいるのに、この機会を利用しないだなんて勿体無い、んじゃないんですか?」
 悪戯っぽさを声に滲まされ、アルベルトもまた、悪戯っぽく微笑みを返した。
 私も、お嬢様には、神聖言語を教えさせていただいているわけですし?
「それに、お嬢様だからこそご存知なことも多いのではないか、と、思いましてね」
 雨足がまた、強くなる。本を照らす光も、ゆっくりと、曇り闇の中に溶け込み始めていた。
 セシリアの手が、きゅっとアルベルトの僧服を握る。
「気が向きましたら、ね」
 彼女の指先が首筋に流れ、広い背中で両端を結んだ。抱きしめ返されたアルベルトの胸に、ほの軽い力が圧し掛かる。
 セシリアが、全身から力を抜いた。
「でも、今は、駄目……」
 そのまま、夢の世界に心を置いてしまおうとする。一番安心できる場所で、幸せな夢を見ていたかった。
 ――外にも、出れませんもの。ねえ、この分では明日も、図書館での調べものは、無理かもしれませんわね……。
 水の香りが、する。
 セシリアの手から、あの絵本が抜き取られる。テーブルの上に、二つの時代の違う真実が並び添えられる。
 アルベルトはセシリアを横たえると、彼女に布団をかけるべく、起き上がろうとする。
 しかし、いつものように、幼い力はそれを許してはくれなかった。
 まどろみの中から、微笑んで、名前を呼ばれる。
「駄目なんですよ、お嬢様。還俗する聖職者が、年間どれだけいると思ってるんですか」
 ゆるく結ばれた唇からは、応えは返ってこなかった。
 あまりにも無邪気なその寝姿に、アルベルトも、笑わずにいることはできなかった。
 やれ……と、暖かな溜息を一つ吐くと、彼女を起こさないようにと、その横に寝転がる。
 少しだけ笑みを深くしたセシリアをやわらかく抱きしめると、そのぬくもりに耳を澄ませるかのようにして、瞳を閉じた。
 水の流れる、音がする。世界ごと、水飛沫の中に沈み込んでゆく。
 寄り添いあった二人の意識も、いつの間にか、別々の夢の中へと落ちて行った。



II.夕暮れ色の中で

 かつて、なぜ聖職者になどなったのか? と問いかけられ、アルベルトは凪いだ様子で、小さな娘の頭にふわり、と手を置いた。
 Noil timere sed loguere, et ne teceas.
 少女は、呟かれた言葉を、なぜか今でも覚えていた。その時のそよ風のようなぬくもりを、そろそろ成人を迎える今になっても、忘れることはできなかった。
 その日すれ違った少年の抱える袋からは、オレンジの形と、袋からはみ出した長いパンとが香り立っていた。湿った風が、穏やかな時に彩を与えて過ぎて行く。
 クラートから与えられた仕事を二人でこなした、その帰り道であった。ふと見回せば、街中に残された雨の軌跡が、紅い光をきらびやかに遊ばせていた。
 腰をかがめ、少女と同じ高さに視線を置いたアルベルト。夕時に揺蕩う翠碧色の優しさに包み込まれ、セシリアはその場から一歩も動くことができなくなる。
 雨の香りを、吸い込んだ。
 ひたり、ぱたぱたと、セシリアと同じ年くらいの子供達が、水の跳ねも気にすることなく、どこか遠くへと駆け過ぎて行く。
 弟と妹とを率いる兄が、振り返り振り返り、石畳に躓きそうになりながらも、彼等の足を急がせていた。
 ――ほおら、早く帰らないと!! 父さん達、待ってるんだぞ!!
 賑わいが、風と共に夕暮れの中に沈んでいった。
 二人の影が、水溜りの上にゆらりと揺れる。
 大きな影が、手を伸ばす。
「それが私の、信じる道だからです」
 アルベルトは、さらり、とセシリアのスカートの裾を掬い上げると、跳ねついた泥を丁寧に撫で落としてゆく。
「Propter quod ego sum tecum. です。主は、私達の傍にいてくださります」
「どういうことですの?」
 知らない言語の中に、崇高さ、のようなものが漂っているような気がしてならなかった。唐突にその響きが美しく聞こえてくるほど、いつの間にかセシリアは、彼の世界の中に、呼び込まれてしまっていたのかも知れない。
 アルベルトが、スカートから手と視線とを離す。
「お嬢様は、長官閣下のことを、どう思われますか?」
「お父様のことですの?」
 そんなの、当然、
「大好きでしてよ。お父様のことは、大好きですわ」
 揺るぎの無い、愛情。我が子のことを可愛がる上司の姿を思い出し、おかしい思いに捕らわれたかのような、アルベルトの微笑み。
 バターの溶ける香りが、そろそろ家族でテーブルを囲む時間だということを、告げ知らせていた。
 ただいまぁ、と、少し遠い所から、戸の開く音が聞こえてくる。
「それが、どうかしましたの?」
「お嬢様はそんな長官閣下のことを、――そうですね、誰か別の人に、自慢、してみたくなりませんか?」
 アルベルトが、さあ、と、セシリアの背中をそっと押した。
 黒い影が、夕焼け色の世界を長く突っ切った。
「自慢?」
 ひたり、と、水溜りを飛び越した。
 ……そうですわね、
「そうかも、知れませんわね」
 大好きな、お父様。世界で一番、大好きな人。
 彼のことを語り出せば、きっとお喋りは止まらなくなる。新しいことができるようになる度、大げさなくらいに褒めてくれるということ。優しくて、誰からも好かれる人であるということ。外では慇懃でも、身内には無礼だということ。実は辛いものが食べられないということ。もの凄く絵が下手だということ。
 それから――、
「そういうことなんですよ」
 穏やかに見下ろされ、セシリアは指折り数えるのを止めた。
 もう一つ、大きな水溜りを飛び越える。
「私は、自分の信じる神様のことを、皆に自慢して歩きたいのかも知れません」
 恐れるな、語れ。黙っているな。
 セシリアが、あの時のアルベルトの言葉の意味を知ったのは、それから大分後になってからの――アルベルトから、神聖言語を学び始めてから、暫くしてのことであった。
「主は、いつでも傍にいてくださります。私の傍にだけではなく、お嬢様の、傍にも」
「わたくしは、別に……、」
 神様なんて、どうでもいいですもの。
 言いかけ、言葉を曇らせたセシリアは、俯く代わりに紅く染まった雲を見上げた。
 この先には、自分達の帰るべき場所がある。そろそろ仕事を終えた父親は、セシリアとアルベルトと、三人で食卓を共にすることを、楽しみにしているに違い無い。
 二人きりであった食事の席に、この青年が加わってから、もう、一期節分の花が芽生えて咲いて散ってしまっていた。
「迷惑な話かも知れませんけれど、私は主を、そのような存在である、と信じているんです。私の傍にも、お嬢様のお傍にも、長官閣下のお傍にも、いつでもいてくださるお方だと、信じているんですよ」
 最初にその話を持ってこられた時は、どうして宗教家など、と、思ったものであった。しかもどうして、男の人なんか、とも思ったものであった。別に、世話役の必要性を感じたことも無かったのだ。これ以上、新しい講師を必要としてもいなかった。
 でも。
「ですから、私は自分の信じているお方のことを、あのお方はこんなに立派な方なんだ、とですね、色々なところに??自慢?≠オて歩こうと思っているのかも知れませんね」
 照れたように笑う青年の率直さを、セシリアはいつの間にか、じっと見つめてしまっていた。
 かなりの才人だと聞いていた。父を含めた中央で働く人間など、皆例外も無く才人なのであろうが、アルベルトはその中でも一番の若手であり、将来を有望視される宗教学者でもあるらしかった。
 会う前は、どれほどお高い、或いは、お堅い人間であるのかと、何となく反発心さえ覚えていた。会ってから暫くの間も、それが故か、あまりすぐに心を開くことができずにいた。
 それが――、
「お嬢様」
 ひたり、と、セシリアの足先が、水溜りの水を跳ね上げた。
 二人の歩みがぴたり、と止まる。
「スカート、汚れてしまいますよ」
 セシリアの視線が、右手に留まる。
 その手には、修道服の長い袖がかかっていた。軽く握られた手からは、暖かさが伝わってくる。
「修道士様……、」
「――あ、すみません」
 思わず……と付け加え、アルベルトは握っていたセシリアの手を離そうとする。
 しかし、小さな力が、それを許そうとはしなかった。
 自分からその手を握りなおし、セシリアはアルベルトを、まるで先導しようとするかのように引っ張った。
「帰りましょう。お父様が、待っていますわ」
 屈託の無い笑顔に、アルベルトも笑い返す。
 太陽の、家路を辿る。
 まばらになり始めた人影の中を、二人は再び、今度は自然と並んで歩き始めていた。



III.砂漠の遺跡にて

「いつか、わたくしたちが生きていたことも、忘れられてしまうのかしら」
 神聖暦、何千年。人は歴史をそう数えるが、この世界は、その暦の一年と同時に始まったわけではないのだ。
 一体時は、いくつの軌跡を覆い隠しているというのであろうか。
「時の流れとは、早いものでしてよ」
 砂埃に目を細め、セシリアは黄金色の霧の向こうへと視線を投げかけた。
 屋根も壁も無い、広い大理石の床。砂に霞んだモザイクの栄光を示すこともできずに、ただその場に佇むだけの欠けの目立つ柱。
 さらり、さらさらと、砂の捲れる音が風に溶けてゆく。
 景色を見つめているだけで、このまま、自分まで埋没させられてしまうのではないか、というような想いに、捕らわれてしまう。
 意識が、冷めて行く。
 辛うじて形を留めた、石造りのテーブルが目に付いた。二度と誰にも座られることのないであろう椅子は、一つと二つに向かい合い、ただ朽ちてゆくのに甘んじているばかりであった。
 誰も、いない街。
 子供達の足音の代わりに、時の経つ音だけが響き渡る街。甘いバターの香りの代わりに、砂と埃の香りだけが満ち充ちた街。
 ――ねえ、わたくし達も、いつか……、
「わたくしも、お父様も。クリスも、……神父様も。皆この世界から、忘れ去られてしまうのかしら」
 セシリアの体から、力が抜ける。
 寄りかかられた神父も、何も言わずにただ遠く向こうを見遣るばかりであった。
 アルベルトは、視線はそのままで、自分が座り、手をついている白い岩の上に指先を滑らせた。
 縦に掘り込まれた直線の中に、一本だけ堀の深い線がある。その中に溜まっていた砂を払い出し、アルベルトはもう一度、横に向けて指を滑らせる。
 ふと、セシリアが顔を上げる。
「そうですね。私達が記録を、どこかに残しておけば話は別かも知れませんが」
「でも」
 息を吐き、再びアルベルトの肩に頭を乗せると、セシリアはアルベルトと指を絡めなおした。
 取り残されていないことだけが、救いであった。たった一人の青年のぬくもりが、自分はまだこの世界から見放されてはいないのだということの、唯一の証明であるかのようであった。
 まるで、
 ……まるでわたくしを、この世に、唯一繋ぎとめてくださっているかのよう。
 指先に、想いを託す。
「それで、わたくし達は知られはするかも知れませんけれど、思い出されは、しませんのよ」
「でも、私達が生きていた証拠は、残りますよ。もしかするとその生涯が、誰かに知られるかも知れません」
「――けれど、」
 それでは。
 応えてくれる甘やかさに、セシリアはやおら瞳を閉ざした。
 砂が、肌を撫で付ける。絡まってしまった髪の毛が、いつもより重く感じられた。
 アルベルトの、生きている音が聞こえてくる。
「まるでそれでは、この街のように思われてなりませんでしてよ」
 記録は、残る。しかし、この街からは、出店で値切る女の声も、店の外から糸を紡ぐ少女を見つめていた青年の視線も、皆想像することはできても、誰も思い出すことなどできないのだ。
 この街の全ては、遠い日に忘れ去られ、二度と取り戻されることはない。挨拶の声音も、小麦の焦げる香りも、風に攫われたきり帰ってくることはない。
「何だか少し、寂しいような気がしますわ」
 流れる砂面の上の影が、静かに離れた。
 蒼い瞳が、青年を見つめる。
 いつか、その時が来るのだろうか。自分の存在が何らかの手段によって誰かに知られた時、自分達が本当に存在していたのか、否か、ということすらも、問われる時代が。
 わたくし達がいたことだなんて、そんなの、当たり前のことですのに。
「わたくしは、ここにおりますのに」
 アルベルトだって、ここに、いらっしゃりますのに。
 まるで、自分の感じている全てのものが偽りであったのだ、と、否定される日が来るような気がしてしまう。
 こんなにも確実なことすらを、時は、埋めて隠してしまうに違い無い。
「ねえ」
 セシリアは再び、遺跡へと視線を向けた。
「……神父様は、ここに、いらっしゃりますのよね」
「大丈夫ですよ。私は、お嬢様の傍におりますとも」
「そんなの、当たり前のことですわよね」
 セシリアを見つめるアルベルトの瞳に、翠碧色の優しさが映り込んでいた。
「誰がどう言おうとも、私は今、確かに、お嬢様の傍に存在しておりますよ」
 乾いた世界を、水の香りが掠めたかのようであった。
 
 
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