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クリエイター名  電気石八生
「ぼっち」と「きり」の唄

「ふぃー」
 野太い息をついて、男はところどころへこんだ冑を頭からむしり取った。
「やれやれ、まだ耳鳴りがする」
 そのまま冑を横へ投げるが――地面に落ちる前に、白い手がそれをすくいあげた。
「やめてよ。怨念に触れたら山が穢れるじゃないの」
 投げ返された冑をあわあわと受け取って、男は怖々、それを見やり。
「娘御、その……怨念とは、なんだ? 俺の冑は呪われているのか? まさか! 幽霊が、憑いている、のか?」
 いかにも気の強そうな顔を強く反らし、少女は50センチの高みに据えられた男の顔をにらみ上げる。
「剣やら棍やらであれだけ殴られたのよ。怨まないわけがないじゃない。殴らせたあんたのこと」
「ひぃっ!」
 男が自分の体から精いっぱい冑を遠ざけた。それでも下へ落とさなかったのは、先ほど少女に言われたことを憶えていたからなのだろう。体の太さに似合いの強面ながら、意外に小心なのかもしれない。
「それにしても、あんたどんだけ頑丈なわけ? 死ぬでしょ普通」
 ため息をつく少女に、男はどんよりとした薄目を向けてブツブツと。
「日頃の行いがよいからだと思っていたのだが、どうやら俺の途方もない思い違いだったようだ――」
「あー、うっとうしいからそれやめてその顔」
 しょんぼりとしゃがみこんだ男をしかめっ面で見下ろして、少女はひとつため息をついた。
「山から見てた。あんたがひとりで50人相手に戦ってるの。――村の連中はとっくに逃げちゃったわよ。あんたを置いてね」
 男は、山の麓にある農村に雇われた旅の戦士だった。
 契約の内容は、この村と山を狙う他領の手先を追い払うこと。
「相手の人数が50人って、聞いてなかったでしょ。契約なんて放り出してさっさと逃げなさいよ」
「さすがに敵の数には驚いたがな。だからといって尻をまくるわけにはゆくまいよ」
「なんで?」
 イライラと詰め寄ってきた少女に、男は生真面目な顔を向けた。
「村の者に聞いたのだが、この山には神様がいるそうだ。知っているか、娘御?」
 少女はぐっと喉を鳴らし、なぜかばつが悪そうに目を反らす。
「そんなの、知ってるけど」
「なんだその顔は。――ああ、なるほど。そうかそうか。娘御は恋だの友情だのでいそがしいものな。神様なんぞにかまけておるヒマはないものなぁ」
 大笑いする男を無言で蹴りつける少女。しかし、男を包む分厚い鋼は、そんな軽い蹴りなどたやすく跳ね返す。
「俺が悪かった。怒るなゆるせ。……いやな、攻めてきた奴らは、己の信じる神様を押しつけに来たのだろう?」
「そうみたいね。あいつら、この山の神は悪魔だって言ってたし」
「いきなり今日から悪魔だと言われ、追い立てられる山の神様がかわいそうでな」
 ムっと眉尻を跳ね上げた少女が拳を握る。
 人間風情が、神に対してかわいそう? 思い上がりもいいかげんに――
「それにな、村の連中が逃げてしまったなら、神様のまわりには誰もおらんだろう?」
 少女の目が、男の目に吸い寄せられた。
「独りぼっちはさみしいからなぁ」
 夜空に浮かぶ月のようにやさしく悲しい光を湛えた、綺麗な目に。
「……さみしいのは、あんたでしょ」
 少女の言葉に、男はまたさみしげに笑んだ。
「うむ。生まれたそのときからずっとな」
 やわらかな声音だった。
 わけのわからない腹立ちに突き上げられるまま、少女は男を嘲う。
「さみしいから他人にすり寄って、ほめてほしくてお役に立つわけね。だまされて、捨てられて、死ぬだけだっていうのに」
「俺をだますのは誰かに想われる自分を救うためだろう。俺を捨てるのは自分が想う誰かを救うためだろう。なんともうらやましく、妬ましい話だ。だからな、せめてもの意趣返しに、独りぼっちの俺がそやつらを丸ごと救ってやろうというわけだ」
 箒の先のようにチクチクと肌を痛めつける少女の言葉に揺らぐこともなく、男は言い切った。
「バカみたい。独りぼっち、こじらせすぎてんじゃないの」
「ああ。独りぼっちはさみしいからな」
 男は先ほどの言葉をより強く繰り返し。
「今や神様も独りぼっち。俺は独りぼっちの先達として、したり顔で言ってやろうと思う。神様は独りぼっちじゃないぞ。この俺がいるから、ふたりぼっちだぞ。とな」
 この男がどれほどの孤独に耐え、その中で腹をくくり、意を決して故郷を後にしてきたのか、少女にはわからない。でも。
「俺は最期まで山の神様を守る。禄こそ食んでおらぬが俺も士分だ。折れてしまった剣の代わり、命ある限り戦い抜くと、この奪ってきた槍だった棒に誓う」
 なぜだろう。この男を、どうしても死なせたくなかった。
「あいつらはあたしがなんとかするから、あんたはこのまま逃げなさい。あ、その前に、村長が踏み倒した報酬を払ってあげないと。どんな猿も猪も虜にする神どんぐり――ってわけには、いかないわよね」
 少女の内に、自らが封じたはずの“力”が沸き上がる。
 この男が山を下りた後、持てる力のすべてをもって、不届きな奴原を恐怖と絶望の深奥へ叩き落としてくれよう。
「いや、待て待て。彼奴らは訓練された騎士どもだ。娘御が策をこらしても、すぐに捕えられて慰み者――とはならんだろうな。いやいや! 世の中には平たい胸をこよなく愛する、いわゆる紳士とやらも少なからず」
「口を慎めぷちっと潰すぞ無礼者」
 得体の知れない少女の圧力に縮こまる男。
 その、汗と血にまみれた額へ。
 少女の指がそっと触れた。
「知ってる?」
「なにをだ?」
「独りぼっちがね、ふたりになったらどうなるか」
「だから、ふたりぼっちだろう?」
 山の生気と己の神力を、目の前で呆けている男の体いっぱいに吹き込んで、少女は笑んだ。
「ふたりきり、だよ」

 その後、男と少女がどうなったのかは誰も知らない。
 武器も鎧も放り出し、這々の体で逃げ帰った騎士たちは誰も語らなかったし、村人たちが戻ってきたころには、男の姿も骸も残ってはいなかったからだ。
 ただ。
 これより数年後。遠い北の谷で、南の浜辺で、東の島で、西の草原で、名も知れぬふたり組の唄が語られるようになる。
 誰かを救うためにたやすく己の命を張る戦士と、その傍らで不可思議な力を振るい、彼の命を救い続ける少女の唄が。
 
 
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