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クリエイター名 |
工藤三千 |
やさしく消えて(自然/死/シリアス)
風が、白かった。 強くて、冷たくて、肺の中まで凍ってしまいそうなくらい寒くて。 張り詰めているのに、でも、なんだか柔らかくて。 時々息ができなくなる事もあるけれど、そんなにいやじゃなかった。
お姉ちゃんが死んだ。 遠い戦地で、戦っている最中に急激な寒波が押し寄せて。 敵も味方も、戦車や大砲も、全部真っ白な雪に包まれて、そのまま消えてしまったらしい。 報せが届いてから、お母さんはずっと泣いてばかり。 お父さんは仕事をしなくなって、毎日お酒ばかり飲むようになった。 そうしているうちに、あの寒波がこの土地にもやってきて。 家も、草原も、木も、空も、空気も、目に見えるものも、そうでないものも、何もかも真っ白に染めてしまった。 誰も出歩かなくなって、村は凍りついた。 だけど、私は外に飛び出した。 ひょっとすると、この白い世界のどこかに、お姉ちゃんがいるかも知れないから。 泣き声とお酒の匂いでいっぱいの家の中より、お姉ちゃんの傍に行きたかったから。
「うっ――わ!」 踏んだところがたまたま深くて――というより、盛り上がっていて。 細かな綿くずみたいな真っ白く敷き詰められた冷たい小山に顔から突っ伏した。 「…………」 体が、重い。 指が痛くなってきた。 もう何時間歩いただろう。 もっと厚着してくればよかったかな。 「いいか」 どうでも。 そんな事より、今はお姉ちゃんを探さなきゃ。 身を起こすと、コートにたくさん雪がへばりついていた。 だけど、気にならない。 それ以外のところも、手袋も、長靴も、帽子も、髪も、肌も真っ白だったから。 ただただ白いだけのこの景色に、例外なんてひとつもない。 少し、お姉ちゃんに近づけた気がした。 だから、先を急ぐ事にした。 相変わらず風が強い。 四方八方足元頭上のいたるところから吹きつけて、私をもみくちゃにする。 もっと速く進みたいのに、早くお姉ちゃんのところに行きたいのに。 うまく歩けなくて、いらいらが募る。 重かった足の感覚が薄い。 息をすると痛い。 「な、んなの」 たったこれだけ言おうとした口も、きちんと動かない。 背筋を伸ばせない。 つらい。 お姉ちゃんもつらかったのかな。 こんな気持ちのまま、心まで凍りついて、消えてしまったのかな。 解けたら、また元気になる? 優しくしてくれる? どこにいるの? 私は―― 「――ここにいるよ」 見つけてよ。 帰ってきてよ。 早く。 「はやくっ――」 大声を出してみたけど、風の音には全然かなわない。
疲れた。
疲れたら休みなさい――お姉ちゃんにそう教わった。 体のいう事をきかないと体もいう事をきいてくれないからって。
じゃあ。
いいかな。
ひざを折ったら、あんなに邪魔だった雪が優しく迎えてくれた。 寝転んでしまいたいくらい、ふかふかだ。 まるで――。 「そっか」 どうして気がつかなかったんだろう。 始めから、ここにいたんだ。 ずっと傍に。 「よかった」 ほっとしたら、なんだか眠くなっちゃった。 横になると、風が頭を撫でてくれた。 雪が、肩を抱いてくれた。 だから、安心して、目を閉じた。 「おやすみなさい」
お姉ちゃん。
静かだ。 どのくらい眠っていたのかな。 開けようとしたまぶたがぎこちない。 息を吸おうとした口が動かない。 鼻がないみたいになにも感じない。 耳は――割れそう。 体中痛くて。 でも、動いた。 「うっ……」 雪が、風が、止んでいて。 真っ白だった世界は、青くて高い空とお日さまの色が反射して、きらきらしている。 ぐるっと見渡すと、歩いて少しのところに黒い家が、雪にぽつぽつと穴を開けたように建っている。 見慣れた景色――わたしの村。 あんなに歩いていたのに、結局どこにも行ってなんかいなかった。 どこにも。 「お姉ちゃん……いない、よ」 そう思ったら、顔が、目と喉の奥が熱くてたまらなくなった。 苦しくて、なみだが出た。 なにがなんだかわからなくて、ひたすら泣いた。
あとでお父さんとお母さんが探しにきてくれても、家に帰っても、ずっとずっと泣き続けた。
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