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クリエイター名  近藤豊
下北沢の麻婆カレー

 私は、田舎というものがない。
 親の世代で地方から上京したが、私自身は都会生まれの都会育ち。
 小中高と首都圏の学校へ通い、大学もそれなりに楽しんだ。社会に出てからも、会社では年齢相応のポジションを死守しているつもりだ。

 だが、お盆と正月の時期は困る。
 田舎が無いのだから、実家に戻っても都会と変わらない。地方の親戚に逢うこともできるが、今からチケットを買い求めても大混雑の中を長時間我慢し続ける覚悟もない。

 結局、私は暇を持て余す。
家で惰眠を貪ることにも飽きてきたところだ。
 ならば、私は別の欲求を満たす。
 ちょうど数日後には出社。ここらでだらけた体に活を入れておくのも悪くない。
 私は、食欲の赴くままに電車に乗り込んだ。

 都会から私鉄に乗り換えて15分。
 私は、その街に降り立った。工事で狭くなった道を抜けて改札を潜れば、若者が今を生きる光景が見えてくる。

 私は、この街が好きだ。
 夢を見るには年を取りすぎた私だが、ここは夢を諦めずに走り続ける若者が多い。
この街にはエネルギッシュな空気が渦巻いているのだ。そこへ私が足を踏み入れる事で、私もまた夢を見る若者に慣れた気がするのだ。

 しかし、今日は夢を見に来た訳ではない。
 若者向けのカジュアルな衣装と雑貨が彩る街並みを見ながら、私は十字路を右に曲がる。先程まで若者文化の発信基地にも思えた場所が、赤提灯が並ぶ馴染みの光景が広がる。

 これだ、これこれ。
 この光景こそ自分がよく知るものだ。
 他の街にもあるが、ここは道が狭い分人々のエネルギーを直で受ける。何より、この雑多な雰囲気に私自身がとても落ち着くのだ。

 目的の店については聞いていた。
 旨い本格中華の店がある。
 本格中華……今の私にはピッタリだ。
 刺激を忘れていた体に香辛料が、ガツンと効いて活気を取り戻す。胃には少々刺激が強すぎるが、これぐらいの辛さでないと体が目覚めないのだ。
 私なりの荒療治、吉と出るか、凶と出るか。
 店の前に到着した私は、意を決して自動ドアの前に立つ。

「いらっしゃいませ〜」
 アルバイトと思しき女性の声が響く。
 居酒屋特有の活気ある出迎えだ。店員が元気を出せば、こちらも元気が溢れてくる。だが、生来他人との関わりが得意ではない私は、それを態度に出すことはできない。
「何人様ですか?」
「…………一人で」
 無意識に私は人差し指をたてた。
 私の声が聞き取れなかった時を考えて、指で人数を表す。
 来店した客の数など、見ればわかるのかもしれない。だが、それを見て察しろと言うのは些か傲慢に感じる。
 店員は気にしないのだろうが、これは私なりの流儀なのだ。
「こちらへどうぞ」
 一人客の為、カウンターへ通された。
 一人で大きなスペースを必要とする訳ではない。狭くて結構。この方が落ち着くというものだ。
 注文を取ろうとした店員が、腰にあった伝票に手をかける。
 ここでいつもなら焦る私が、今日は違う。お目当ての料理は既に決まっている。私がそれを言葉にすればいいだけだ。
「麻婆カレーを一つ」
 麻婆カレー。この街らしい、何とも魅惑な料理だ。
 麻婆豆腐なのか。
 それともカレーなのか。
 同じ皿に盛られているとするなら、どっち寄りなのか。
 私は、期待に胸を膨らませながらこの店を訪れていた。
 私の冒険心が大きく芽生えた瞬間だった。 
「はい、承りました」
 店員は、そう言って戻っていた。
 私は、店員が持ってきた水を軽く口にして静かに待つ。
 闘志を一人高めるボクサーのように、体の中で闘志を醸成する。
 今日の相手は強敵なのか。
 数ある料理を倒してきた私に、挑むとは。
 その傲慢で膨れ上がったお前を、すべて平らげてやる。

「お待たせしましたー」
 店員が運んできて平皿。
 ご飯が楕円形に盛られ、その上から豆腐と挽き肉がたっぷりのルーが鎮座。
 麻婆丼かと思いきや、鼻孔をくすぐるカレーの風味。
 やはりこれは、今日の相手である『麻婆カレー』だ。
 覚悟を決めた私は、スプーンを手に麻婆カレーを掬う。
 カレーとご飯が均等になるように狙って取った一口分。鼻先近くでも強い香辛料の香りが漂ってくる。
 食べられるのを今か今かと待ち受けるかのように。
「では」
 私は、自分に言い聞かせてスプーンを口に入れた。
 瞬間、口の中に広がる山椒の風味。
 痺れるような感覚が舌を襲う。
 続いてやってくる唐辛子の辛み。これはラー油の辛さだ。
 ここまでだけなら麻婆豆腐そのものだが、最後に姿を見せたのはカレーだ。
 八角を抑える代わりに、ターメリックとクミンが顔を覗かせる。
 食感も見事だ。
 豆腐の柔らかさの中で時折爆弾のように弾ける挽き肉。油と香辛料という凶器を片手に反則上等と襲いかかる。
 タッグマッチなら二対一というハンデ戦だが、こんなハンデ戦なら大歓迎だ。

 負けてない。
 麻婆もカレーも全力で私に挑んできている。それに応えなければ、男が廃る。全力で香辛料達の挑戦に受けて立とう。
 気付けば私は次々と麻婆カレーを口に運んでいた。

 ここは『当たり』だ。
 おそらく、何を食べても満足させてくれる。
 ちょうど、麻婆カレーのおかけで体のエンジンがかかってきた。
 なら、私も本気を出させてもらおう。
 さて、次は何を頼むとするかな。
 
 
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