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クリエイター名  遊都
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男の名は――――――名乗れるほどの名はない。

職業は、「中流階級の下男」だった。

だった、というのは男はたった今しがた不況の波に煽られて真っ先に職を失ったいくらかの人々のうちの一人だからだ。

男の家は市の一番はずれのあたりにある。

しかし・・・家と呼べるものではないあばら家だ。

中には男一人。

男には家族がいない。

年は、おそらく三十代後半から四十代半ばの間。

黒く薄汚れたようなしみのある肌が男の年齢をより高く見せている。

さて、男は飲んだくれていた。国一番の安いビールとやせた豆を肴に。

「連中、明日の朝のパンにつけるバターを1g減らさなくてもいいように俺をクビにしやがった。」

男はグラスも使わず瓶を掴んで酸味の強いビールを煽る。

「いつもそうだ。

最初に死ぬのはいつも俺達労働者。

連中、今頃上等のブランデーに喉を潤してやがるにちがいねえ。」

こんな男にお似合いの共産主義的理想論を振り回そうにもその教養も男にはないのである。

男のあばら家、壁、窓、むき出しの細い梁、男の頭下のテーブル、空の瓶、豆の袋・・・

「うーん・・・汚いところだな――――――上等のブランデーが飲みたいんですかね?」

「――――――?」

男ははっとして狭い家の中をきょろきょろと見回した。

ぐるりと一周すれば全てが見渡せる男のわずかな空間。

――――――誰もいない。

隠れる場所などあるはずはない。

それに男には尋ねてくる友達がいるわけでもなかった。

「空耳か・・・。」

男はため息をついて椅子に座りなおす。

そして空になったビールの瓶に気付かずに口をつける。

「――――――何!」

男の口に流れ込んできたのはさっきまでの酸っぱいビールではない。

とてもじゃないが、それは男が口にしたことがない。

芳醇な馨りが鼻にも通り抜けて滑らかに喉を潤していく。

「飲みすぎたのか・・・。」

「上等のブランデーをご所望だったんでしょう。」

空耳などではない。

良く通る少年の声が男に語りかけてくる。

「だ・・・誰だ!

俺の家に勝手に入りやがったか、

このくそボーズめ、出て来い!」

「あーあ、ご挨拶だな。

ブランデーの味はお気に召しませんでしたか?

それとも、判りませんでしたか。」

からかうような調子で少年の声は男に応える。

「どこにいやがる!

その首根っこ捕まえて――――――。」

「上ですよ、上。」

男の様子を見かねたように声は男の視線を天井へ導く。

「・・・お前、どうやってそんなところに・・・。」

男は怒りも忘れてあっけに取られる。

見れば身なりの良い綺麗な少年が今にも崩れそうな梁の上で男を見下ろして微笑んでいる。

「お前みたいな貴族のガキが俺に何の用があるって言うんだ。」

「用――――――?用があるのはアンタのほうじゃないかな。」

少年は梁に足をかけたままくるりと逆さに回る。

「おい!その梁は脆いんだ――――――。」

男は思わず叫ぶが梁はみしりとも言わない。

「おめでとうございます。幸運な人。」

男の眼前に少年の顔が迫る。男はその眼の不思議な光に気圧されて息を呑んだ。

「アンタ本当に幸運ですね。――――――どうぞお好きなことを。」

「お前は・・・一体・・・。」

「僕は、『全ての願いを叶えるもの』何が望みです?」

「悪魔か?」

男の言葉に『全ての願いを叶えるもの』はおかしそうに笑った。

「魂なんていりませんよ。」

「じゃあ神か・・・。」

「会った事ありませんけどね。」

そして少年は繰り返した。「僕は全ての願いを叶えるもの。」



誰も何も詳細は知る由もなかったが、男は明らかに変わった。

まず初めに願ったのは「金。」

「金だ!金があればなんでも手に入る。

上等の服も寝心地のいい羽根布団も、旨いものも友達もな!」

「足りなかったらまた呼んでください。」

願いを叶える者はテーブルの上から零れ落ちるほどの金貨を置いていく。

程なく男の暮らしぶりはよくなった。

次は若くて綺麗な娘。

願いを叶える者は美しい若い娘を男の嫁にしてやった。

男は満足だったが、しばらくして妻は不満を言い始めた。

「あたしはこんな贅沢なだけの生活は昔っからしていてよ。

もっと上質な暮らしでなけりゃ嫌よ。」

それで男は貴族の地位を欲しがった。

願いを叶える者は男を伯爵にしてやった。

「今度は何です?」

「伯爵になったのはいいが、俺は品位や知識、貴族らしい会話は何も出来ない。」

「貴族としての中身ですか。結構。」

男は名実ともに素晴らしい紳士に変わった。

そしてその明晰な頭脳で見ると、世の中というのは如何に男にとって酷いものであったか。

初めの男とは比べるべくもない観察力は不遜にも男に世直しという気質さえ持たせたのだ。

「俺は王にならなければならない。

この国の政治は酷いものだ。下々を虐げ、貴族と僧侶だけが私腹を肥やす。俺は変えなければならない。」

王の地位に着いた男の賢君ぶりは真に素晴らしかった。

人々は善くなり、経済は成長した。

周りの国々からも男は尊敬され、男が七十を迎えるころ国は押しも押されぬ大国へと変貌を遂げていた。

もちろんその影にはいくつ願いを叶えるものの力があったかわからないが。

そして地位も名誉も人望も全てを手に入れた男がいた。

「全ての願いを叶えるものよ・・・。」

「お呼びですかな?」

いつものように少年は突然姿を現して男を見て笑う。

「私は全てを手に入れた。地位、名誉、尊敬、財産、家族・・・そう全てを。ただ一つを除いてはな。」

全ての願いを叶えるものは何か悟ったように少し眼を細めた。

「しかし、私はもう八十になる。もうそろそろ死ぬ時期に来ている。

だが、息子達は国を任せるにはなんとも頼りない。

何より息子達はお前を使えんでな。」

「一代限りなんでね。」

少年はこともなげに言い放つ。

「そうだ。だからお前に頼みがある。

私はお前に何もかもを貰った。

だからもうお前がいなくても平気だとも言える。

だからこれが最後のつもりで聞いてくれ。」

「なんなりと。」

「私は・・・。」

「そうだ。」

男が言いかけたとき少年が一瞬彼をとどめる。

「一つ忠告しておきますけどね。人が誰しも望む事を僕が叶えてこなかったとでも思っているのですか?そんなわけないね。でもアンタがこうして王になった・・・いいんですか?」

少年は「今のはサービスです。」と付け加える。

「私は・・・どうしてもそうしなければならないのだ。」

男は意味がわからなかったのか決意が固かったのか、先ほど言いかけていたことを続ける。

「私が作り上げたこの美しい国・・・誰に任せられるものか!

全ての願いを叶えるもの!私に永遠を!!」

「いいでしょう。」

――――――ず・・・。

突如として男の体が歪んだ。

「――――――何・・・?」

揺らぎ、揺らぎ・・・男の体が薄まり掻き消えていく。

「おい!これは――――――。」

「だから忠告したのに。

永遠を願うという事は・・・永遠に消えることにほかならない。」

男が消えていくのと同時に部屋が消えていく、城が、美しい町が、若者たちが、国が。

男の作り上げたものものがたちどころに消滅していく。

「こんな風にして何度も国が消えたのに・・・最後の最後で愚かな人間でしたね――――――もう聞こえませんね。」

こうして男は消えてなくなった。過去も、現在も、未来も。

全ての願いを叶える者は最初男のあばら家があった場所に立っている。

草が生い茂り、あばら家の形跡などあるはずもなく、ただし、時間は確かに初めのあの時ではあったのだが。

「やれやれ・・・。」

全ての願いを叶えるものがため息をついて砂が風に崩れていくように足元から消えていく。

「・・・。」

が次の瞬間何か思いなおしたように姿を元通り現し、振り向き、不思議な色の瞳で微笑む。

「ああ、ずっと見てたんですか?

いいでしょう。次はアンタの願いを叶えてあげましょう。

――――――何が望みですか?」

未完

(続きは全てあなたのもの)
 
 
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