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クリエイター名  モロクっち
ヤクザな退魔:まがつ鯉

ヤクザな退魔:其一 まがつ鯉


「まァたおれですか」
「おまァ以外に出来るヤツがそう何人もいてたまるか」
「わかりましたよ……行ってきまさァ」


 黒澤組、というのは。

 表向きは不動産会社をやっている、暴力団ではあるのだ。
 関東門倉会の傘下にある組織だ。
 構成員は18名とも19名ともいわれている(組員たちも正確におぼえていない)が、どちらにせよ、小ぢんまりとした組織だ。組員すべてが、「いい目をしている」「変わった目をしている」「おもしろい目をしている」という理由だけで組長に拾われてきたならず者である。

 比嘉笙矢、というのは。

 その小ぢんまりとした組織の中で、いつでもあくびをしている人間だ。
 黒ぐろとした髪には、金メッシュ。『触るな危険』のスズメバチカラーを戴いて、黒いスーツに、ぎらぎらとした刺繍の入ったシャツや、アロハシャツや、趣味の悪いシャツを着ている。上背はあったが、男にしては細身であり、体格に迫力はなかった。
 ああ、顔にも、あまり迫力はない。
 ファッションスタイルから、ひと目で『その筋』『あの筋』のおニイさんだとわかるのだとしても――顔立ちや言動はさほど恐ろしいものではなかった。
 何を隠そう、彼は善良な一般市民よりもはるかにものぐさだったから。

 しかし、あくびばかりしている彼も、路頭に迷っていたところを拾ってくれた組長には、さすがに頭が上がらない。だいいち、大麻中毒の黒澤組組長ときたら、怒ると鉄拳一発では済まさないのだ。笙矢は喧嘩にさほど強いわけでもなかったし、身体も見た目通り特別丈夫でもなかったので、組長をとにかく畏れていた。
 黒澤組組長は、だらしがなかったり、常識が通じなかったり、喧嘩っ早かったりする組員たちを、実に巧みに操っていた。同じ盃で酒を酌み交わした子分というのは、組長にとって、実の子同然。育て方も使い方も、考えていることでさえ、お見通しときたものだ。
 事務所のソファで朝から夕方までずっと寝ていた笙矢は、そうして今日も組長に叩き起こされ、用事を言いつけられて、東京は新宿のはずれに向かっていったのだった。

「あー。あーあー、めんどくせーなー。あー、だりーよ。あーあー、めんどくせー。あー! なんでおれが! あー! 息すんのもめんどーだってのに! なぁ!」
 事務所から駅へ、駅から現場へ、向かう途中でおそらく255回は「めんどくさい」を口にしたか。比嘉笙矢というのはそういう人間だ。ものぐさなばかりに、生来持っていたはずの未来を失い、社会のガンとして生きている。死ぬのはごめんだが、生きるのも面倒臭い。だらだら快楽と惰眠を貪り、結局、彼は34まで生きている。
 はあ、とため息をついて、彼は立ち止まった。
 黄昏どきの藍色の下に、そう古くはない雑居ビルが立ちすくんでいる。そのビルの前で、笙矢は立ちすくんでいた。
 10階建ての雑居ビルに、彼は取り立てにやってきたのではない。このビルのフロアには、ひとつもテナントが入っていないのだ。おそらく、浮浪者の類も住み着いてはいまい。
 黒澤組組長が近頃破格の安さで手に入れたこの物件は――人が住んだり、商売をするには、あまりにも不都合が多すぎた。だからこそ、破格の安さで手に入ったのだ。……東京には、いや、ともすれば世界中に、そういった曰くつきの物件というのがあふれているのかもしれない。そして黒澤組組長は、曰くがついて値崩れした物件ばかりを選ぶのだ。
 何故なら、『掃除』が得意な組員を抱えているから、なのである。
「いるねェ……確かに……約一匹。ん……?」
 寝ぼけ眼(彼の目はいつだって眠そうだ)をビルの外壁にめぐらせていた笙矢は、ぴくりとその睥睨の手をやすめた。
 声が聞こえる。
 笙矢は、すでに人ではなくなってしまったものや、端から人間ではないものの声や姿を感じ取る、第六の感覚を持ち合わせてはいるのだが――
 かすかに聞こえたその声は、第六感ではなく、聴覚がとらえたのである。子供たちの声だった。黄昏どきに、季節外れの肝試しと洒落こんでいるらしい。聞こえてくるのは……叫び声だ。
 入口には『立入禁止』の札と鎖がかかっているというのに。
「……まァた、こりゃ、めんどーなことになりそーですよ……相棒……」
 ぼりぼりとうなじをかきながら、笙矢は『立入禁止』を掲げた入口に向かっていった。


 青黒い光の中で、ぐらり、と揺れる黒い影。
 廃墟になる直前まではネット関連の会社のオフィスが入っていたのだと、知っている者はそう多くもないだろう。ネット企業の株もひところよりは随分となりをひそめ、このビルに入っていた小さな会社も、流行の荒波にのまれて消えていった。
 誰がはじめに、『このビルには幽霊が出る』と言い出したか。
 確かにこの廃墟には、幽霊が居座る。ぐらりぐらりと影を揺らす、その男は、あらゆるフロアにあらわれた。窓辺で彼は、首を吊って揺れている。階段を下りても上っても、彼は藍色の窓辺で揺れている。とびだした目と舌はすっかり乾いていて、風が吹いても、彼が揺れても、動こうとはしないのだ。
 そう、彼は窓辺で揺れているだけ。
 けれども、首を吊った人間がとどまり続けるビルに、どんなオフィスや店が入るというのだろう。せいぜい入る者といえば、好奇心旺盛な子供たちや、無鉄砲で心霊スポット好きの若者たちくらいのもの。
 ああ。
 他に自ら入る者といえば、あとは、拝み屋や退魔師、霊媒師か。


「オイ! コラ! ガキども!」
 金切り声を上げて逃げ惑っているのは、小学校低学年の男子、4人ほどか。階段口で、笙矢は大声を張り上げた。こんな髪型のこんな中年に怒鳴られたら、幽霊を見たあとでなくとも子供は泣き叫ぶかもしれない。ただ、いま彼が怒鳴りつけた小学生は、すでに鼻水まで垂らして泣きわめいていた。2階フロアから、子供がふたり、泣きっ面を見せた。
「勝手に入るから、ンな怖ェ目に遭うんだ、ばーか! さっさと下りてこい!」
「おっちゃん、たすけてぇー!! ゆうれいが出たあ!!」
「ンなことわかってるわぃ、早く下りてこいったら!」
「あーん!! ぅわあーん!!」
「だめなんだ! ともだち、ころんでケガしちゃったんだぁ!」
 ヒステリックな返事だったが、状況はそれでようくわかった。笙矢は顔をしかめてうなじを揉んだ。
「……はァ、勘弁してくれよ……」
このビルの幽霊は、噂を聞く限りでは、人間に危害をくわえるほどの力を持っていないらしい。だが……笙矢にはわかるのだ。多感で敏感な子供たちにも、それは伝わっているのかもしれない。
ここに住み着く男は、いま、怒っている。
「わかった、ケガしてねェやつだけ先に逃げろ。ケガしたおともだちは、おれが担いでやっからよ」
 あまりこのビルの奥には入りたくなかったが、怪我人を――それも子供を、こんなところに放置するのは、さすがのヤクザも気が引けた。ここで多感な人間が一晩過ごせば、間違いなく発狂する。
 子供たちがばたばたと階段を駆け下り、泣きながら外に飛び出していくのを尻目に、笙矢は階段を駆け上がっていた。3階の踊り場に「おともだち」は座りこんでいた。怪我は――確かにしているが、足首をひねっただけらしい。慌てて逃げ出して転んだときにひねったか。首を吊った男に、直接何かをされたわけではないようだった。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆうれい……」
 ぶるぶると唇を震わせながら、少年は笙矢を見上げた。顔は青褪め、涙すら流れていない。
 ――やッべえな、こりゃ、刺激が強すぎたみてェだわ。
 こういうときに、何と声をかけて、何をしてやったらいいのか。
 保育士免許を持っていないし、子供を持ったこともない笙矢には、皆目見当がつかなかった。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ……」
 その視線は、すでに笙矢を見ていなかった。
 笙矢はその視線を追った。

 男が、そこで、揺れている。

「クソ!」
 笙矢は足を痛めた子供を抱き上げた。これ以上この子供にこの男を見せてはならない。男はきっと、子供の壊れかけた心の隙間に入りこみ、このビルから抜け出すだろう。
 代わりに、この子はもう二度と、このビルの外から出られなくなるだろう――。
「坊主、言え! おっちゃんのあとに続いて言うんだ!」
「ゆ、ゆ、」
「言え! ――天津神、」
「あ、あああ、あまつ、かみ」
「国津神、」
「く、くにつ、かみ、」
 おう、そう、その調子。
 でもな、つぎはちょいと難しいぞ。
「八百萬の神達共に聞食せと 畏み畏み申す!」
 囁くようにして大祓!
そして子供を抱えながらも、笙矢は二度、手を打った。

 パン! パン!

 其は、柏手!

「『喰っとけ! メシだ!』」
 笙矢は振り返らなかった。
 子供には、何も見せなかった。
 笙矢の一柏手で、どうんと鉄筋コンクリートが揺れ――
 二柏手で、ざばん、と“鯉”が床からあらわれた。
 鱗に万葉仮名をしたためられた、大口の巨大な鯉が、階段の波をのぼっていく、泳いでいく。
 ざ・ざ・ざ・ざ・ざ!
 ざっぱん、と階段から跳ね上がった鯉は、その牙を、揺れる男に突き立てた。男の姿は水飛沫のように弾け、鯉の口の中に吸い込まれて、跡形もなく消え去った。男という男を飲みこんだ鯉は、じっぴん、と踊り場に飛びこんだ。
 そして、消えたのである。

 子供の耳元で、笙矢は囁く。
 めんどくせーな、と心中でぼやきながら。
「極めて汚きも滞無ければ穢はあらじ」
 はああ、と子供が大きく息をついた。目に光が戻り、呼吸に力がこもる。
「内外の玉垣清淨と申す」
 ああ、ここに、榊のひとつでもあれば、もっと。
 けれども、恐怖にとらわれていた子供はなんとか戻ってきた。足の怪我は、彼がどうこうすることも出来ない。
 やれやれ、と呟きながら笙矢は立ち上がって、しおらしい子供たちを見下ろした。
「……おまえら、ガッコで習わなかったか。『立入禁止』って書いてあるとこに入ったりすんな」
「……はあい」
「ごめんなさあい」
「ちゃんとそいつ、抱えて連れてけよ。おっちゃんそこまでめんどー見ねーからな」
 ため息をついて、笙矢はスーツのポケットに両手を突っ込む。
 感謝のことばは、背中に受けた。
 面と向かって礼を言われるような身分では、ないから。


「あー。あーあーあー、あー、ちくしょう、疲れたってよ……なあ……。ったく……。なんで一切成就までやんなくちゃいけねーんだよー、っとによう、なあ……。御祓いなんかやりたくねーから、このギョーカイ入ったんじゃねーかよぅ、なあ……。ああ、めんどくせえ」
 街灯の光が、月よりも明るい。
 伸びる彼の影に、鯉の影がついてまわっている、泳いでいる。
 比嘉笙矢は、鯉にぼやいているのであった。




<了>
 
 
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